できる、できないは別にして、理想の教育制度を語ろう10
*こーぞー(松永幸三) 様のコメント
学生は教育実習の事前指導で,実習先では「教員採用選考検査(教採)を受けます」と言いなさい,と指導されます。仮に「一度会社に勤めて,その後教採を受けます」なんて言っても,実習先の先生ほぼ全員がいい顔をしないでしょう。
教員志望の学生が社会経験を積むなら,大学を出た後に民間企業に勤め,3年後くらいに教採を受けるとかがいいんでしょうか。しかし,その民間企業もかわいそうですけどね。なんなら契約社員がいいでしょうか。
*小鳥遊 樹のコメント
こーぞー(松永幸三)様、コメントありがとうございます。
考える機会を頂き、とても有り難いです。
感謝致します。
私も教育実習の際、同じ様に指導をされました。
理由は、時間を割いて指導をしてくださる自習先に、
失礼だという理由だったかと思います。
それもよく考えてみれば不思議な話で、
実習は、得た知識を実際に現場で使ってみるから実習なのです。
実習をしてみて気がつく事ってたくさんあります。
必ずしも無理なことを克服するための実習ではありません。
適性がないのに頑張ってしまうことの方が、弊害があると私は考えます。
人生は、やってみて初めて分かることがほとんど。
実習をやってみて、教職が向いていないと思ったら、
「本当に自分のやりたいことは何なのかを考えてみる機会があって良かったね。」
と、大人から言ってもらえる空気が欲しい。
そう、認識が変わる様に祈りたいです。
「皆さんはこれから実習に行きますが、
教職は子どもの人生を左右する大切なお仕事です。
自分に向いている職業かどうか、しっかり見極めてくることが大切ですよ。」
そう言ってあげてこそ、人生の先輩だと思うのです。
実習を受けた学生が、新卒で教採を受けないと許さないという空気が、
もし本当にあるならば、その方が不思議です。
実際には、教員採用率を上げたい大学側の思惑だったりするかも知れません。
人生の経験不足から現場で躓く先生を多く見ている先生方が、
本当にそう思っているのなら、逆に訳をお聞きしたいと思います。
「そこは冷静に見極めろよ。」と言ってあげられる大人が、
周囲にたくさんいる世の中であって欲しいですね。
教育学部に行ったからと言って、
先生にならなければ失敗だとか負けだとかなんてこと全然ありません。
そのあとの人生を好きなことをして楽しく生きるために、
その経験が必要だったんだなと思うべきなのです。
これは、何でもそうですよね。
法学部に行ったから法律の専門家にならなければいけないわけではなく、
美大に行ったのにアーティストになれなかったと劣等感を持つ必要はない。
学びは、何度でもいろんなことを学べばよく、
都度、自分のイメージを形にするために一生懸命努力すれば良いのです。
10の学びが必要だと思ったら、
10の学びを終えた先に自分がイメージしたい形があるのだと思えば大丈夫。
50年かけないと、自分の形にしたい理想が分からない。
そんなことだってあるのですから。
話を元に戻しますが、民間の企業と違って、
公立の学校は自分たちが払うお金で成り立っているのです。
誰に向けての申し訳ないかを冷静に考える必要があります。
失敗を経験する場は人生において必要です。
もしも、薄々向いていないと感づいていながら、
試験の点数が取れるというだけで教採を受けて、
職につけば、そのほうが問題としては大きいのです。
いろんな意味で、先生は子ども達の人生を左右しますから。
いろんな経験があって、ちゃんと資質を分かる方が良い。
資質が見えなくても、包み込む度量がある方が良い。
挫折や失敗をいっぱい経験している先生の方が頼りになるのです。
ずっと躓くことなく、人生を走ってしまうと、
なぜ出来ないのか、どうして理解できないのか?
どうしてそんな行動に出るのか、分からないことが多いですから。
自分が出来ることを人ができないと、
人は他人を責めてしまいがちです。
それが教育の場で、子どもに向けられると、
子どもは追い詰められてしまいます。
昔は便利ではなかった分だけ、経験値が積めました。
生活の技術も、知恵も、遊びも、人間関係も。
でも今は、学歴を積むためには、
勉強だけ頑張りなさいと言われるので、
実際に教壇に立ってから、
子どもや親や管理職とのコミュニケーションが、
まとまって何十人分も一緒に来たら、
ノイローゼになって不登校になる先生方が
いらっしゃるのも無理はないと思います。
また、先生方が起こす事件は大きく取り上げられることが多いのですが、
あんなに指導熱心な先生が何故?という言葉はよく聞かれます。
ホントに、そんなくだらないことで人生を棒に振りますか?
という事件がたくさんあります。
真面目で指導熱心だからこそ、
気がつかないうちに心をすり減らしてしまう負担の大きい仕事なのだと、
もっと先生方に対して思いやりを持つ必要があると思うのです。
真面目で熱心であることをずっと要求されてきたからこそ、
最初に起こした実験や冒険が、
人生を台無しにするものだったりもするのです。
そもそもいっぺんに見る生徒の数が多すぎます。
昔は45人いた!と言われますが、
昔は先生に口答えなんかすればビンタが飛んできましたから、
人数が多くても回っていたのです。
でも、今の子ども達はカスタマイズした人生を生きています。
自分の好きなものを見て好きなことをし、好きな服を着る。
そんな多様化に対応するのに、
一人の先生につき10人でも多いと私は感じます。
私は、昨年から教室の定員を10人から8人に減らしました。
一人ひとりの要求するものが、より多様化していることが理由です。
今の子ども達ってテレビを見なくなりました。
だからテレビの話を共通でするってできない。
そんなふうに、
それぞれの好みや思いを聞くのに時間がかかるのです。
良質な教育をして、
一人一人の資質を伸ばさなければいけない時代が来ています。
25人を一人で8時間見て下さいとか、
先生達の能力が高いというだけで、
そんな過酷なことを強いるのは、
結局、自分たちの社会の首を絞めていることになります。
そこにはもっといろんな人が関わっていくべきと感じるという部分は
magenta-hikari様のコメントに、後日続けたいと思います。
教員志望の学生の社会経験の積み方については、
ぜひ多くの企業にいろんな奨学金制度を出して、
経験値を積む仕掛けを創造して欲しいと思います。
面倒とか負担が大きいとかの視点ではなく、
どうすれば社会を生き生きと創っていく人材を育てることの出来る、
リーダーやメンターが育つのかという視点で楽しんで欲しいですね。
それを積極的にすることが、時代を担っている大人の責任だ。
そんな意識の切り替えが必要になっているのだと感じます。
楽しい思考の時間でした。
コメントを出していただき感謝申し上げます。
今日もおかげ様🙏
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