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キングオブ老害世代になるのが確定的な40歳前後の人々は、誰から、何を学ぶべきなのか?

大反響だった前回記事

前回の記事、「老害」を人口視点で分析したら、今の40歳がキングオブ老害世代だと判明したは、各所で反響を頂いた。
それなりに準備をして書いた記事だったので、賛同であれ批判であれ、反響は素直に嬉しい。今回は、そこで得た気づきなど含め書いていきたい。

念のため、前回記事の前半の内容を簡単に触れると、

人口動態の視点から、「老害」という問題を
”エルダーの人口ボリュームが若い世代を大幅に上回っている状態
(その結果、供給サイド、需要サイド共にエルダーが幅を利かせることで
なかなか若い世代に投資や人気、発注が回ってこない状態)”
と定義。
人口の将来推計を分析すると、
今の40歳(つまり私)の世代は、エルダー(55〜69歳)の若者(20〜35歳)に対する比率が156.2%と日本の歴史上、極大化する時期にエルダーに足を踏み入れる、”キング・オブ・老害世代”なのだ。

という内容だった。(後半では諸外国の状況や、そんな老害王国ニッポンでの若者の生きる道を考察している。)
まず、一つ目の気づき。今回本当に実感したのが、

40代のロスジェネを怒らせると怖い

ということ。”触るな危険”である。
「今の40代は就職しようとおもったら氷河期で、働いてても不景気で、あげく老害扱いされて早く引退しろとか言われたらたまんねーよ」
という趣旨の意見をめちゃくちゃ頂いた。
記事タイトルくらいしか読まない人も多いだろうし、全体の記事構成もかなり逆説的なので、多少こういう反応が出るのは致し方ないと思っていたが、予想以上だった。
(ちなみに、ロスジェネより後の世代、今20〜30代のゆとり/さとり/Z世代と呼ばれる人達がエルダーになった時にも、対若者比率は今よりずっと高い水準がキープされる。つまり、人口ベースで言うなら全員、今のエルダーより老害になる可能性は高いですよ、という指摘もしている。その点ではロスジェネに限らず40代以下の全世代に喧嘩を売ってる、と言えなくもない。)

そもそもなのだけれど、私は「老害」という言葉を人に向けるのは控えるべきことだと思っている。エルダーであるということを一括りにしてプレッシャーを与えており、しかも加齢は誰にでも訪れるという点で、いずれは自分たちに跳ね返ってくる不毛な言葉だからだ。
もちろん、下の世代だって何らか問題があるからそう言ってるのだろうが、問題の理由を ”老” の一点に集約するべきではない。

実際、前回の記事でも、

今、「老害よ去れ!」と言っている下世代は、その言葉が20~30年後に2~3割は加速したブーメランとなって自分に突き刺さってくることがほぼ確実であることに留意しておくべき。

という主張をしている。

だから、先のロスジェネの皆さんの「俺たちを老害って言うな!」というお怒りは仰る通りでしかない。
もちろん、「もうちょっと書いてあること汲み取って貰えませんかね……?ちなみに私も同じ世代なんですけど…。」というのが書き手としての本音だ。
ただ、
こういうタイトルを目にした瞬間、感情的にならざるをえないほど、ロスジェネ世代が味わった苦労は大きく根深い、ということでもあるのだろう。
(実際、この世代の問題は「アラフォー・クライシス」「棄民世代」というセンセーショナルな言葉で度々、取り上げられている。)

だからこそ、ロスジェネ世代が50〜60代になった時に「老害」呼ばわりされるような事態は(私自身のためにも)避けたい。

だがしかし、

その一方で現在の様々な言説やデータを見る限り、今のエルダーに「老害よ去れ!」という批判をぶつけているのは、まさにそのロスジェネ40代と、その下の30代なのである。(私は現在40歳でロスジェネ末期にあたる。)
だから、「今、投げてるのはいずれ加速して跳ね返ってくるブーメランですよ」と警鐘を鳴らす意味でも、敢えて ”今40歳前後の人はキングオブ老害世代” という言い方をしばらくは続けてみようと思っている。

譲らないというより、譲れない

前回の記事では、私自身のキャリア感についても触れた。
果たして私自身はエルダーになった時、潔く道を譲るか?といえば「地位にはこだわらないけど、できるだけ第一線で働きたい」と思っている。

これについても様々なご意見を頂いたのだが、「そもそもエルダーがおいそれと退場できる状況ではなくなりそう」ということを認識しておいた方が良いようだ。

そもそも、今40歳の私が55歳となり、エルダーに足を踏み入れる2037年頃というのは、若者(20〜35歳)の人口に比べエルダー(55〜69歳)が1.5倍以上いる、という異常な状況にある。

エルダーをすぐ退場させると逆に若者の社会保障負担が増す、という構造なので、国としては我々にできるだけ長く 必死に労働 元気に活躍してもらう必要がある。
そのため、2025年には65歳までの雇用確保が義務付けられることが決定されている。(下記の記事は概要が分かりやすいものの、定年延長が義務化、という理解は正しくなく、それ以外にも再雇用など継続雇用制度の導入とかでOK、ということには注意が必要。)

このような流れを受け、2022年には定年制のある企業のうち定年65歳以上なのが24.5%と過去最高となった。(原典の調査はこちらです。)

この改正「高年齢者雇用安定法」には国の本音も現れている。
70歳までの就業確保について措置を講ずる努力義務が新設されているのだ。
こちらの厚生労働省のページの冒頭の言を借りれば国としては、
「少子高齢化が急速に進展し人口が減少する中で、経済社会の活力を維持するため、」
ほんとは70歳くらいまでは働いて(働かせて)ほしい、ということだ。

これはもちろんどうなるかまだ分からないが、こうした労働環境の地ならしの上で、現在65歳からの年金受給開始年齢は更に70歳まで上げることで、若者の社会保障負担を下げつつ全体の制度維持を図る、というような方向に、詳細は別としても方向としては傾いていくはずである。

そのため、ここで求められている労働というのは小遣い稼ぎ程度できればいいや、というわけではもちろんなく、経済活動を回しつつ納税もできる、普通の労働だ。そうやってエルダーが社会保障なしで生活するどころか、さらに上のシニア層の社会保障をある程度担わないと立ち行かない。エルダーがシニアを支えるのだ。
マクロで見れば若者のためにも、エルダーは「譲らないというより、譲れない」状況が本格化しつつある、と考えたほうが良いだろう。

我々は今後、誰から何を学ぶべきなのか?

総論賛成、各論反対というのはどのようなテーマにもあることだ。
マクロで見れば70歳までの雇用の維持は必要そうだけど、それを各企業、各職場、各プロジェクトのミクロで行う場合にはいろんな軋轢が出てくるはずだ。
書きたくもないバッドシナリオだが、上記の65歳までの雇用確保義務化が始まる2025年からそのようなミクロの軋轢が頻発してくるとしたら、「2025年は老害元年」なんてことにされかねない。

2025年にちょうど60歳を迎えるのは、87~89年頃に入社した今58歳のバブル入社世代の人たちだ。彼らは60代も働き続ける人生がデフォルト化される、 ”65歳定年第一世代” と言えるだろう。
これ以降の世代にとって重要なのは、50代中盤までにやってくる役職定年の後、65歳まで10~15年間は働くことになる、ということだ。

この時に重要なのは、マネジメントではなく1プレイヤーとしての思考転換
だ。ただこれは一筋縄ではいかない部分がある。プレイヤーに戻る、降りる、と考えてしまうと、当然のことながら給与もモチベーションも下がるというのは各所で指摘されている。役職定年後の期間が長くなることで、この問題はさらに対処が難しくなっていく
なので、「マネジメントとしてフィットしている人なら、役職定年自体を延長できた方がよいのでは?」という議論も当然起こってくるだろう。
例えば上記の記事中では一例として、大和ハウス工業が役職定年後の社員に設けている4つのコースを記載しており、そのうち2つは”役職定年の延長”的なコースだったりもする。

メンターコース…若手社員の指導、経営上のアドバイスを行う
生涯現役コース…プレイヤーとして期待
理事コース…以前より部長職に就いていた社員で、役職定年の対象外で引き続き現ポジションに残ることができる。年収も変わらない
シニアマネージャーコース…以前より課長クラスの役職に就いていた社員で、引き続き現ポジションに残ることができる

いずれにしても、現在40歳で2037年に晴れて”キング・オブ・老害”になる予定の私としては、2025年からの17年間でバブル入社世代&65歳定年第一世代の皆さんがどのようなエルダー期(55~69歳)を過ごすか、しっかり見ておく必要がある。上手くいったケースも、軋轢が生まれてしまったケースも、徹底的に観察しておくべきなのだ。
その上で、
第一世代でうまくいったモデルを形式知化し、
組織を駆動する制度・システムと、
個人を駆動するノウハウ・心構えの両方で
全体に実装していくフェーズが我々世代の役割
と捉えられるだろう。
そのようにして、世代のバトンは受け継がれていくのだ。

20代働かなくてよい説(若者はどう生きるか?)

今回の記事では全く触れられなかったが、このような環境の中、若い世代はどう生きていくのか、というのはもう一つの重要な論点だ。
これについて前回の記事でもいくつかの提案を行ったが、その中でも最後に挙げたこちらの提案が最も反響があった。

⑤そもそも20代は学生で良い
これは上世代の支援も含めて必要だが、もう20代は全部学生で良いんじゃないか、という感じもする。数が足りなきゃ質で勝負、ということ。
安宅和人さんがPhD取得率上昇をずっと訴えていたり、企業として社員のPhD取得を支援する会社も出てきている。
大学を卒業したらいきなり新卒で100%会社にコミットする、という以外の、学生と企業インターンの二足のわらじ的な働き方が増えていくと面白そうだ。社会的にも、「20代で新卒で入社する」という常識を変えていった方が良いタイミングでもあるだろう。

私自身も子どもがいるので、彼らのことを考えるとそのような時代になっていって欲しいと思う。
そのためにも、実はミクロでは全年代で協働しつつ、マクロな世界では若者には条件闘争的なことが必要になってくるかもしれない。この点については別記事でまた詳しく考えていきたい。

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