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盲目の老女はなにをみていたのか。

 Rintrik あるいは射抜かれた心臓 交差/横断するテキスト:ミステリーとミスティカルのあいだで phase1


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2020年12月20日に閉館してしまう「Hotel CLASKA」
ここでは、二度イベントをさせてもらったり
即興演劇を見たり、
知り合いが結婚式を挙げたり。
実に思い出深い場所だった。
(以前は、ホテルニューメグロといい、女子プロレスの興行などが行われていた)。

その場所で、利賀村にゆかりの深い演出家が公演をするのでいっしょに行きませんかと、知り合いからお誘いを受けた。
それが「Rintrik〜」である。
CLASKAでのこうした公演はこれが最後だとも聞く。

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Rintrikとは女性の名前である。
そしてこの物語には、
ジャワのケジャウェンという精神的な教えをルーツにもつとされる
神秘主義的な作家・ダナルトという人物が書いた原作がある。

この、社会的、文化的、宗教的文脈や価値観のまったく異なる
この作家のテキストを
演出家の矢野氏が丹念に翻訳するところから始め、
他者理解の可能性と生と死、あるいはアジア文学における女性の描かれ方について、舞台制作を通じて探求を試みたのだという。

このあたりからすでに様相が難解である。
そこにさらに、長期国債共同制作プロジェクト「交差/横断するテキスト:ミステリーとミスティカルのあいだで phase1」というレイヤーが被さってくる。
これはジャカルタを拠点とするLab Teater Ciputatのバンバン・プリハジ氏と公演を主催する一般財団法人shelfの矢野靖人氏との三年間にわたる長期プロジェクトのフェーズ1だというのだ。
アーツカウンシル東京の助成が入っているので、ある種、公益性も帯びている。

いやいや、とてもじゃないが、いきなりはわからない。

物語自体、摩訶不思議である。その上、スズキメソッドトレーニングで学んだという矢野氏の演出はまさに鈴木忠志のそれを思わせ、見る者に緊張感を強いる。

パンフレットから物語の概要を引用しよう。


かつてとても美しかった谷があった。若い恋人たちや旅行者の多くが
訪れたその谷は、しかしいつの頃からか若い恋人たちが生まれたばかりの
自分たちの赤ん坊を投げ捨てに来る場所となってしまった。それも日に20体、30体という赤ん坊の遺体が投げ捨てられるようになった。
あるときふらりと現れてその谷に住まうようになった盲目の老女リントリク。彼女は雨の日も嵐の日もただ捨てられた赤ん坊を拾い埋葬し続けた。最初は彼女の存在を恐れた
村人たちもいつしか彼女を畏れ敬うようになっていった。夜、一人の若者がリントリクのもとに赤ん坊を抱えて訪ねてくる。
その赤ん坊を若者は埋葬してくれとリントリクに願う。その後、その赤ん坊の母親である若い娘と、娘の父親である猟師が現れ…


役者と観客との間には、ソーシャルディスタンスが設定され、
台詞もどこか抑えられた抑揚で発せられる。
舞台上の身体的な接触は極力抑えられ、
喚起のために開けられた窓からは、目黒通りの騒音が飛び込んでくる。
鑑賞者は消毒とマスクが必須である。

難解な物語、緊張感のある演出、距離感、息づかいを失ってしまった台詞たち、そして感情の行き場を奪い取るマスク。
リアルなのに隔たった「場」。

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今から思うとそれは、後日見たドミニク・チェンさんの展示
「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」の世界観を予見したかの如く体験していたのかもしれなかった。


#art


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