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「与える」こと。

喜多川 奏さんの「賢者の書」を読みました。
ある少年が9人の賢者に会うために、旅をしていくお話で、とても読みやすく、わくわくしながら読み進めました。

最後の賢者の教えで、「与える」というところが印象に残りました。
昨日書いた私の投稿の「利他心」にも通ずるところがあります。

人生において欲しいものを手に入れるためには、手に入れたいと思うものを与える側にならなければならない。感動の多い人生を送りたければ、感動させてもらう側にいては、本当の感動の半分も手に入れたことにはならない。感動させる側になって初めて本当の感動を十二分に味わえることができるのだ。
本文より
例えば、勇気を手に入れたければ、それをくれる人やものを探し求める側ではなく、人に勇気を与える側に。
中略
多くのものはそれらをどうやって手に入れるかということばかりを考えている。しかし本当に手に入れたいものであればあるほど、どうやって人に与えるかを考えなければならない
本文より

例えば、わたしは自己承認欲求が強かったんです。
どうして私の言うことをわかってくれないの?私の言うことをわかってよ!私のことを認めてよ!

もし誰かに自分のことを認めて欲しい場合は、発想を転換して、誰かのことを認めていく、、

例えば、私の身近なところで言えば、子育てに関して、子供のできていないところばかりがつい目について否定しがちになる自分がいますが、そうではなく子供の出来ているところに目を向けて、それを認めていく、そしてその認めている言葉をかけていく、そういう行動も伴ってこそ、自分も認められる人間になるのかなぁという風に思いました。

自分が欲しいものばかりを、欲しい、欲しいと欲求ばかりでは通用しないのだなーということがわかりました。
そして、誰かに与えていくということは、とても素晴らしいことだなぁと思いました。また、勇気がいることだと思いました。

お読みくださりありがとうございます。


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