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人生は映画より奇なり。

思いがけず素晴らしいものを観てしまった。

あまりテレビは見ない方なので、一日に一度も付けない日もある一方、無意識にリモコンを操作してぼーっと見ているようなこともあります。そういうときは大抵、チャンネルを変えながら、なんとなくピンときた番組のところでリモコン操作をストップし(ルーレット式)、そのままずーっと眺めているような感じ。就寝前の夜11時頃から深夜1時くらいの間。

昨晩もそんな感じで画面を眺めていたら、思いがけず2本の素晴らしいドキュメンタリーに出会ってしまいました。

最初の1本は、NHKストーリーズで放送されてた「新宿ダイアリー〜母とコロナの4か月〜」。このコロナ禍の、番組ディレクターの母が経営する麻雀店を取材した作品。

"私の母は、新宿で老舗の麻雀店を営んでいる。ところがこの春、新型コロナの影響で経営がピンチに!番組ディレクターが、翻弄される母の4か月を記録した“新宿ダイアリー”新宿で一番古い麻雀店を45年にわたり経営している番組ディレクターの母。新型コロナの感染拡大で店は開店休業状態に。もう閉店するしか道はないのか何十年も共に働いた従業員はどうなるのか…ある夜母は家族を前にして決断を語った!何とか生き延びようと奔走する経営者の4か月に娘であるディレクターが密着。思わず弱音をこぼし涙する母、毅然(きぜん)とした態度で決断を告げる母…日記形式で記録したセルフドキュメンタリー”(webサイトより引用)

もう一本は、皆さんお馴染みNHK プロフェッショナル 仕事の流儀の再放送「餅ばあちゃんの物語〜菓子職人・桑田ミサオ〜」

”本州の北端・津軽半島。日本の原風景が残る美しい土地で30年以上、たった一人で年間5万個のササ餅を作り続ける職人・桑田ミサオさん93歳。山に分け入ってササの葉を採り、材料の小豆から全て手作りで絶品のお餅を作る。「十本の指は黄金の山」という母の言葉を胸に営まれる、知恵と工夫でいっぱいの心豊かな暮らし。仕事とは?人生とは?幸せとは?こんな時代だからこそ心にしみる、つつましく温かな、餅ばあちゃんの物語。”(webサイトより引用)

2つの作品に人生を観た。

新宿の繁華街と津軽半島の自然豊かな景色。まさに対極的なそれぞれの土地で、暮らし、営み、生きるお二人の女性の姿。そもそも番組は別ものだし、一方はオンタイム、もう一方は再放送。両作品は、たまたま放映時間が並び合っただけ。なのに2本続けて観ると、2つの人生が繋がり合い、ミニシアターで2時間映画を観たかのように、心がじんわり動かされたのでした。

2人の女性の生き方は、表面上まったく違う。でも深く根っこにある、生きるということの、肝の据わったような部分は重なり合うようでした。

新宿で3つの雀荘を営む女性経営者。私は雀荘に行ったことがないけれど、いまや健康マージャンは人気だし、コミュニティとしても非常に重要な場。ただただ娯楽だけの場ではない。その雀荘が営業自粛を迫られ、結果的に3店舗のうち1店舗を畳むことになる。

新鮮だったのは、従業員の方々がすべて女性であること。そしてその中に、ママとともに40年以上一緒に働いてきたという方が何人もいること。そういう場が何十年と新宿にあったということ。閉店を伝えられた従業員さんたちの「薄々分かっていた」というくだり、お互い静かに状況を受け入れてどっしりと構えている様子もやたら印象的だった。

閉店後、店の解体の現場に立ち会う場面で、自分でつくって自分で壊せることは幸せだ、そんなようなことを言っていた姿が深く響く。つくって壊す、誰にも迷惑を掛けない。それはきっと何かに繋がっていく。これらの言葉を私は100%実感をもって理解できた訳ではないけれど、言わんとすることはなんとなく分かる気も。きっと私がまだ見たことのない世界の何か。

そしてまた、ディレクターである娘から発せられた問い「コロナが憎いか?」に対して、母の答えは否。私たちは大きな流れの中で生きている、その中で自分に出来ることを精一杯やるだけ、そんなようなことを言っていた姿がまた強く響きました。コロナで尚更実感する、私たちは大きな流れの中に生きているということ。

これらを「達観」、だなんて安易な言葉で括ってはいけない気もした。まだまだ前を見ている、でも何かを悟っている、そんな佇まい。新宿で40年以上経営してきた人の語る言葉も姿も、ものすごい説得力だった。ラストシーン、真っ赤な上下のスーツとヒールで、スーツケースを引きながら新宿を闊歩する後ろ姿、おそろしくカッコよかった。背筋がピンと伸びきっていた。

さて一方、ミサオおばあちゃんの笹餅の話は、自然豊かな田舎で心温まるものと思いきや、芯ががっちり通った一人の女性の生き様そのものでした。柔和な顔をした人ほど、どんな人生だったのだろうと、私はよく思います。きっと相当な苦労も悲しみもあってそれを乗り越えてこその、その顔つきなのだろうと思っているから。生き方は顔に出る。

60代の時、老人ホームの慰問に訪れた際に笹餅をつくって持っていったら、泣いて喜んでくれた人がいた。そのことが笹餅をつくるようになったきっかけだという。それから、小豆を自分で栽培し納得のいく豆をつくれるようになるまで数年、93歳のいまでも笹を自分で摘みに行く。そして日々淡々と笹餅をこさえていく。作る数は年間5万個と聞くとすごさが際立つけど、ミサオさんの手仕事には若干ふさわしくない表現だと感じる。毎日毎日2個100gのぴったりの大きさのお餅をこさえていく、派手ではない静かな手仕事。よどみなく続いていくその日常こそがすごいのだと思う。

ミサオさんの笹餅づくりは「こさえる」という言葉がぴったり。ほとんど儲けは出ないという。でも、大事なことはそういうことじゃないということがひしひしと伝わる。仕事ってきっとそういうものなんだろうと思う。そういう一面を大いに持つものなのだろうと思う。儲かるからやる、儲からないからやらない、そういうもんでもない。

プロフェッショナルという番組は、最後に「あなたにとってプロフェッショナルとは?」みたいな問いかけをして、その答えととともにエンディングテーマがボリュームを上げながら追随するので、視聴者の気持ちもぐいっと上がる、そんな構成になっている。だけど、今回ばかりはそぐわなかった。ミサオさんの答えは正直明快ではなかったし、ミサオさんの仕事を前にして、そんなことどうでもいいように感じられた。むしろそんな問いに対して、したり顔で何かを答えられちゃうことのほうが、実はちょっとカッコ悪いんじゃないかとさえ思ってしまった(普段の番組なら何とも思わないんだけど)

春が一番好きだそうで、鳥がチュンチュン鳴いてると生きることの喜びを感じるのだそう。自然のそばに生きて、自然の恵みを活かして営む姿は大げさだけど神々しいほどだった。

偶然こそ何かのメッセージ

お二人の姿は、私の50年後や30年後だったりするかもしれないし、全然そうじゃないかもしれない。でもとにかく、生きるって奥深い、深い深い、そう思った。味わい深い。いや、私はまだまだ味わい深いなんて言っていい年齢ではない。ただ、お二人のように先を生きる先輩たちがいるなら、この先を生きていくことも楽しみだと思える。ありがたい。いつかはあんな感じが、ありたい姿。

※余談:「観る」と「見る」
修学旅行の時、対応をしてくれた薬師寺のお坊さんが「皆さんは、観光に来ましたか?見学に来ましたか?」と女子高生の私たちに質問。なんとなく観光には遊びのニュアンスがある気がして、ちゃんと勉強しに来てます感を出そうと「見学です」と答えた。けれど、お坊さんからは「観には心の目で見るという意味合いがある。だから、ぜひ修学旅行でも心の目で見ていってほしい」といった説明がされたのでした。それ以来、「観る」と「見る」には変にこだわるようになりました。

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