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聖徳太子の年表まとめ

新たな発見をしてください。

今回は、梅原猛氏の『聖徳太子』を参考にしてまとめてみました。参考図書です。

興味ない方も本だけチラっと


506蘇我稲目誕生(〜570)

538年仏教が公レベルで伝わった
545百済が欽明天皇のために丈六の仏像を造った

551蘇我馬子誕生(〜626)
552百済の聖明王が仏像・経論を献上し、蘇我稲目が向原の家を清めて寺とした。
570物部尾尾輿らが寺を焼き仏像と経論を難波江に流した、蘇我稲目が死去。


574(1)聖徳太子誕生(以後は厩戸王子(皇子)か上宮太子と書くとする)

※欽明天皇(祖父)+蘇我堅塩媛(祖母)(馬子の娘さん) →→→用明天皇(父)+穴穂部間人皇后(母)→→→厩戸王子(ベビー)=父用明天皇は、磐余の池辺又槻宮(桜井市)居住。


577(4)百済威徳王が経論などを献上
579(6)新羅が調と仏像を献上
584(11)司馬達などの娘を女性僧侶にした。蘇我馬子が仏法に帰依した
585(12)蘇我馬子が大野丘の北に仏塔を建てた。疫病のため、物部守屋と中臣勝海らが、天皇認可で、寺と塔を焼き、難波堀江に仏像を棄てた。
587(14)物部守屋を滅ぼした。用明天皇(太子の父)が崩御した。


588(15)百済が仏舎利や僧侶や建築士を献上した、飛鳥寺の建設着工
590(17)飛鳥寺の用材を伐りだす、善信尼らが帰国し桜井寺に住む
592(19)飛鳥寺の仏堂と歩廊は完成
593(20)飛鳥寺の塔の土台のなかに仏舎利を入れる。厩戸王は皇太子になった。
594(21)三宝興隆の詔を出した、諸臣らは競って寺を建てる
595(22)慧慈(高句麗の僧侶)が帰化し上宮太子の先生となる、慧聡(百済の僧侶)も飛鳥寺にすんだ。

596(23)厩戸王子は、慧慈と葛城臣と、伊予国湯岡に温泉旅行に行き、碑文を建てた。飛鳥寺が竣工した。寺の長は善徳(蘇我馬子の子)。
600(27)隋に初めて使者を派遣した。
601(28)厩戸王子は斑鳩宮を建て引っ越した(上宮→斑鳩宮)


602(29)来目王子を撃新羅将軍にし、大量の軍を新羅戦に動員するも、来目王子が病死し遠征し中止

603(30)来目皇子が筑紫で亡くなった、当麻皇子を撃新羅将軍に任命するも妻が亡くなったため引き換えし新羅遠征は中止となった。
上宮太子は斑鳩宮から小墾田宮に移った(上宮→斑鳩宮→小墾田宮)。 蘇我馬子は冠位十二階を制定した。


604(31)憲法十七条を制定した。(隋では煬帝が即位した)

605(32)天皇は丈六の仏像を造らせた、上宮太子は斑鳩宮に住まうようになった。(小墾田宮→斑鳩宮)


606(33)丈六の仏像を飛鳥寺に納めた、上宮太子が勝鬘経と法華経を講説した。
607(34)小野妹子を隋に派遣した。
608(35)隋から答礼使の裴世清が訪日し帰国した。
609(36)勝鬘経の注釈を始めた。小野妹子帰国。

611(38)上宮太子勝鬘経を注釈した。
612(39)上宮太子維摩経の注釈を開始した。百済の味摩之が帰化して呉の伎楽舞が伝えられた。(煬帝による第一次高句麗遠征)
613(30)上宮太子は維摩経の注釈書を完成させた。(数え40歳)
614(41)上宮太子は法華経の注釈を開始した。隋に犬上君御田鍬らが派遣された

615(42)上宮太子は法華経の注釈書を完成させた。隋に派遣した犬上君御田鍬らが帰国した。慧慈(上宮太子に仏教を教えた師)は母国高句麗に帰った
新羅は仏像を献上し蜂岡寺に納めた
618(45)隋煬帝が殺されたた、高句麗の使者が隋の滅亡を伝えた。唐が李淵によって建国された

620(47)上宮太子は蘇我馬子と相談しいくつかの書物を完成させた、天皇記、国記、臣連伴造国造百八十部、公民等の本紀
621(48)穴穂部間人皇后(太子の母、用明天皇の妻)が亡くなった。新羅が朝貢した
622(49)上宮太子は斑鳩宮で亡くなった。磯長陵に葬った。橘大娘女(太子の嫁さん)は太子をしのび天寿国繡帳を作った

623鞍作鳥という職人さんが作った法隆寺金堂釈迦三尊像が完成した。新羅任那の使者は仏像、金塔、舎利、観頂幡を献上した。新羅との貢物に関する問題について吉士磐金を派遣した、さらに、蘇我馬子は境部臣雄摩侶を大将軍に任命して征新羅軍を派遣した。

626蘇我馬子が亡くなった、桃原墓に葬った。蘇我蝦夷が大臣に就任
628推古天皇が崩御、田村皇子(のちの舒明天皇)と山背大兄皇子に遺言状を遺すも、 次期天皇問題について群臣で協議紛糾した。蘇我蝦夷ら境部臣摩理勢(蝦夷の叔父)を殺し、田村皇子を擁立、
629舒明天皇即位(田村皇子)


名前がたくさんあります。書物読むとき厄介な理由はコレ。
29欽明(540〜571)(磯城嶋天皇、天国排開広庭天皇)
30敏達(572〜585)他田(訳語田)天皇、渟中倉太珠敷尊
31用明(586〜587)大兄皇子橘豊日命、橘豊日天皇
32崇峻(588〜592)泊瀬部天皇
33推古(593〜628)額田部皇女、豊御食炊屋姫天皇


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