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2020.11.3(火)日清パワーステーションの「復活」に想う

文化の日。近所の公園も商店街も、以前に比べて人出が多い気がする。みんな遠出せずなるべく近場で遊ぶようになってきているのか。仕事柄、移動のし過ぎで疲れていた去年までの自分をふと振り返る。コロナにも功罪・ポジとネガがある。個人的には、しばらく身の回りを見つめ直す時間が持てたのはありがたいコロナの「功」の一つだと感じてる。

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僕がデビューライブで出演したライブハウス・日清パワーステーション復活のニュースを知って、思わず「おお〜」と唸る。その後も何度となくステージに立って、想い出深いシーンがたくさん残る会場。

パワステは1988年3月、僕がデビューした半年前に開業した。1988年は昭和最後の年で、他にも東京ドームやJ-WAVEなど90年代のJ-POP文化の象徴的な存在が次々と産声を上げている。開発元のSONYが先陣を切って、アナログレコードからCDへの世代交代が本格的に始まった年でもあった。

会場名に「日清」という企業名が入っているのは、今思えば後の「CCレモンホール」「ヤフオクドーム」などネーミングライツビジネスのアイデアの元になっているのかもしれない。1階席はスタンディング、2階席は着席で食事もできるという作りの会場で、キャパもちょうどよかった。

年号が変わるといつも、示し合わせたように時代は一気に舵を切るのが不思議だ。 昭和が平成になり、レコードがCDになり、泥臭いライブハウスが企業のイメージアップのための洗練された空間になり、80年代のニューミュージックと歌謡曲とロックは統合されて大衆的な(産業的な)J-POPになっていった。渦中にいた自分は戸惑いながらもその変化の波に飲み込まれて、時に溺れそうになりながら、J-POPの黎明期を泳いでいた。

かつて70年代には歌謡曲へのカウンターとして、海外のSSW、ポップスや黒人音楽のマナーを昇華したニューミュージック(≒ シティポップ)が登場した。同様に、90年代に世界の都市が共振したクラブカルチャー(DJ文化)への東京からの回答として自然発生したのが、後に「渋谷系」と呼ばれたムーブメントだ。

僕はと言えば、J-POPと渋谷系の間を行き来しつつ、いつも自分の居場所が見つからない感じだった。なぜなら、90年代は自分の根っこにあったYMO周りの80年代カルチャーが、過去のものとしてすっかり忘れ去られていた時代だったから。あの頃は打ち込み系といえば「小室サウンド」だった。


....ちょっと脱線しすぎた。そんな思い出のパワステが22年ぶりに復活のニュース。閉店からから22年も経っていたのも驚きだし、そのタイミングがCDバブルのピークだった98年なのは象徴的だとあらためて思う。

記事を詳しく読むと、【日本初の配信特化型ライブハウス「日清食品 POWER STATION[REBOOT]」として11/21にオープン。ステージに設置した透過型LEDバックパネルやLEDフロアパネルに視聴者のチャットが映し出され、ファンの熱量をアーティストに伝える】んだそう。僕があまり通過してこなかった「ニコニコ動画」由来の文化。*画像はイメージです*

ちなみに、近年配信で大きな利益を上げている音楽系のアーティストは、VTuber(ヴァーチャルユーチューバー、アニメキャラ+人の声によるキャラクター)、アイドル、アニソン、ボカロP(ボーカロイド・プロデューサー、打ち込みとボーカロイドの合成音声で歌もののポップスを作るクリエイター)など。*写真は有料配信プラットフォーム「SHOWROOM」の月間ランキング。

全期間のランキング1位・2位を独占しているのは「バーチャルジャニーズ」の二人だった。【海堂 飛鳥、苺谷 星空の2名がジャニーズ初のバーチャルアイドルとして活動開始。「SHOWROOM」で生配信をしています。】
知らなかったな〜


新生パワステはそんな、配信で人気のある層にターゲットを絞っている。【VTuberがモーションキャプチャスタジオから「日清食品 POWER STATION [REBOOT]」のステージに出演することも可能。VTuberやアニソン歌手、ボカロPなど、さまざまなジャンルの音楽に触れられるライブハウス】とのこと。

照らし合わせるといろいろなことが見えてくる。1988年の開業当初は「これからはCDとJ-POPの時代」との見込みから「日清」のイメージアップのためにマーケティング戦略的に作られた会場ということだったんだろう。(ただし今と違って、当時ライブはCDセールスのための宣伝イベントという側面が強かった。パワステ閉鎖以降の2000年〜2019年はCDが売れなくなって、ライブが音楽の売上のメインになった)

たしかに、巣ごもりして家でラーメンを食べながら配信を熱心に見ている図は想像できるし、実際、そんな市場調査結果を元に、今・パワステ復活!という商機が見いだされたということなのかもしれない。

2020年の今はライブに限らず、あらゆるイベントの成り立ちが1988年とは違う。1988年はネットはおろか、携帯やパソコンを使う人も限られていた。今はネットの蜘蛛の巣の末端にありとあらゆるジャンルの同好の士が集まって、他の世界を知らないままそれぞれが大きなコミュニティを作っている(そんな世界の認識のズレが現代の分断の要因の一つにもなっている)。

近年、テレビには全く出てこないアイドルや声優グループやボカロPが東京ドームワンマンを成功させているという噂をよく聞いていた。今しばらくはリアルな会場に人を集めることはできない。そんな、ネット・動画を中心に活動する人気アーティストの受け皿としてのバーチャルライブハウス、もしくは音楽専門配信スタジオに「パワーステーション[REBOOT]」という名前をつけた、ということであって、伝説のライブハウスがそのまま復活したわけじゃない。

ちなみに下の写真は、1994年のMr.Childrenとのイベントの時に会場で配られた非売品の8センチCD。「雑誌とラジオとライブのトライアングル・パワー!」というワードに90年代半ばのJ-POPを象徴する全てがつまっている。CDには当時のミスチルの所属レーベル・TOY'S FACTORYのクレジットがあるが、僕のいた東芝EMIのクレジットはない。

このサイズのCDを再生できるプレイヤーがないので中身が何なのかは確認できない(トーク?ライブ音源?)。ミスチルとの2マンライブを渋谷公会堂でやった記憶はあるけれど、このCDがどういう形で絡んでいたのかは、もう思い出せない。

多分、パワステが続けていた「Power Antena」というイベントの拡大版として、このミスチルとの2マンイベントが開かれたんだと思う。


復活したパワステのステージに自分が立つことを想像してみた。ギンギンのLEDの照明に照らされて、何を歌おうか?
スクリーンには「888888888」「wwwwwwwwwww」の文字が流れて...

.......もし、そういうギンギンの音楽をやりたくなったら、その時はお世話になるかもしれない(笑)

つまり、時は流れた、ということだ。


*ミスチルとのイベントのことは、ここに詳しく書いています




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