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"ガリ勉"Jリーガー 戸川健太

元Jリーガーで、現役引退後もサッカー界を中心に多方面で活躍しまくっている戸川健太という友人がいます。タイトルにあるように、彼は現役中に独学でポルトガル語をマスターしてしまったという特殊な経歴の持ち主で、現在も変わらず学習を続けています。

今回、彼のこの語学学習者としての知られざる姿を皆さんにご紹介したいと思います(本人承諾済)。なぜならこの男、全てのサッカー選手や学習者にとってお手本になる存在だからです。

はじめに、彼のことを綴った僕の過去ツイートを3つ続けて掲載します。写真が同じで書き出しもほぼ一緒なので全く同じツイートに見えますが、それぞれ微妙に内容は異なるので、とりあえず読んでみてください。

以上3つです。この男の偉大さ、または異常さがいくらか伝わったでしょうか。それでは、ここから更に詳しく彼のエピソードをご紹介していきます。


ガイナーレ鳥取時代の戸川健太

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戸川選手との出会いは、僕がぶっつけ本番でガイナーレ鳥取の通訳に就任することになった、あるホームゲームの日の試合前のロッカールームでした。

彼のロッカーが、当時2人いたブラジル人選手のロッカーに挟まれる形になっており、そこで僕に声をかけてくれたのですが、まずこの「ブラジル人選手達の間にロッカーが用意されている」ことが彼の個性を物語っています。

曰く、鳥取に移籍加入した3年前から独学でポルトガル語を勉強しており、当時ポルトガル語の通訳がいなかったチーム内で彼らのサポート役を買って出ていたとのことでした。その後、試合当日のロッカールームで彼から度々ポルトガル語に関する具体的な質問を受けるようになります。内心「今それ聞くんか!」と思いつつ答えていましたが、いざキックオフの瞬間が近付くと、一瞬でバッチリ切り替えて闘士の覇気を纏っていたので、そこは流石、本物のプロサッカー選手でした(知性と闘志を兼ね備えた彼の勇姿をご記憶の方も多いかと思います)。

この戸川健太ひとりの存在があったかなかったで、当時在籍していたブラジル人選手達(ちなみにフェルナンジーニョとハマゾッチ)のチームへの適応スピード、居心地の良し悪しは決定的に異なっていただろうと僕は今も確信しています。事実、彼ら自身が戸川選手の人柄を絶賛し、その助力にいつも感謝していました。

福島ユナイテッド時代の戸川健太

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鳥取での4年間でポルトガル語をゼロから始めて普通にネイティブと会話できるレベルまで達したこの男は、福島ユナイテッドに移籍して現役生活最後の2シーズンを過ごします。この時期の彼の印象は、もはや単にプロサッカー選手というより「生業として全力でサッカーをしながら、次の人生に向けてひたすら勉強しまくっている人」でした。その姿は良い意味でサッカー選手らしくないというか、いわゆる「引退後」というより「転職後」に向けて動いていると表現した方がしっくりくるような雰囲気がありました。福島時代は単身赴任だったこともあり「思いっきり勉強できる!」とやる気を漲らせて語っていたことを覚えています。

ちなみにチームでは鳥取時代を遥かに超えるレベルでブラジル人選手のサポート役を積極的に担っていたようで、自身が怪我をした時も通訳として練習に参加し、時に選手の家族のサポートに駆けつけたり(例:妊娠中のご夫人に付き添って産婦人科に行ったり)もして、実質的に「選手兼通訳」として働いていたとのことです。当然ここでもブラジル人選手&ご家族からいたく感謝されて、今も向こうから定期的に連絡が来るようですが、戸川氏本人は「俺こそ感謝してる」とあくまで言い張っています。

現役引退後の戸川健太

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さて、「現役最後の2年間は完全に引退後に向けた準備の時間」と自ら宣言していた戸川氏は現役引退後、その言葉通りに実にスムーズに次のキャリアをスタートさせました。現役中から始めていた選手のセカンドキャリア支援の仕事、日本プロサッカー選手会事務局の仕事、全国各地の学校で特別授業を行う夢先生の仕事、そしてDAZNでの解説者の仕事など、その活躍ぶりは多岐に渡ります。

また引退後は毎日のポルトガル語に加えて英語の勉強にも注力し、更には語学に飽き足らずFP(ファイナンシャルプランナー)の資格の勉強まで始めてしまいました(既に資格も取得した模様)。ファイナンスの知識を身につけることで、選手達がお金に関する人生設計で躓かないようサポートしたくて勉強を始めたそうです。

現役中に身につけたポルトガル語の知識は現在の彼の仕事にも大いに発揮されているようで、例えば解説者としては、事前のチーム取材でブラジル人の選手や監督にポルトガル語で直接話を聞けるため、彼らに関してより深い情報を得て試合に臨むことが可能になっています。

そしてもう一つ。

彼は夢先生として訪ねたある学校で、文化の違いや不十分な日本語力のゆえにクラスに馴染めず塞ぎ込んでいたブラジル人の少年と出会ったそうです。俯いていたその子にポルトガル語で話しかけた戸川氏は、彼がいかにブラジルの人達にこれまで良くしてもらい感謝しているか、いかにブラジルという国やその人々を愛しているかを全力で伝え、クラスメイトの日本人の子達にも日本語で同じ話をしたそうです。突然の出来事に驚き戸惑っていたそのブラジル人少年は、話を聴いているうちに堰を切ったように大泣きし、泣き止んだ後にはとびっきりの笑顔を見せてくれたとのことでした。

この話は戸川氏本人から電話で教えてもらったのですが、聞いていた僕まで涙が止まりませんでした。(念のため補足しておくと、彼はこのエピソードを自慢話や武勇伝の類としてではなく、彼自身も嬉しかった、感動した出来事として純粋に報告して下さいました。そういう男です。)

戸川健太がポルトガル語を学んだ理由

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ここで、当時現役Jリーガーだった戸川選手がそもそもなぜポルトガル語の勉強を始めたのか、を最後にお伝えしたいと思います。

きっかけは10年前、30歳を目前にして所属クラブとの契約満了を迎えたことだったそうです。その際に自身の将来をイメージする中で「このままじゃ俺は無価値になる」という峻烈な危機感を覚えた彼は、一方で自身のサッカー愛の深さを改めて確認し、「現役を終えてもサッカー界で生きていきたい」という強い想いを抱いたとのことです。そこで改めて自分なりの視点でサッカー界を見回してみたところ「この世界はどこに行ってもブラジル人がいる」という事実に目が留まり、それならひとつポルトガル語をやってみようと一念発起し、移籍先の鳥取に着いて間もなく、ゼロから独学でポルトガル語の勉強を始めたということです。(その後の活躍は前述の通り)

きっかけ、危機感、未来への希望、冷静な思考、覚悟と決心、そこからの即行動、更に継続。その全てが繋がって、戸川健太という偉大な学習者にして日伯の架け橋が誕生したのです。

しかも、元は自分自身の人生のために勉強を始めて身につけたそのポルトガル語の能力で、結果的にチームメイトやその家族、そして前述の小学生に至るまで、たくさんの人達の人生を明るく照らしてきたのですから、こんなに素敵な話もありません。しかもその多くが、日本での暮らしの中で何らかの難しさに直面していたブラジルの人達です。彼の存在ひとつで皆さんどれだけ勇気付けられ、救われたことか、想像に難くありません。

そんな戸川健太さんは、新たな世界・新たな出会いの扉を開く語学の力・学びの力を強く信じて、現在も文字通り毎日欠かさず勉強に励んでいます。

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「学びの力は無限だ」と語る彼の言葉には、いつも前向きなエネルギーと圧倒的な説得力を感じます。

彼の学びへの姿勢、人生への姿勢に、僕もいつも沢山の刺激をもらい、学ばせていただいています。

また最近は、僕が指導しているある日本代表選手とのレッスンにも特別参加してもらったところ、彼も大いに刺激を受け、更にやる気を高めていました。

読者の皆さんも同じように健太さんから刺激を受け、学びが持つ無限の可能性に触れ、何かしらの行動に繋げてくださったら僕も嬉しいですし、それ以上に彼がやたら喜ぶと思います。

以上、現役中に独学でポルトガル語をマスターした異能のJリーガー、戸川健太氏のお話でした。

それではまた。

追伸:戸川健太氏の活動についてもっと知りたい方は、彼のブログを是非ご覧ください。






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