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綺麗事だけでは、腹は膨れない。

僕の最近の友人には

いわゆる「ビジネスの世界」に生きている人間が多い。

彼らは「お金」についてよく知っている。

近くにいると、自分の「お金」とか「〇〇主義」とか

そういう社会の根幹を成している事について立ち返る機会が多い。


僕にとって「お金」は、どうしても俗っぽく映る時がある。

それは、僕の育った家庭なのか、社会なのか

日本に染み付いている宗教観念なのか...

よくわからないんだけど「お金」を目の前にすると

身構えてしまう自分がいる。


そして、ひいてはお金を過剰に欲しがる人や

お金に固執している人に対しても

「お金のために人を売る」なんて。

少し懐疑的な立場をとってしまうことがある。


「お金」は僕にとって、たまに邪なものに見えてしまうことがある。

だから、たまに「絵空事」を語ってしまうことがある。

よくない癖だ。


絵空事は綺麗に聞こえるが、その実はハリボテにすぎない。

「あったらいいな。」を語るだけで

その成し方については放っておくのだ。


ダサッ。


僕は、資本主義に大賛成というわけでもないが、

それによってもたらされているものを享受している。

全てを否定するつもりはないが、嫌いなところがある。といった塩梅だ。


今日、僕は家具屋にいった。

誰かが考えて、誰かが部品を作ってくれて、誰かがその店舗まで運んでくれたものを買った。

欲しい家具を手に入れるために、デザインを考える必要もなければ、材料を調達する必要もない。

資本主義も悪くないな。と思う。


では、僕も「夢」だの、「心」だの言ってないで

お金を稼ぐマシンになった方がいいじゃないか。という考えになる。


うーん。

結局は「バランス」という言葉に落ち着くのだろうか。

スッキリしない。

思考の糸が絡まっているイメージ。


コンピュータから飛び出て、現実の問題やモヤモヤを考えると

考えが絡まってしまう。

もう少し考える力が欲しい。


ただ、最近、綺麗事だけでは、誰も救えないし

(見ず知らずの人を救いたいとはおもわないが)

自分の描いた妄想に自分が潰されてしまうことをなんとなく感じた。





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