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トライアスロンを始めるまで

スポーツ歴という程のものではないけど

小さい頃は父親に山登りに連れて行ってもらっていた。そのお陰で長い距離を歩く事は割りと好きだった。小学生の頃は夏休みに1週間のスイミングスクールの講習に数年間通っていて、そこで水泳を覚えた。水泳も長く泳ぐのが好きだった。短距離を走るのは全くだめで、運動会では活躍できなかったが、冬にあった持久走大会は得意だった。
中学生の時は水泳部に所属していたが、大会に出れるほどには早くなかった。陸上同好会にも所属していて主に中長距離担当だったけれども大会で活躍できるレベルではなく、校内マラソン大会で活躍するレベルだった。
高校は帰宅部だったが、走るのが好きだったので帰宅ランニング部と自称して、学校から毎日6キロぐらい走って帰っていた。一度フルマラソンに挑戦して3時間40分で完走した。この時は「1年間でフルマラソンが走れる方法」、という本があったので、それを参考にしてトレーニングをした。また、当時今のトレランの走りのランニング登山というのが日本にも入ってきていて、近くの低山を走りに行っていた。
大学入学時に定期代の4年分よりも安いからと親と交渉してロードバイクを買ってもらった。10万円のブリジストンのクロモリだった。大学はどこの駅からも遠い不便な丘の上にあったので、電車とバスの乗り継ぎだと1時間以上かかった。場所は自宅から12キロのところにあったので、自転車なら30分で行けた。ヘルメットも被らずに国道を走ってたので、良く一度も事故にならなかったのだと思う。当時は道が今ほどきれいではなかったのでしょっちゅうパンクしていた。夏はプールの監視員のバイトの救助訓練で水泳は鍛えられていたが、監視員の中では早い方ではなかった。当時トライアスロンが日本にも入ってきていたが、自分が大会にでることは全く考えていなかった。
社会人になってからウインドサーフィンを始め、他のスポーツはあまりしなくなったが、昼休みにジョギングぐらいはしていて、25歳の頃にフルマラソンに再度挑戦して高校生の時と同じタイムの3時間40分で完走した。
結婚して子供が生まれ、海から遠いところに引っ越したのでウインドサーフィンには段々行けなくなり、仕事も忙しくなったのでスポーツとはほぼ無縁の生活を続けていた。
仕事を一緒にしていた人が昔乗っていた片倉シルクのランドナーを持っていて部屋に飾っていたのだが、なぜかこれを譲ってくれた。このランドナーをレストアして乗るようになり、週末はサイクリングをするようになった。住んでいる近くには公営プールがあったので、サイクリングに行けない日にはたまに泳ぐようになったが、この頃は1キロも泳ぐとヘトヘトになっていた。

走り始めたきっかけ

40歳の頃から段々と体重が増えてきた。体重が70キロになった時に、このままでは中年太りのオヤジの出来上がりになってしまう、と危機感を覚え、たまに夜に走る事にした。走り始めの頃は5キロも走れなかったが、段々と距離は伸びて10キロぐらいなら毎晩走れるようになった。体重も65キロに落ちた。

ロードバイクデビュー

週末は自転車も良く乗るようになったのだが、数十年使われたスプロケットが摩耗してきたので、ついでに新しくホイールも買おうかと思って久しぶりに自転車雑誌を見たら、時代が変わっていた。ダブルレバーのロードバイクなどほぼなく、古いランドナーの5段しかないホイールはもう売っていなくて、リアの幅も120mmから130mmに広がっていて後ろのギアは11段になっていた。11段のホイールを入れるにはリアの幅を広げなければいけないのだが、そんな技術もない。しばらく古いバイクを乗り続けようか、新しいバイクを買おうか悩んでいたが、結局新しいロードバイクを買うことにした。

そしてトライアスロン

週末はサイクリングとたまに水泳、夜はジョギング、という生活をしばらく続けていたが、ある時これってトライアスロンじゃね?と思った。それまでトライアスロンには全く興味がなかったのだが、調べてみたら色々な大会があるのが分かった。高校生の時に出たマラソン大会が千葉県館山の若潮マラソンだったので、最初のトライアスロンも館山が良いと思い、館山トライアスロンにエントリーしたのが49歳の時だった。

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