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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (2) 中家の人びと

 中先生は明治18年(1885年)5月22日に生れました。生地は東京府神田区東松下町七番地で、ここに岐阜の今尾藩の藩邸がありました。現在の地名表記では東京都千代田区神田東松下町(かんだひがしまつしたちょう)に該当します。明治18年当時の東京は「東京市」でも「東京都」でもなく「東京府」でした。明治維新を受けて「江戸府」が設置されたのは明治元年(1868年)5月12日。同年7月17日付で改称されて「東京府」になりましたが、当初の字画は「東京」ではなく「東亰」(「京」ではなく「亰」)で、読み方もまた「とうきょう」ではなく「とうけい」でした。それからまた20年がすぎて、明治21年(1888年)5月1日付で東京府の中心部に東京市が設置されました。中先生が生れて3年後のことで、このころになると「東亰(とうけい)」という呼び方は影をひそめ、「東京(とうきょう)」になった模様です。次に挙げるのは、東京市を構成する15個の区の内訳です。

麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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