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輝いて生きるということは、働くことなのか。

こんにちは。
病弱メンタルで会社員ができない自称文筆家の専業主婦、鷹野いづみです。

娘と一緒にクレヨンハウスのブッククラブ「絵本の本棚」に入会し、娘の絵本と私用の本が届きました。

2冊届いた絵本は無事娘に刺さり、特に「ぴょーん」は毎日何回も読み聞かせています。

私には小手鞠るいさんの「答えは旅の中にある」という小説が届きました。
15歳前後の少年少女が主人公で、爽やかな読み心地だったと思います。

少し気になったのは「菜食主義」「働くかっこいい母親」というキーワードや「北朝鮮がミサイルを打ってくるのは過去に日本が悪いことをしたから」という文章が見えたことでしょうか。

これ自体は悪くはありませんし、10代の少年少女が思想的に右でも左でも強めに振れることはよくあることだと思います。
勉強や経験の中で思想は中道になっていくのだと思いますし。

ただ、このようなキーワードや思想が出てくる本が毎度きたらちょっと嫌だな〜と思ったんですよね。

というわけで、私は様子見です。
ということを夫に話して、ちょっと議論になったので文章にしてみます。


専業主婦である権利も認めて欲しい

女性の権利を謳う時、「女性も働きやすい社会にすべきだ」が1番メジャーかなと思うのですが、同時に専業主婦である権利も認めて欲しいなと思います。

働く女性がかっこいい、仕事と家庭を両立するのが女性の幸せ。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
それはたぶん個人によって変わる。

私は一度うつ病になり(大きくはなくても上下の波があるということで、双極性障害のつもりで治療しましょうということになったのですが)働くことがとても下手になりました。

すごく疲れやすくて、誰も何も悪くないのに辛くなって出社したくないと涙が出たり、家事がからっきしにできなくなったりします。

そんな私は現在「働かない」=「専業主婦」の選択をしています。
病気だけではなく、性格上働くことが合わない人もいることと思います。
そんな私たち(と勝手に代表して良いものかはわかりませんが)には、「働いて輝こう」的な昨今の流れは辛いものがあります。

働かなくても輝いてて良いじゃないと思うのです。
そりゃ夫と離婚してしまえば私は収入がないので貧困ルートにはなりますし、そうならないために夫との力関係が対等でない時もあるのかもしれません。

ただ、離婚においては可能性の話ですし、現実としては私は働けないのだから誰かの保護下にはいるしかないわけです。
現状には私も夫も納得しています。

それを「女性に自由がない」的なフレーズで否定はされたくないな〜と思っています。

専業主婦にも良いところがあるから広まったはず

ただ、私が私に「専業主婦でいる権利」を認めろと主張するならば、男性にも「専業主夫でいる権利」を認めろとも主張するべきだと思います。
働けなかったり、働くことに向かない人がいるのは女性だけではないのですから。

それに叩かれることもある専業主婦ですが、合理的な部分もあるから選択されてきた歴史があるはずです。

1日8時間以上働くことを正社員の当然とするのなら、やはり家庭を回してくれる人が欲しいものです。
夫はフルリモートワークですが、それでも家事をする時間はなかなかありません。
出社が必要な方は言わずもがな。家事をするのはほぼ不可能では?

男性も家事をと言われますが、実現するには仕事の時間や通勤時間が短くなる必要があります。
家事をするには時間と体力が必要だからです。

家事と収入。
どちらも完璧とはいきません。

家が散らかってしまうこと、夕食にお惣菜が出てくることを許容するか、仕事を減らして収入減を許容するかの二択です。
なんだか究極の選択ですね。

出産できるのが女性である以上…

体内で命を育み出産するのが女性である以上、女性はどこかでまとまって仕事を休まなくてはなりません。
休みから戻ってきた女性と評価や給与が全く同じだったら、休まずずっと働いていた男性は損した気分になると思います。

そうなれば、一度女性の給与の上昇が足踏みするのは仕方ないことと言わざるを得ませんし、男性女性どちらが家庭を引き受けるかとなれば女性の方が適任と言われやすいでしょう。

もし出産後に体調が思わしくなく女性が働けなくなる危険性を考えれば、男性はより仕事にコミットしておこうと考えるかもしれません。

命が生まれる時、休まず働くことによって男性は家庭を支えようとするのではないでしょうか。
それが正しいか、ちょっと間違っているかは各家庭によって違うので話し合いが必要になるのですが。

たぶん、ここらへんを前提に「だから女性は仕事ができない」とか「男性だから働けて当たり前」とか極論が出てくるのが問題なのでしょう。

女性にはちょっと休まないといけない時期がどうしてもあるけど、能力は男性も女性も変わらない。
だったら休まない男性の方がいったんは評価されるよね、て感じでしょうか。

話はズレたけど、言いたいことは。

言いたいことは「働く自由」が認められるなら「働かない自由」というか役目も認めて欲しいということです。

私は結局何年もまともには働いていませんから、正社員として働く女性の気持ちは分かりません。
同じ女性なのにです。

でも、バリバリ働けている女性は精神疾患になって働けなくなった私の気持ちがわらかないでしょう。
想像してみることはできますが、完璧にお互いを理解わかることは無理です。

だから、私たちにできることは「私の権利を自由を認めて欲しいから、あなたの権利と自由も認めるね」ということくらいなのだと思います。

あと、「弱者に優しい社会にしておくと、トラブルに見舞われて弱者になってしまった時に自分も生きやすいですよ」とも言っておきたいですね。

現状日本には余裕がなくなってきているという情報ばかり出回っていますからピリピリしてしまいますが、優しくして欲しければ自分も他人に優しくなければいけません。

自分に何かあったときに助けてもらうには、日頃から助けてあげられる人でなければなりません。

自分に余裕が欲しいなら、他者にも余裕を認めなくてはなりません。
自分ばっかり得はできません。

まとめ

いろんな人に優しい社会になれば良いなと私は思っています。

とりあえず、私は男性も女性もフルタイムで働いて子育てもするとなれば、1日8時間じゃなくて6時間勤務が妥当だと思うんですけどね。
夫はそこを短くしても結局残業できる人がしてその人が評価されるから変わらないと言っていましたが。

いろんな職場があると良いですね。
給料は少々安いけど労働時間は短くて良い。
労働時間は長いけど、一馬力で家庭を支えられるくらい収入がもらえる。
(どっちも正社員です)

その時の状況や、自分の性格や体力に合わせて好きな時に移動できるともっと良い。

これからどんな社会になっていくのでしょうね。
社会を作っていくって、どんなことをすれば良いのでしょう。
選挙だけではなんだか心もとない。

多くの人が、人に優しくあれる余裕のある社会になれば嬉しいんですけど。

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