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本丸はメディアの体質であってジャニーズではない

 ジャニーズ会見のニュースを聞いて思い出したことがある。
 2004年に最高裁でジャニー氏の性加害が認定された時に、テレビで全くその件が放送されない事に違和感を感じ、何局かに電話したことがあったのだ。
 それまではあくまで噂や疑惑、都市伝説というレベルだったが、裁判で事実だと認定された以上、何らかのアクションはあるだろうと思っていた。ところが報道機関は見事にスルーした。政治家からの圧力なのか、メディアを牛耳るフィクサーが存在するのか。一体どういうことだと困惑した記憶がある。
 それまでもそれ以後もテレビ局に電話したことなんてない。当然ながらまともに取り合ってもらえなかったが、当時の自分は社会の闇の深さを感じ、憤ると共に怖さも覚えたものだ。

 あれから20年近く。ずいぶん時が流れたが、結局はBBCという外圧でしか事態が変わることはなかった。

 ジャニーズで言うと、社名を変えないというのはさすがに驚いている。というか無理だろう。結局、後手後手で社名を変更するくらいなら先手を打った方がよかったのではないかと思う。

 それよりも問題はメディアだ。当時の自分が戦慄した政治家やフィクサーの存在はなく、単にビジネスパートナーに対する忖度であったというのが今のところの落とし所だ。
 腑に落ちないところもあるが、だとしても「人類史上最も愚かな事件」を積極的に黙認し、加担したという事実は変わらない。にもかかわらず、それに対する反省や再発防止の姿勢は相も変わらず全く見られない。結局、ジャニーズをしっぽ切りに逃げ切ろうとしているようにしか見えない。

 公共の財産たる電波の使用料をドコモなどの携帯電話会社は200億ほど支払っている。一方、テレビ局は各社たったの5億ほどだ。アメリカは電波オークションの収入が4000億ほどあるらしいので、日本のテレビ局に対する優遇は異常と言っていいレベルだ。また、新聞の方は食料品などと同様に消費税が8%に抑えられている。

 ここまで特別扱いされている理由は新聞やテレビが「社会の公器」であり、権力の監視や情報インフラといった公共性の高い仕事しているからというのが建前だろう。
 しかし、そんな「社会の公器」たる大手メディアが利権に屈して「人類史上最も愚かな事件」に加担、少なくとも黙認していた。つまり、本来の役目を果たしていなかった。であれば上述のような特別待遇を再考すべき時ではないか。それが今回の事件の本丸だと私は思う。

 少なくともキャスターのタレント起用はやめるべきだろう。これまでもニュース番組のスポンサーが不祥事を起こしたときに、その事件が扱われないということは多々あった。テレビ局も民間企業である以上、そうした配慮は仕方がない部分もある。ただ、そういうケースは他局や新聞が報じることで問題をクリアしていたように思う。

 しかし、今回はっきりしたことは、あらゆる局に利害関係のある芸能事務所が不祥事を起こした場合、全てのテレビ局が無力に陥るということだ。この危険性を鑑みるなら、少なくとも報道番組に芸能タレントを起用するのは業界ルールとして控えるべきだろう。
 「タレントに罪はない」などいう戯言は問題の本質を履き違えた詭弁としかいいようがない。誰もタレントの罪など問題にしていない。数字目当てに歪な報道体制をとってきたことの罪を問うているのだ。

 テレビがダメなら消費税8%の新聞が報じればよいと思うが、日本はクロスオーナーシップを規制していないので、新聞社とテレビ局はグルの関係にある。つまり、テレビが報道しないのなら新聞も報道しないのだ。こうなるといよいよクロスオーナーシップの規制も検討すべきだろう。

 そして、日本のメディアの横並び、談合体質を助長している「記者クラブ制度」も改めて見直す必要があるだろう。メディア同士の相互監視の文化が醸成されていれば、ここまで見事なかん口令は敷かれなかったはずだ。カウアン氏が日本外国特派員協会で記者会見をしていることはその現れだと言える。これも何十年も前から言われてきたことだが、一向に変わる気配がない。

 要するに今回の事件は記者クラブ制度による談合文化がクロスオーナーシップによって新聞、テレビの両方に広がり、ジャーナリズムよりも金儲けに走ったあげくの癒着・忖度が引き起こしたものと言えるだろう。
 これはもう業界の在りようそのものを変えていかないと再発は防止できないように思う。少なくとも一企業を叩いて終わらせていい問題ではない。

 今の報道姿勢を見ていると、何とか一企業、一個人の問題として収束させたがっているように見えるが、そうなるといよいよ「社会の公器」としての役割を放棄したと断じざるを得ない。
 情報インフラとしての機能はすでに通信業者の方が勝っている中、権力の監視としての機能も放棄するならば、破格の優遇価格で電波を使用させる意味は全くない。むしろ、通信キャリアの電波使用料を下げて、その分をテレビ局から取った方が月々の契約料が下がって社会全体にとってプラスになるのではなかろうか。

 まずはテレビ局側の忖度がなぜ生まれたのかについて第三者委員会を設け、その内容に基づいて各局の代表が並んで記者会見を開き、その内容を受けて政治が動く。最低そこまではやらないと、結局似たような事件が繰り返されるように思う。
 報道各社には今こそジャーナリストとしての矜持を示していただきたい。問われているのは社会の公正、権力の抑制と均衡、知る権利、人権、ひいては民主主義社会そのものである。


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