takao

コンピュータが好きです 音楽やゲームが好きです 夢を見ています

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僕はまだ、腹の膨れない夢をみている。

これは何? 最近、自分の過去を眺めるのが少しだけ上手になりました。 これまでの楽しかったこと、嫌だったこと。 それを落ち着いて鑑賞できるようになったように思います。 僕は、すべての人が美しい価値観・感性・考えを持っていると思います。 けど、次第に大人になるにつれて 自分が認めるものを握りしめることができなくなるように感じます。 それはとても寂しいことのように思います。 僕はいつまでも好きなものを信じていたいです。 これを、忘れたくないのです。 だから、これ

    • 認識は砂の城である

      歴史は、宗教は、絶対的な価値観を提供しようとし、それが科学に敗北したわけである。 あなたの善悪感ないし、価値観は脆い。 それらは確実に文化や宗教、歴史の上で形成されたものだ。 あなたはアイデンティティーや価値観を自己の選択によって形成したと考えている。 それはちがう。その多くは慣習だ。 絶対的価値観というものは、とうの昔に廃墟になっているのだ。 あなたはどこで咲くかを選べない。 あなたの性格は土壌に強く影響を受けている。 生まれた時点で、ラプラスの悪魔の話が如く、

      • とぼとぼと歩くしかない

        俺は凡人だ。 10を言われれば、残っているのはせいぜい3ぐらい。 1を聞いて、10を理解するなどホラ話に思うほどである。 しかし、私には憧れがある。 漠然としているが… が、そのために俺は俺を拡張させていきたい。 光陰矢の如し。人は死ぬ。 その時間を俺は何に使うべきだろうか。 その疑問は、半ば因果的に”憧れを追い求めること”に帰着した。 もちろん、堕落もする。 脳を揺さぶる激しい音や画面、酒におぼれてしまうこともある。 俺は凡人だ。 それでも、とぼとぼ歩くしかない。

        • 目的指向な人と僕は違うと思う。

          目的指向な人というのは… 具体的な目的に、ある種、盲信的とまでさえ見える確信をもち それに対して、解決手段を客観的な評価・吟味し、実行・遂行できる人のことを指します。 例えば、売り上げを達成するために主観的な人情に冷徹な経営者だったり 他には、動画再生数のためであればバズりそうな時代の潮流に媚びたネタの企画をすることに貪欲なYoutuber みたいな。 俺はそういう人をみると何だか、尻すぼみしてしまう。 自分にはその様な芸当ができないから。 目的より、手段に拘りがちなところ

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        僕はまだ、腹の膨れない夢をみている。

          将来の夢

          こんな夜更けに、なんでこんなことをしてるのかどうやら、時間はあっという間に流れる。 時間をいたずらに浪費するのも罪かなと思う。 大人や偉い人が自分の将来のゴールや筋道を考えておけともいう。 このセオリーを僕は完全に認めているわけでもないのだが。 僕は怠惰な人間だ。 そんな僕が時間をなるべく無駄に使わないためには そういった「ゴール」や「筋道」について少し考えておくべきかもしれないと思った。 それはきっと僕の旅のしおりになるかなと思って。 サラリーマンとしてサラリーマン

          将来の夢

          苦渋だらけの1年だった

          「良いお年を。」 あ、そういえば、正月なんだなって気づく。 あ、あれから、1年か。 今年1年はどうだったかと物思いに耽る。 やりきれなかったことがたくさんある。 2021年にそれを置き去りにして、忘れたいという弱い気持ちもある。 でも、書かなくては、戒めなくては、と思い筆をとった。 去年の12月から職場が変わった。 本格的に責任を担いでソフトウェアエンジニアとして仕事を始めた。 ものすごく忙しかったし、プレッシャーに殴られまくった。 ワークライフバランスが

          苦渋だらけの1年だった

          綺麗事だけでは、腹は膨れない。

          僕の最近の友人には いわゆる「ビジネスの世界」に生きている人間が多い。 彼らは「お金」についてよく知っている。 近くにいると、自分の「お金」とか「〇〇主義」とか そういう社会の根幹を成している事について立ち返る機会が多い。 僕にとって「お金」は、どうしても俗っぽく映る時がある。 それは、僕の育った家庭なのか、社会なのか 日本に染み付いている宗教観念なのか... よくわからないんだけど「お金」を目の前にすると 身構えてしまう自分がいる。 そして、ひいてはお金

          綺麗事だけでは、腹は膨れない。

          引っ越し

          四年住んだ家を引っ越すことになった。 友人二人とシェアハウスをこれからする。 星野源のエッセイの「そして生活は続く」を思い出す。 生活はその人の写しだ。 ひとりっきりでトイレをする。 ひとりっきりで洗濯をする。 ひとりっきりで飯を食う。 ひとりっきりで片付けをする。 自分自身との邂逅の連続だ。 奥から潜んでいた埃がたくさん出てくる。 部屋にものがなくなって声が響くようになる。 「あぁ、これ結局使わなかったな」ってものがたくさん出てくる。 昔の自分を物を通じて

          引っ越し

          GUIは何をもたらしたか?

          友達から借りていた本を読了できず 途中で読み捨ててしまったので せめてのもの思いで、その供養を行います。 参考はコチラです。 UIとはユーザインターフェイスの略だ。 UIとはユーザと何かの境界、出入り口を表す。 例えば、ゲーム機であればコントローラとディスプレイ。 PCであれば、キーボードとディスプレイ。 そして、GUIは「グラフィカル」なUIだ。 一般的なスマホのアプリ、WEBのコンテンツ等はGUIを提供している。 では、GUIではないUIはどんなものが

          GUIは何をもたらしたか?

          プログラムコードのトラウマ。それと克服。

          プログラムは日本語でも英語でもない、独特のプログラミング言語というもので記述されます。 ソースコードは一般的に読みづらく、それを扱うことにはストレスやコストがかかります。 僕は以前、プログラムのソースコードを読むことが トラウマになってしまったことがあります。 でも、最近はそんなことはなく むしろ、日本語で説明されるより、ソースコードを読んだ方が早いとまで感じます。 なんで、そう感じることができるようになったのかな? と、思い、筆をとった次第です。 辛かった時

          プログラムコードのトラウマ。それと克服。

          一人だけで歌を歌い続けることができるだろうか

          以前、こんな話を友人とした。 「RADWIMPSってどこまで、自己満足(オナニー)で音楽してるんだろう?」 自己満足と承認について。 「これが好きだ!」とか 「これが綺麗だ!」とか どこまで、主張を一人で叫び続けることができるんだろう。 賛同者がいなければ、僕は叫び続ける自信がない... アーティストとか、芸術で生きている人にとって こういう話題は孕まれやすいが、 一般的な仕事にだって、こういう話題は当てはまると思う。 誰か:「自分のやってる仕事に自信を持

          一人だけで歌を歌い続けることができるだろうか