見出し画像

18年間の過食症 。 前半

私は15歳から36歳まで”過食症”と共に生きて来ました。

丁度15年くらい前に女優をやっていた時に”本を出さないか?”と言うお話を頂いてEsseyの様に書いていたものが最近見つかり。この”過食症”については熱量を持って書いていた事を思い出し。

もし今この時、”自分には価値が無いんだ”とか”過食症が止まらない”と言う方が居たら、そして少しだけでも何かのキッカケになるので有れば目を通して欲しい。

いつか必ず全てを”過去”に出来るはず。

以下→→

過食症。

聞いた事が有るでしょうか?? 摂食障害の一種で大食、嘔吐(食べて、吐いて。)を繰り返す 今は難病に指定されている もの。 概要は以下を参照して頂いて。

 

[患者の極端な食事制限や、過度な量の食事の摂取などを伴い、それによって患者の健康に様々な問題が引き起こされる。主に拒食症と過食症の総称である。人間関係の問題などの心理的ストレスに対する耐性不足や、社会適応性の未発達、コミュニケーションの不全などが原因とされている。依存症の一種である。 摂食障害は大きく拒食症、過食症に分類される。拒食と過食は相反するもののように捉えがちだが、拒食症から過食症に移行するケースが約60 - 70%みられたり、「極端なやせ願望」あるいは「肥満恐怖」などが共通し、病気のステージが異なるだけの同一疾患と考えられている。よって拒食症、過食症を区別する指標は、基本的には正常最低限体重を維持しているかどうかのみである。アメリカでは平均体重の85%以下が拒食症に分類されているが、日本では80%以下のされている。 一定時間に渡り、食べ物を口に入れ咀嚼し、飲み込まずにビニール袋などに吐き捨てるという行動を繰り返すチューイング(噛み吐き・噛み砕き)と呼ばれる行為も存在する。一見、拒食とも過食とも取られる行為で、特定不能の摂食障害の一部にまとめられる。 また、リストカットなどの自傷行為を行う患者では高確率で拒食・過食などの摂食障害の合併がみられ、摂食障害患者の59 - 76%に自傷行為、アルコールや薬物の乱用、重篤な爪噛み、抜け毛といった行為がみられ、摂食障害、自傷行為、薬物依存は密接な関係があるとされる。これらの行為は、衝動性の高いパーソナリティや、自罰・禁欲嗜好のパーソナリティなど、特定のパーソナリティ傾向にのみ限局しない所見である[1]。なお、摂食障害の患者は強迫的な性格傾向が強いとされる。拒食症・過食症ともに、嘔吐を伴う患者は例外なく強迫性性格である[2][3]。ローゼンバーグは摂食障害を「現代的な強迫神経症」と称している[4]。 治療は心療内科で行われることが多い。九州大学病院心療内科では「軽症の摂食障害」、「中核的な摂食障害」、「境界性パーソナリティ障害的な摂食障害」の3つに分類し、境界性パーソナリティ障害的な摂食障害患者に関しては精神科で取り扱っている[5]。なお専門医は少なくなるが、精神科でも摂食障害全般を取り扱っている。] 


私がこれ発症したのは中学3年生の時。 受験の時でした。

 私が、と言うか親が私を入れたがっていたのは、その地域では最難関高で彼らの母校でもありました。 両親は私にとって、又 私の将来にとってその高校がbestであると考えており。 故に勿論中学に入学した時から受験高校をハッキリ決めていた訳ではありませんが、 何処を受験するかは暗黙の了解であったように思います。 うちの両親は教育熱心な親でした。 私は 小中学生の成績の良し悪しは、とどのつまり、どれだけ親が教育熱心に子供に勉強を強いたか。もっと言えば意識が向いていたか、に多少なりとも(又幾つかの例外を除いては) 比例すると思っています。 ですから親の教育に対する熱意により、私の成績は上位10%には入っておりその高校を目指す事が可能な位置には居たのです。 が。3年生の1学期(か2学期)に確か成績が落ち、両親は真っ青になりました。
….こえれではいけない!志望校に落ちてしまう!! と。

そこからは更に受験まっしぐらです。
習っていたピアノも休み、部活も終わり、バレエも辞めて勉強一本に突入しました。

勿論 いつの時代でも受験生にとっては至極当然の事だと思います。
ただ残念ながら私がしている勉強は、志望している高校は、 私の中では[受験に受かる為の勉強]
であり[親を喜ばせる為に行きたい]高校でありました。
まだ15歳の私には将来何がなんでもやりたい夢が有った訳でも無く(とりあえず)敷かれたレールの上を歩いて行く事しか考えられませんでした。

更に。私は末っ子、一人っ子を経ての長女でした。
しかも。父からすると離婚して自分が引き取った娘、母からすると(気持ちは自分の娘でも)自分が産んだ訳ではなく預かり受けて一層キチンと育てなくては、、と責任を感じている状況。
そんな理由も有り 私は特に厳しく育てられました。
又 父は私にとって、普通の父親と少し違うイメージでした。
気分屋で自分の意見と違う意見を投げ掛けられると否定されたと思うのか
[もう いい!]と話し合う事を拒否して自分の部屋に篭ってしまう。そんなイメージでした。

頑固で自分の意見が絶対。
この家族を食わせて居るのは俺だ!という自負がある人でした。

時代背景を考えてたら ひょっとしたら当然の事なのかもしれません。
[男は男らしくあれ]
[女は黙って優しくあれ] そう教育され 訳のわからない頑固さやNon Communicationが男らしさと考えられ教育されて来た時代です。

又 父自身も 母親が武家の娘でその当時に離婚。後に満州にて出会った軍医だった祖父と再婚し父は3人兄弟の末っ子。父を出産時 祖母は40歳を超えていたと聞いています。

今でも40歳は高齢出産にカテゴライズされるのですから その当時では 言わずもがな。
加えて当時の風習からか祖父は家の跡取りである長男を可愛がり 祖母は末っ子である父を可愛いがったとか。

こんな話を少し聞くだけでも 父自身も屈曲した幼少期は無くスクスクと
健やかにのみ育ったとは考え難く。
少なからず(自分では気付いていなかったにせよ)幼少期における人格形成過程での屈曲した様が見て取れるように思えます。(多分日本の高齢者を呼ばれる多くの方はそうなのでしょう。)

画像1

これらは私が社会人になってから知った事ですが15歳の私はしる由もなく。
尚且つネットも無い その当時の私(子供達)にとっては両親は完璧で有り、絶対で。

勿論 教育熱心でお酒もギャンブルもやらず 女遊びもせず、真面目に仕事をし母と常に一緒に居る。そんな素晴らしい面も持ち合わせて居る人でもありました。

ただ繰り返しますが15歳の私では( それどころか社会人になって演技で自分の感情と向き合うまで)そんな事は考えも付かず。

ただ決められたレールの上を頭で理屈は納得しながら 心はそれに追いつけないアンバランスな状態で歩いて行くしかなかったのです。

受験期に於いて 気兼ね無く休憩出来たのは物を食べている時だけでした。
食事の時、休憩でチョット何かを口にする時に限って うちの両親は勉強を促す、急かす事は言いませんでした。
受験生に対する優しさだったのかもしれません。

私の脳はそれを「食べていれば親から逃れられる」というメッセージとして受け止めました。
あたかも隠れ蓑や 免罪符の様なものです。

そこから私は食べ始めました。

塾から帰って菓子パン2個、食事の後に大きなデザート。
家にストックされていた数々のお菓子。
少し軽くとかでは無く、クッキー丸々一缶など。

当たり前ですが体重は増え顔は丸くなります。
でも食べる事で心と体のバランスを気付かずにとっていた私は食べる事を辞められません。
ふと、「吐けばいいんだ、、、。」「吐き出せば食べてないのと同じになる!!」
と思いつき手を突っ込むと以外と簡単に吐き出せたのです。

これがスタートでした。これをきっかけに私の過食症は発症しました。

勿論両親にはいえません。間違いなく怒られるでしょうから。

でも、同じ一つ屋根の下に住んで居るのです。
そしてタバコと同じで喫煙者は認識しにくい様に 私もどんなに履いたあとトイレを掃除しても手を洗っても臭いも手に吐いた歯型の後も残るのです。

それより何よりこの症状は受験期の一時的なストレスに依る一過性の物であり
受験が終ったら自然に失くなると考えていたのですが 脳はこの「過食、嘔吐」という方法を
私のストレス対処方として認識し、高校に入ってからも 親とのストレス、友達や学校、勉強でのストレスを感じる度に繰り返すようになりました。

ここから先は

16,664字 / 8画像

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?