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メディチ家が残したフィレンツェの歴史

イタリアのトスカーナ地方に広がる「フィレンツェの歴史地区」


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画像引用:italia travel.comイタリア旅行社 http://www.italiatravel-jp.com/modelplan/lri-02/

「花の都」と呼ばれるフィレンツェは14~17世紀にかけて商業や芸術の中心となりました。



ルネサンスの発展


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画像引用:ダイヤモンド社https://diamond.jp/articles/-/247781

フィレンツェの歴史地区はルネサンスの中心となり、14世紀初頭には人口13万人もの大都市へ成長しました。

ルネサンスという言葉。聞いたことあるけど、どんな意味なのかは分からない方も多いのではないでしょうか。

ルネサンスは「再生」を意味します。

【ルネサンス】
14世紀イタリアに興り、16世紀までに全欧州に展開した学問上・芸術上の革新運動。ギリシャ・ローマの古典文化を復興し、教会中心の中世的世界観を離れ、現世の肯定、人間性の解放、個性の尊重を主張。その影響は政治・社会・宗教など多方面に及び、欧州近代文化の基礎となった。文芸復興。ルネッサンス。
引用:徳島県立近代美術館

ヨーロッパ建築・芸術の起源と言われているのがギリシャ様式で、紀元前からギリシャ哲学や人文主義思想を取り入れ、アクロポリスや神殿を建設しました。

そこから中心は古代ローマ様式へ。ギリシャ建築を模範とし、受け継ぐ技術でコロッセウムや凱旋門など、様々な建築をつくりあげました。

しかし時間が経つにつれ、権力者が現れると、アナトリア(現在のトルコ)が勢力を拡大させビザンツ様式の聖堂を建築したり、芸術の都フランスのパリが中心となったゴシック様式に変化していきました。
独自の文化や芸術が発展していったため、ギリシャの哲学、人文主義思想を反映させた建築様式は、キリスト教文化が広まったことで放棄されてしまいます。

ルネサンス様式では、放棄されてしまった、「ギリシャ哲学・人文主義思想」に目をつけたのです!ルネサンス様式によってギリシャ哲学、人文主義思想などが再び評価されるようになりました。

フィレンツェをはじめ、地中海貿易で繁栄した都市国家を中心に発展しました。しかし、最盛期は短かったそうです。

ルネサンスの凄いところは、あくまでも「復興運動」ということ。
今でいうところの「デモ」などではなく、宗教改革、文化、芸術、思想上の文芸復興運動であり、キリスト教への不満や社会そのもへの批判・破壊を目指していたわけではありませんでした。

「古代芸術の素晴らしさを、ギリシャの哲学の素晴らしさを伝えませんか?みんなで!」といった感じでしょうか。素晴らしいですよね!誰も悪くない、優しい世界...。(中にはいろんな諸説もありますが)


で、このギリシャ哲学や人文主義思想ってなんなのかというと、

‘‘人間にとって人間が最高で、人間性こそ尊重すべきものだとする‘‘

いやぁ~もう最高・オブ・最高。

人間にとって人間が最高...。本当にそうですよね。一人じゃ何もできないよなぁ。改めて周りの方々に感謝したい。いつもありがとうございます。(急すぎる感謝の言葉)

こういった思想もあったはずなのにこの後人種差別が生まれ戦争に発展するのはつらいですね...。


もっとお話するとルネサンスだけで終わってしまうのでこの辺にしておきます(笑)
もっと知りたい方は詳しくまとめている方がいるのでぜひ読んでみてくださいね!


フィレンツェといえばこの方々



フィレンツェが大都市に成長した理由として、ルネサンス運動ともうひとつ、メディチ家の存在です。

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画像引用:グレゴリウス講座 http://www.gregorius.jp/presentation/page_62.html


メディチ家は、フィレンツェを支えた支援者。銀行家、実業家、政治家としてフィレンツェを実質的に支配し、その圧倒的な財力で多くの芸術家たちを支援しました。

メディチ家は300年にわたってフィレンツェを支配しました。

メディチ家のはじまりは、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(以降ジョヴァンニと省略)で、ジョヴァンニが14世紀終わりにメディチ銀行を拡大させ金融業で成功し豊富な財を蓄えました。

その財と政治的手腕を持ったジョヴァンニの息子、コジモ・ディ・メディチ(以降コジモ)が支配を握り、フィレンツェの街を大都市に成長させました。

市民の信望も厚く、コジモは「祖国の父」と言われるほどでした。




コジモ・メディチと建設


ジョバンニが莫大な富を手に入れたのに対し、息子のコジモは建設に力を入れました。


フィレンツェの歴史地区の中で、ひときわ目を引くの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」

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画像引用: trip note https://tripnote.jp/italy/place-cattedrale-di-santa-maria-del-fiore/photo/18962

赤茶色の煉瓦が目立ちますね!街のシンボルとなっています。

この聖堂はコジモの援助によって建設されました。建築家はブルネッシキの設計によるもので新しい聖堂スタイルを生み出しました。

そして隣には立派な鐘楼とサン・ジョヴァンニ洗礼堂がそびえ立ちます。

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画像引用:たびこふれhttps://tabicoffret.com/article/72736/index.html


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画像引用:4travel.jp https://4travel.jp/travelogue/10816829

鐘楼は建築家ジョットの設計。

他にも、メディチ家専門の建築家、ケロッツォ・ミケロッツィの設計によるメディチ・リッカルディ宮などを建設したりと、コジモは様々な建築家とタッグを組み、フィレンツェにいくつものルネサンス様式の建築をつくり上げました。

ヨーロッパ初の孤児院をつくったのもコジモなんだそうです!




ロレンツェ・デ・メディチと芸術家


コジモの孫にあたる、ロレンツォ・デ・メディチ(以降ロレンツォ)は才能ある芸術家たちを保護しました。

ロレンツォが支援した芸術家の中には有名方ばかり。
「モナ・リザ」が代表作のレオナルド・ダ・ヴィンチ
「春(プリマヴェーラ)」「ヴィーナスの誕生」で知られるボッティチェリなど様々な芸術家を支援しました。

また、当時26歳だったミケランジェロを見出し、彫刻を学ばせたのがロレンツォと言われています!
ミケランジェロはフィレンツェ政庁に依頼され「ダヴィデ像」をつくりました。何人もの彫刻家ができなかった、「巨大な大理石から像を彫り出す」という難航を見事成し遂げました。

「ダヴィデ像」はローマ帝国以来の傑作と言われています!

リアルに表している手の血管や、筋肉の凹凸、肌の質感など細部までこだわりがたくさん詰まっています。
これがもともと大理石だったと思うと凄いですよね!


メディチ家の財産は

メディチ家の家系は18世紀半ばで途絶えてしまいました。
最後の子孫である、アンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチが「メディチ家の財産はフィレンツェのもの」と遺言するほど、フィレンツェとメディチ家には深い関わりがありました。

ウフィツィ美術館にはメディチ家が収集した芸術作品が展示されています。


余談ですが!
最近寝る前に読書をすることが習慣なのですが、この間「13歳からのアート思考」という本を読み終えました。

絵画を鑑賞する時、「ほへ~!これ絵なの!?写真みたいで技術凄いな!」と感動することはあります。
私はこれまで絵画をみて、立体的に描いたり、遠近法で奥行きを出したりする「技術」に感動することはありましたが、グチャグチャのマーブル模様の絵を見ても「これなら私も描ける気がする。何故、これが凄いと評価されているのだろう...」と思う作品もありました。

ですがこの本を読んでからはモノの見方が変わった気がします!

今現代において、芸術は非常に自由な環境にあります。「芸術は○○である」という固定概念がないのも、こうしたグチャグチャのマーブル模様の絵が過去に評価されたからなんだと思います。

一見どこが評価されたのか分からない絵でも、深く考えてみると分かることがあります。「これも絵なんだよ!絵でいいんだよ!」と芸術の究極を追求した当時の芸術家たち。かっこいい。

こういった絵は技術のある画家が描いているのも驚き。ピカソもそうですよね。「なんだこりゃ!」と思う絵もあれば、一目見て「凄い!上手い!」と思う絵もあります。

「魚を描いてください」というお題が出されたら、

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ほとんどの人がこうやって描くそうです。きっと私もそうです。
でも

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!!!!!真正面から描いてもいいじゃない!!!!!!

それもこれも「リアル」です。
どうとらえるかは自分次第。

世界遺産1級の勉強をはじめてから、いろいろな建築様式をたくさん知りました。
絵画のようにどれが凄いとかではなく、歴史に応じて変化してきて、今に繋がっていることが素晴らしいことだなあと思いました。

#芸術と建築は自由自在



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