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僕はまだ、腹の膨れない夢をみている。


これは何?

最近、自分の過去を眺めるのが少しだけ上手になりました。

これまでの楽しかったこと、嫌だったこと。

それを落ち着いて鑑賞できるようになったように思います。

僕は、すべての人が美しい価値観・感性・考えを持っていると思います。

けど、次第に大人になるにつれて

自分が認めるものを握りしめることができなくなるように感じます。

それはとても寂しいことのように思います。

僕はいつまでも好きなものを信じていたいです。

これを、忘れたくないのです。

だから、これに纏わることを書き殴ってみようと思います。

僕が忘れてしまわないうちに。


コンピュータ


家族はコンピュータに疎かったし、ゲームも趣味じゃなかった。

そんな中、僕はコンピュータやゲームに無性に惹かれてしまった。

ところで、僕は、今、コンピュータに何をみているいるのだろう?

ノスタルジー?

理想?

スリル?

自由?

...よくわからない



インターネット観

そんなこんなで、インターネットがウチに来た。

ひたすらに駄々をこねくり回して、ようやく勝ち取ったんだ。

最初に僕が手を出したのは「メイプルストーリー」というオンラインゲームだ。知らない人とのコミュニケーションに新鮮さに心がときめいたのを覚えている。

ネットミュージックにもハマった。
ボーカロイドとかだ。今でもこれは大好きだ。

インターネットでは、いろんなコンテンツがタダで手が届いた。
無料なゲームセンターみたいなものだ。

そして、同じおもちゃで「知らない誰か」と遊んだ。

みんな、現実のヒエラルキーを取っ払って悠々自適に遊ぶ。

他に迎合することなく、自分の好きなものを選ぶ。

インターネットはやっぱり、今考えても特殊な場所だった。

自分の好きなものをたくさん共有できるものだから、
当然、現実の友達(そんなに多くはなかったが)や家族がつまらなくなる。

「この人達は俺のことをわかってくれる」

「この場所は俺を認めてくれる」

そんな風に、インターネットという場所を
現実と隔てて感じるようになった。

大体、それが10~16ぐらいの時だろうか...


不登校

当時はインターネット、コンピュータやゲームへの風当たりが強かった。

「顔の見えない相手」とのコミュニケーションが過剰に怖がられていたように気がする。

まぁ、そんなご時世だったので、俺の好きなものを認めてくれる
家族や社会はなく、寂しく痛い思いをしたことを覚えている。

僕は保育園から今に至るまで、大人数に混じることが苦手だ。
保育園でも泣いてばかりだったし、小学校でも初登校はぐずるし、
泣いてばっかりだった。

今思えば、そういう集団で明らかに表層するいじめはなかったものの

互いが牽制し合い睨み合い、自分が底辺層にならないための
マイルドないじめや競争は日常だった。

無作法な理論を振りかざす秩序のない教師。

「普通」であることが正しいと信じる親。

他に迎合してばかりで、自分を表現することをしないクラスメイト
(これは俺もできてなかったかもしれない)

誰も自分で選んでいないんだ。

そんなものは死んでいると同じだ。

そんな、淀んで気持ちよくない日常にインターネットが現れたものだから
僕は釘付けになった。学校にも行かなくなった。

もちろん、それをおいそれと認めてくれる社会ではなかった。

叔父や教師に殴られるし、家族には罵倒される、同世代の奴らは自然と遠のいていく。
僕と現実でつるむのは、お互いはみ出しもののヤンキーやオタク(僕はこっち)だけだった。

あの時は地獄だったなと感じる。
でも、「普通」になることは俺にはできなかった。
そんな器用な子じゃなかった。


自分を信じ続ける危うさ

インターネットやゲーム、音楽、好きなものは一人で見つけてきた。
それはとても寂しかった。

高校生の頃、もう一つ好きなものを見つけた

「アニメ」や「映画」だ。

僕の生活圏にはTSUTAYAがあった。

ふらっと寄ってみて、気になるのを一本借りてみた。

確か、「桐島、部活辞めるってよ」だったかな。

僕が表現することのできない「美しいもの」を映画は表現してくれた。

普通であることは正しいことか?

こういった哲学的な問いに対して、映画は一つの答えをくれた気がする。

映画は自分の美しいと信じる心を後押ししてくれて、自立させてくた。

僕は映画があったから、自分の信じる考えを取捨選択し

親や社会に汚染されずに済んだと思う。

映画と出会っていなければ、俺はもっと陳腐な人間になっていただろう。

アニメや映画、ゲームは僕に美しいものを見せてくれた。

僕はそれをずっと信仰し続けている。


夢・現実

それから、なんやかんやあって、どうにかこうにか
大好きだったコンピュータと触れ合ってご飯を食べています。

プログラマの仕事は楽しいです。

ただ、たまに面倒なこと、楽しくないこともあります。

好きなものだけではお腹が膨れないというのは考えものですね。

大人になろうとする人は、自分の夢から醒めて

現実と歪な形で向き合って腐っていきます。

そういう人たちは楽しそうじゃないんです。輝いて見えないんです。

僕は夢を見ています。

どうか、起こさないで欲しいです。

そんな陳腐なものを僕の目の前に出さないでください。

今のところ、理性というものが人にはあると信じています。

腹の膨れない夢を僕は見ています。

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