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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (5) 小日向水道町九十二番地へ

 明治22年7月、中先生が4歳の年の夏に中家は山の手に転居しました。次に引くのはこの時期の転居を回想する中先生の言葉です。

《私と母の健康のためどうでも山の手の空氣のいい處へ越さねばといふお医者樣の説により幸ひ其時に殿樣の方の御用も一通り片附いて暇になつてゐた父は自分の役目を人に渡して此高台へ引移ることになつた。》(「銀の匙」、第九回)

 出入りの人たちが手伝いに来て、家の道具を運び出すなど、何かと大騒ぎをするのを勘助少年はおもしろく思いました。人力車をつらね、伯母さんと相乗りに乗せられて、大きな赤土の坂をのぼってひとまず杉垣に囲まれた古い家に落ち着きました。服部坂をのぼって小日向台(こびなただい)と呼ばれる高台に到着したのでした。この家は引っ越し先というわけではなく、

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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