なぜnoteを書いてる??
なぜnoteを書くのでしょう?
当初の打算的な目的から、役に立てることや交流が目的になってきました。
いろいろ考えを巡らせると、やはり私は書くことが好きなんだろうなと改めて認識しました。
はじめに
先日の記事でフォローさせて頂いている 松村直紀 | 医師 | MEDCOACH Inc. CEO 様 よりコメントを頂戴しました。
なんとありがたいお言葉!
この場を借りて御礼申し上げます!
秘訣と聞かれて戸惑いました。
質や量がどれだけの程度かは正直自信はありませんが、確かにわざわざ毎日時間を使って文章を書いています。
お言葉を返すようで恐縮ですが、松村様のほうが質も量も優れた記事をお書きになっていると思いますし。。
まぁそれはそれとして。
なんでnoteを書いてるのでしょう??
良い機会なので改めて考えることにしました。
noteを書く目的
最初は極めて打算的でした。
すなわち 単に実績をつくるため でした。
ブログを始めた2024年1月時点では、自分のブランド化を意識していました。
ですから本をたくさん読んでて、いろいろ勉強してるよってことをアピールしたいがためでした。
ブログを書こう と勧める本もありますよね。
あと、SNSでフォロワー1000人集めよう!と勧める本もありました。
評判格差は分配できないなら、評判を集めようとする目的も。
そんな気持ちで始めたのがブログです。
利己的です。
しかし、いざ始めると徐々に考え方が変わってきました。
文章を書くのは、自分の思考の整理のために非常に役立ちます。
ただ読書メモをノートに書き殴るのと、感想文として文章を作るのでは使う能力が違います。
読書メモは自分さえ理解できればいい。
読書感想文は他の人が理解してもらえなければ意味がない。
ですから目的が全く異なります。
そうすると この読書感想文では、自分の考えをまとめて文章を構成する力が必要になってきます。
ストレングスファインダーが示す通り、私の強みの第1位は学習欲。
そして4位には親密性が入ってきます。
学習したことをアウトプットする作業は、私にとって新たな学習でした。
学習欲を強く刺激されました。
だから楽しくてついつい書いてしまっています。
そして、書いた記事にスキやコメント、フォローまで頂き、親密な関係を少しずつ築けているクリエイター様もいます。
このことも、私の強みのひとつ 親密性を刺激され、ついつい書いてしまうのでしょう。
そうなると、さらにまた別の視点が見えてきます。
今の私の書く目的は次の2つだと言えそうです。
・誰かの役に立つ(かもしれない)
・交流の楽しさ
私の記事が価値を提供できているかは定かではありません。
しかし、たまに役に立ったよ!という趣旨のコメントを頂けるようになりました。
他の方の役に立てる、というのはとても嬉しいことです。
また、少しずつですが仲良くしてくださるnoter様も出てきました。
最初は
「交流?はん。そんなもんはやりたい人がやれば?私は別に?」
とイイ年したおじさんが斜に構えていました。
が、すみません。
完全に私が間違っていました。
意外と楽しいですね!
交流を通して迂闊にも元気をもらえたりして。
考えてもみませんでした。
このように、私の目的は
実績作り→思考の整理→役に立ちたい/交流したい
と徐々に変化してきました。
ですが 目的が上書きされた訳ではありまません。
当初の実績作りもまた、打算的ではありますが私の気持ちではありますので、否定するものではないかなと思っています。
私の強みは書くことなのかも?
noteは誰にも強制されていないのに、わざわざ時間を使っています。
「頼まれてもいないのにお金と時間を使っているものは自分業の種」というならば、きっと私にとって向いていることなのかもしれません。
文章を書くことは全然辛くありません。
その割には松村様のように褒めてくださる方もいます。
となると、文章を書くことは「労力の割に他の人が認めてくれること」であって私の強みのひとつになるのでしょう。
そして「強み = 投資してきた時間 × 積み重ねた経験」とするならば、まさに私は自分の強みを育てているところなのかもしれません。
全ての記事は書いていて楽しいのですが、特に楽しかったのは
『医学論文をできるだけ簡単に書こう!』
という記事です。
これは過去の自分に向けた記事で、それが今の同じように困っている人に役に立てばいいなと思って書きました。
必要な人に届いて役に立てたら、この上ない幸せです。
どうも私は役に立ちたい、貢献したいと思っているみたいですね。
ですが私自身の仕事を考えると、医者という仕事はきっと既に誰かの役に立っているはずです。
役に立ちたいと思う欲求は比較的満たされやすい仕事だと思います。
でもなぜ文章を書いて役に立とうとするのか?
なぜ論文を一生懸命書いてたのか?
もしかしたら私は書くことを通じて、レバレッジをかけたがっているんじゃないかと思います。
医者として患者さんの治療にあたるとき、目の前の患者さんの利益になることを考えます。
その利益が家族や周囲の方に波及する可能性はもちろんありますが、基本的には1対1の関係です。
一方で、自分が書いた文章や論文を複数の人が読んで利益になると感じてもらえたら?
基本的には全ての文章は 私が有益だ と感じたことを書いているつもりです。
そのとき関係は1対多数になります。
そうだとすれば、一度文章を書くという労力によって、何人ものひとに有益だと感じてもらえたら、私ひとりで感じていた有益性の総量は結果としては何倍にもなるかもしれません。
だからせっせと文章を書いているのかなと思いました。
欲張りですね笑。
そうか。
私が40代を生きるための行動指針の3つめがわかりました。
それは「過去の自分に向けた文章はきっと誰かの役にたつ」です。
さらに今の自分に向けた文章も誰かの役にたつ、ということも期待しています。
だから文章を書いているのでしょう。
さて40代の行動指針。
とりあえず3つ決まったので書いておこうと思います。
うん!
今の私の気持ちを結構適切に表現できている気がします!
まとめ
やはり書くことが好きみたいですね。
プチクリの定義によれば これは才能だと言えそうです。
他のクリエイター様の文章を拝見すると、才能だなんて大層な言葉を使うのはおこがましいです。
皆さんすごいんですもの。。
ですが才能を他の方と比べる必要はありません。
才能は、自分の中の好き嫌いや得意不得意の凹凸を眺めて尖ったところ、として定義してもいいはずです。
おわりに
書くことについて考えていたはずです。
が思わず自分自身と向き合うことになってしまいました。
しかもまた長文。
たくさんの感想文の記事を引用したので、これまでの まとめ記事の感もあります。
こんなことになるとは驚きです。
皆さんにとって、書くこと、とはどんなことですか??
こんな機会を与えて下さった松村様には感謝しかないのです。
ありがとうございます!
また、こうして記事のネタを1つ提供頂いたことにも重ねて御礼申し上げます笑
なお、この記事は藤原華様主催の以下のコンテストに参加しています。
#なぜ私は書くのか
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