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できる、できないは別にして、理想の教育制度を語ろう14


*magenta-hikari様のコメント(3/17)

樹さん、様々なことを考えさせてもらえるnoteをありがとうございます。
次世代を担う子供達の上の世代、親、親の親の世代の人間が、
まずは自己肯定感を高められるようになるといいですね。
もっと、自らを受容し、自分のあらゆる部分そのままの姿に、
誇りをもっていいと思います。
また、”スタンダード”以外の人間を除外する排他的な見方を他者・自らにすることなく、広い視野と価値観が持てるようになるといいですね。
そのことが、子供達のありのままを大人が認められること、
社会の多様性に通じると、私も思います。

英語教育に日本は熱心なようですが、
私は何より、母語・母国語の取得に加えて、
母国文化理解がグローバリズムに必須だと思います。
そして、人間力が高いことも。
文科省は英語教育をさらに導入していこうとしていますが、
どうなっていくのでしょうね・・・。

追記(3/17)
樹さん、お分かりづらかったですよね、付け足します。
自分の母国を「母国を形成する人間としての姿勢をもって」、
つまり自らのものとして理解することがグローバリズムに必須、だと
私は考えています。

追記(3/19)
なるほど、個人の人生においても“マジョリティ”であろうとする人が多いというのは、日本人の特徴でもありますね。(突き抜けた存在とならないよう、育てられがちですし)

良い点は、最初から変えようがない、人種・肌の色で差別し合うケースが少ないということでしょうか。これらに起因するいじめなどは、陰湿かつ完全解決が困難ですから。

追記(3/21)
「第二次世界大戦の無力感、罪悪感を引きずっているところがある」というポイント、非常に鋭いご指摘だと思います。私も同意です。
負と感じる経験を未来の発展に昇華するエネルギーが、まだ溜まりきっていないのでしょうか。または、現状に依存しちゃっているのかな。
広く目を広げると、もっと色々な歴史や現状を背負っている地も世界にはあるのです。日本の近隣国の外交手腕、文化の取り入れ方などをみると、その方法の是非はともかく、フットワークの良さと切換えのタイミングは参考になるかなと思います。
文化的にも、日本は新たな展開への過渡期なのでしょうね。
壮年層より上の世代は年功序列社会にどっぷりだったのが、国力の向上と情報機器などの発達により、世界へのアクセスが簡単になり、人々の価値観も広がりました。そのギャップが顕著だと思います。
「お上」に従うことが上手なのは、ニホンジンの長所でもあり、短所かもしれませんね。樹さんがおっしゃるように、社会はその地に暮らす人間が形成するものという認識が必要ですね。


*小鳥遊 樹のコメント


magenta-hikari様、いつも素敵なコメントをありがとうございます。

敗戦後20年ほど経ってから生まれた私は、
多動性の問題児で、元祖不登校でした。
癇癪ばかり起こして、泣いたり怒ったりしていたのを覚えています。

「お前が何か問題を起こしたら、
公務員であるお父さんの首が飛ぶんだからね。」
そう、母親に脅されながら育ちました。

脅かされ、人目を気にしているうちに、
自分の翼がどこにあるのか、
人って分からなくなってしまうものですね。

自分ではものすごく我慢して、
親の言う通りに、きちんと一生懸命生きていたつもりだったのに、
私にかけられた父親の最後の言葉も酷いものでした。
どんなに親の言いつけ通りに生きても、
うまくいかないことは自分が責任を取らなければいけません。

だったら、自分の好きなことでたくさん挑戦をして、
失敗をして、自分の選択に責任を持つ人生を歩んだほうが良いのです。
親は自分より先にいなくなってしまいますから。
そう確信したのは半世紀を過ぎてからでした。

だから私は、大人・子どもにかかわらず、
素質を認められないで苦しんでいる人に会うと、
どうにか鳥かごに気がつく術はないだろうかと思ってしまいます。
自分の様な苦しい思いをさせたくないと。

ただ、今ならわかるのですが、
私たちの親の世代は、第二次世界大戦の最中に小中学生でした。
お金もない、食べ物もない、命の保証もない、
1日にして価値観が真逆にも変わります。
幼い頃に理不尽な罵倒や暴力、
不当な扱いを当たり前に受けて育った時代です。

そんな究極を幼少期に体験した彼らに、
筋の通った話を要求すること自体が難しい。
彼らは彼らでただ一生懸命生きて、
そして報われなかったんだろうなぁと、
やっとこの頃になって理解できるようになりました。

学校の先生も同じですね。
自分たちは体罰が横行する真っ只中で育てられ、
大人になって教員になり、
同じように生徒に対応すれば、体罰禁止と問題視されます。

私たちは誰もが皆、自己肯定感を高めにくい時代に育ちました。
そして今は今で、
限られた狭い枠に入るために、
資質を無視した受験戦争に巻き込まれている子どもたちは、
やはり自己肯定感を高めにくい育てられ方をしています。

ほとんど全ての人に劣等感がもたらされる
(学校の勉強ができる子はできる子でさらに上を望まれるので)、
今の教育システムのままで良いわけがありません。

健康寿命が飛躍的に伸びて、
私たちの年代は、
自己肯定感を高める旅に再チャレンジする機会を与えられています。
これから定年を迎える世代が、
好きなように生きろ。それが一番幸せにつながる。
そう言ってあげられなかったら、変わるものも変えられなくなってしまう。

誰が悪いのでもない、誰の責任でもない、
これからみんなで幸せに向かうために、
多くの失敗を経験したのだと言えるようになりたいです。
自分の人生も、社会も、国も、世界も。

“自分のあらゆる部分そのままの姿に誇りをもち”
“自分の母国を自らのものとして理解することがグローバリズムに必須”
magenta-hikari様のおっしゃる通りだと思います。

自分で望んで生まれたのではなくても、
自分の思う通りの学歴や職歴が積めなかったとしても、
自分の理想の容姿や性格が手に入らなくても、
自分の満足する環境に生活できなくても、

人は自分に誇りと自信と勇気を持って、
自分と周囲と社会と母国を大切に、
みんなの幸せを願って良いのです。
それが自分を一番幸せにする方法なのだと、
みんなが理解する時が必ず来ます。

どんなに頑張っても、我慢しても、
どんなに一生懸命でも、尽くしてもまだ足りないのか?と
自分で思っているうちは、幸せになれないですよね。
なんのための劣等感なのか、自分をしっかり見つめなくては。

私は私をちゃんと幸せにします。
胸を張って誰もがそう言える世の中を作りたいのです。
好きなことをやって、楽しんで幸せになれる権利がある。
国も同じです。歴史を昇華して前に進む。
そのためにきちんと理解する必要もあるのでしょう。
人間は理性のコントロールができないと、
大きな過ちを犯す動物なのだと。

どんなにきちんとしていても、
自分ではものを考えず、安易に大多数に従ってしまったら、
誰か特定の個人にとって都合の良い様に未来を決められてしまう。

私たちはもっと自分を大切にして愛してあげなくてはいけない。
自分のために生きて良いんだよ。って、
お互いに言える社会にしたいですね。

思考のキッカケをありがとうございます。

今日もおかげ様 🙏

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