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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (94) 野尻湖畔散策

 野尻湖畔にはこれまでに2度出かけたことがあります。一度目は昭和51年(1976年)夏のことで、7月22日、新宿から中央本線で松本に向いました。松本から大糸線で信濃大町駅に向い、到着したときは夕方になっていました。信濃大町で一泊して、翌23日、大糸線で穂高に向い、荻原守衛の作品を展示する碌山美術館を見物しました。その当時親しんでいた臼井吉見の作品『安曇野』の影響を受けてのことでした。24日と25日は別の用事があって湯田中温泉へ。26日、野尻湖に向いました。松本にもどり、長野に出て、信越本線に乗り換えて最寄りの黒姫駅へ。ここからタクシーに乗り10分ほどで野尻湖畔に着きました。琵琶島にわたり、それから安養寺を訪ねるとご住職のお坊さんもお元気で、かつて中先生が滞在したという部屋の一角に中先生の著作が並べられていました。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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