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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業

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●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれますが、そのためには人生行路の細部の諸事…
中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいた…
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#野尻湖

『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (1)

●『銀の匙』の広場を開く  中勘助先生は幼少年期を懐かしく回想する小説『銀の匙』で知られ…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (2) 中家の人びと

 中先生は明治18年(1885年)5月22日に生れました。生地は東京府神田区東松下町七番地で、こ…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (4) 伯母さんの消息

 中先生が勘助と名づけられたのは父の幼名勘次郎から一字をとったのであろうと思われます。 …

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (5) 小日向水道町九十二…

 明治22年7月、中先生が4歳の年の夏に中家は山の手に転居しました。次に引くのはこの時期の転…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (50) 「僕は何処に進路…

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高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (78) 野尻湖に向うここ…

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高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (81) 小三郎を思う

 小三郎の死を伝える中先生の手紙を琵琶島で受け取った安倍さんは、気分がクシャクシャして蒲団をかぶって横になりました。胸中にやり場のない悶々があり、仕方なくまた起きて机にもたれてぼんやりしていると、涙が絶え間なくこみあげてきました。安倍さんはそんなふうに心情を吐露しています。  ようやく朝食をすませて木下をさまよっていると、小三郎の姿が浮んできました。安倍さんは明治37年の夏、7月のはじめに大阪に山田さんを訪ねたことがあり、そのおり小三郎に会っていて、星の多い夜、ひとり火の見に

『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (82) 文科大学卒業

 8月25日は雨になりました。この日、小田原からまた鰹が送られてきました。新学期までまだ余…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (90) 信州野尻湖へ

 野上豊一郎は明治16年9月14日に大分県臼杵に生れました。臼杵中学から明治35年に第一高等学…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (94) 野尻湖畔散策

 野尻湖畔にはこれまでに2度出かけたことがあります。一度目は昭和51年(1976年)夏のことで…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (95) 草花を摘む

 詩碑が完成して除幕式が行われたのは昭和48年11月24日と記録されています。「ほほじろの声」…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (96) 詩碑建立

 中先生の詩碑のある公民館は正確に表記すると信濃町公民館の野尻湖支館です。昭和48年、造園…

高瀬正仁
3年前
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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (100) 野尻湖畔再訪

 重い風呂敷包みを左手にさげ、格子を閉めて門のほうに歩いたとき、末子さんはふと思いついた…

高瀬正仁
3年前
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