ブランディングだとかストーリーづけるだとかよく見聞きするけどそれは果たして何なのか。。。
ホンモノであれば、無くなりはしないと思うんだよね。
ホンモノでもないものに価値をもたせようとするから、不思議な言葉が産まれるのかもしれないのかな。
新たに創り出すことももちろん大アリだし必要なことなのだけれども
ホンモノを再発見することも同じくらい大切で、しかも足元にいつも転がっている可能性も多い感じがするよね。
覆いかぶさるようにマッハで過ぎる日々や、新たに現れる情報を受け止めざるを得ない暴風は、目の前や足元に転がっている『ホンモノ』を見誤ることも多いのかもな。
昔からそこにあるメシ屋
飾らずとも単純に満たしてくれる山や森や海その大きさを感じ、そこに関わる人々
持続可能なやりくりと
もちろんそれに隠れているそれぞれの生き辛さも
良くも悪くも同居する感情として
まるごとなんとなく『すきだなぁ』と思えることってのは
なかなか良い暮らしなのかな
なんて
思っちゃているんだけど
ひとりで呑みすぎたのかな。
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