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映画感想 「冷たい熱帯魚」

久しぶりにサブスクでの映画鑑賞が充実するあまりFire Stickを購入するに至りnoteを書く時間もすべて鑑賞タイムに注ぎこんでいた、たかこです。ごきげんよう。

実際は「機動戦士Zガンダム」テレビ版のおさらいがメインとか、その合間に観る映画はほぼホラーとか、そういうことはさておいて、昨日は「冷たい熱帯魚」を観た。
すごい映画だった。
とにかくすごかったので、ちょっとここに書き残しておきたい。
というのも、私は自分で映画の感想を書くまでは他人の感想を読まない、面倒な性癖を持ち合わせているので。
最近は年のせいかそれもずいぶん和らぎ、観た映画の八割ぐらいは感想らしきものを紙の映画メモ帳に書き殴ったのち他人さまのブログ記事などを拝読して終了、これぐらいで納まるようになってきた。何ならメモすら書かないことも。
そんな現状でも「冷たい熱帯魚」は読むまえに書きたい。と思うぐらいのインパクトがあった。

映画レビューと呼べるほどのものは書けないし、この作品ならさんざんネット上で考察やら何やらされつくしているだろう。Netflixオンリー映画だとレビューを探しても二、三本しかヒットしないことも珍しくないが、これはいくらでも漁れそう。
だから私が今から書くことなんてもう今さらすぎるのだろうし、疑問に思っていることはとっくに答えが出ているはず。
それでも私は読むより書いておきたい。

その衝動だけで、以下、ネタバレに配慮せずつらつら書いていきます。
繰り返します。ネタバレします。
思ったことをただ書いていくだけだから恐らく読み返しもせずに公開します。読み返す時間があったら他の人の感想を読みたいので。
では、私の感想というか、思ったこと。


*

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映画を観ている間ずっと気になっていたのは、なぜ、冒頭が「主人公の妻(後妻)が夕食の買い出しをする場面」なのか。これ。正確には鑑賞を終えて一晩ねむった後の今でも気になっている。
映画の演出なのだろうか。しばらく誰が主人公で、誰の視点で物語が進んでいくのかまったくわからなかったもんね。fire stickさん無線で大丈夫かやっぱり有線にしておいたほうがいいかと初めて心配になるくらい素早い動作の妻(後妻)の買いもの。ぜんぶ冷凍食品と気づくまで三十秒。これが家族三人分の夕食になるとわかった時は仰天しました。てっきりこの女(買い出しから支度までは人妻だという発想もなかった)が一人でドカ食いするとか、そういう展開なのかと思ってたのに家族の食卓。まあ、その食卓風景からして、妻があまり幸福そうでないことは読みとれるし早くもバカ娘のボカっぷりが頭に来るので妻が見るからに不機嫌になるのも納得できるのだけれど、なぜ冒頭がこの妻にフォーカスされているのか。主人公でも娘でもなく、妻。以降、クライマックス直前までほぼ出番のない妻。でも重要なところには必ず存在する妻。でも主人公ではない妻。
この買いものの場面は、描かれていないバカ娘の万引きシーンの代替でもあるだろうし(「手慣れてた」らしいから素早かったんだろう。きっと。あるいは図々しかったんだろう)、クライマックス直前の食卓における力関係の逆転とか、主人公が家族に要求しているものとか、主人公がいろいろ目をつぶってきたことの一つは冒頭に描かれていたよね?ということでもあるのだろうし、つまり主人公はあのクソ男に指摘された通り夫や父や男としての役割を果てしていない、語る価値なんかまるで無い完全な空気でしたよねっていうことをちゃんと冒頭で描いてましたよね?みたいなことだとしたら、まんまとやられました。先にも書いたとおり、主人公の主人公感がなさすぎて主人公が主人公とわかったとき「えっ?主人公こいつなの」ってなったぐらいだから、狙いはばっちりでした。でもすると、同時に、妻(後妻)や母(義母)や女の役割を果たしていない、語る価値もまったくない完全空気な主人公妻。ということになってしまうんだけど、それでもまあいいんだけど、殺されちゃうからなあ……なんかなあ……ともやもやするこの感覚や後味の悪さも、この映画のポイントなんだろうね。すごい。構成力だけでここまでやれるのか。脚本、すごい。
で、この妻の用意した冷凍夕食を食べた後、主人公が嘔吐する場面。このあたりでもまだ主人公が主人公とはわかっていなかったけど、なんで吐いてるんだろう?と単純に疑問だった。この映画が現実の愛犬家連続殺人事件をもとにしていることは知っていたというか、だから鑑賞することにした理由のひとつだったんだけど(同じ県民なので)、事件の詳細はもう忘れてしまったのと、とにかく妻の買いもの場面が異様すぎたために、この妻が一人で大量に冷凍食品を摂取しては嘔吐を繰り返しつつ連続殺人を引き起こすとかいう病んだ話になるのかと思ってたら夫が吐いたのでびっくりした。身内殺しも話に含まれるの?と。しかも結構な長時間、リアリティのある吐き方をしているものだから、普通にさっきの食事に毒が仕込まれてて、この旦那はここで退場で、妻がぶすっと、しかし淡々と連続殺人を進行させていくのかと思うじゃん。何度でも言うけど普通に。それがこの旦那が主人公とか、びっくりしないほうがおかしい。めちゃくちゃ吐いてたのにその直後の電話応対がまともすぎてぽかんとしたよね。途中でふりかえって、食後っていうより妻に拒否された後と言うほうが正確だなって気づけるけど、冒頭は妻のほうが主人公の風格があって旦那は文字どおり空気っぽかったから。ただ、連続殺人の話にしては、犯人の目にしていないものを再現するのは何かピンと来ない気もした。いったい事件はもう起きているのか?起きていないのか?この夫婦は共犯なのか?娘はどうなのか?と、冒頭のこれだけですごく作りこまれていて改めてびっくりする。クライマックスまで観てから、旦那=主人公の嘔吐は「本音の吐き出し」の代替行為だったんだろうなって想像できるようになるけど、おかげで更にずっしり来るというか。だってこの主人公、この冒頭だけリアルに嘔吐しておいて、あとは殺人や解体現場に居合わせて吐きそうになっても口を押さえて我慢するだけでなかなか吐かないんだもん。吐いたと思ったらいきなり覚醒しちゃうんだもん。言いたいことも言えるようになっちゃうんだもん。その勢いでやるべきことをどんどんやっていって自殺なんだもん。なんとやるせない。
その後もまだ誰が主人公なのかはっきりしない間、もう誰が主人公でもいいからとにかくこのバカ娘を親は殴れよ。と、そればかり思っていました。思っていましたら妻=母親だと決めつけていた人は娘から見たら実母の死後にやってきた義母で、娘が反抗しまくって殴ってたっていうんだからもうね。万引きも当然いけないんだけど、殴るとかね。もうね。ほんとね。父親は何やってんの?というかその娘の家庭内暴力の回想シーン、父親視点じゃなかったけ?どうだっけ?とにかくこれは父親が娘を殴るべきでしょう。私は暴力は嫌いだけど、万引きに来て子を殴らない親はもっと嫌いです。まして自分の妻が理不尽に殴られているのを目前にして何もしないとか、妻の立場としても娘の立場としてもあり得ないし許せない。娘を殴れないなら父親は死ね。ぐらいに思ってたらまさかのこの父親が主人公。とわかったところでようやくタイトルロール。
正直、この父親が主人公というのは意外だけど異議アリというか。最初は「こいつが主人公で何がどうなるっての?」と疑問でしかなかったんだけど、何もどうにもならないという意味で完全に主人公をやり始めたからまたびっくりした。びっくりしたし、泣いた。映画鑑賞中、三回ぐらい泣いた。私は元来、あまり映画や本やゲームで感情移入はしないタイプ。感情移入はしないけど最近は年もあって涙もろくはなった。だから若いころよりは映画でも泣くようになったとはいえ、この作品で泣いたのはいわゆる共感性羞恥だっけ?あれと似たようなものだと思う。私が恥ずかしいと感じることのひとつに「怒られること」「怒らせること」があって、人前とかは関係ない。自分のせいで誰かが怒っているというのが、たまらなく恥ずかしく、申し訳ないのです。それがこの主人公ときたら、作中ずっと叱られっぱなし、怒鳴られっぱなしで、もういつ怒られるのかと私までビクビクするし、ビクビクしてんじゃねえって怒られるし。と書いていて気づいたんだけどこれ感情移入か?中二病の自覚はあったが悪化してきたか……やれやれ。ともかく、そうとはいってもずっと泣いていると疲れるから適度にコントロールしながら観ていても泣いた。妻とプラネタリウムに行くところで泣いた。束の間の現実逃避がささやかすぎて泣いた。妻へのセリフが「大好き」ではなく「愛してる」だから泣いた。この映画は「大好き」と「愛してる」をきちんと使い分けてるところも印象的だった。昨今、全国民が恥じらいを義務づけられでもしたのか、本でも映画でも大好きしか言わなくなったので。ジブリでさえ「風立ちぬ」で「あなた、大好き」って何だよ。八十年代だったら「愛してる」って言いそうじゃん。「風立ちぬ」は原作ありきだから原作でそうなってるなら仕方ないけど、もう大好きは大安売りされてる感しかないから却って恥ずかしいわ。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が大ブレイクした背景には「愛してる」の見直しもあったんじゃないかなと真剣に思ってる。「冷たい熱帯魚」でもその「愛してる」は重大な鍵になっていて、「愛してるかどうか」ということでものすごく怒鳴られたりするから怖い。怖いので泣く。「てめえ愛してるのかよ!」と詰問され「はい!愛してます!」と泣きながら絶叫する主人公に泣く。愛してるならなんで何もしてこなかったんだよと思いながら泣く。何かしはじめた頃にはもうリミッター全壊状態なもので容赦なさすぎて泣く。クライマックス直前になるとあのバカ娘にさすがに同情してしまい、この娘には父親を殺す権利がある強く主張したくなった。というか主張する。バカ娘なのに父親に殴られて連れ戻されるのはそれこそ「愛」だと思うが、殴られてうずくまっている娘の隣で妻を怒鳴りつけた挙げ句にセックスとか、娘が「何やってんだよ」って当たり前のことを言っただけでグーで殴るとか、普通に「はあ?まじかよ」って声が出ましたよ。妻の本音を聞くのもセックスもやりたいことならやればいいけど、娘を巻き込むなよ。今さら。
何かこの映画、常に「こいつ殺されればいいのに」っていう存在が一人はいるので、誰かが殺されてもそんなに衝撃はないというか。そもそも連続殺人事件の話というのはわかってるからというのもあるんだけど、どいつもこいつも殺されて良いようなことしかしないので、顧問弁護士なんかは「腹上死しないかな」と思ってたら実際にそうなってくれてまたびっくりしました。あれ犯人妻が一芝居うったのか、単に本当にコロっといっちゃったのか、どっちなんだろう。そしてあっちこっちに鞍替えしてうまいこと橋を渡り続けた犯人妻がこの映画の中でもっともチャーミングに見えるのは、どうしてなんだろう。他が揃いも揃ってどうしようもないだけなのか。どうなのか。フランス映画だったら絶対にヒロインポジションだと思うんだけど、この映画のヒロインではない……よな……ヒロイン不在の映画だった気がする。
よく考えるとこの映画、親子関係が大きな軸になっている中、犯人妻だけ家庭環境とかそういうのがいっさい描写されていなかった。どういう経緯であのゲス男とくっついたのかもわからないけど、どういう感情であのゲスと暮らしてきたのかもよくわからない。と思ってたら最期の最期ですり寄っていった先がゲスだからゲスなのかなあ。まあ、したたかさとか、ずる賢さとか、セクシーな立ち居振る舞いとか、スタッフ娘たちを束ねてるボスっぽさとか、それでいて時にはお姉さまな妖艶さとか、総じて小悪魔的でヒロインの資質はあったよね。一月にあの服装は寒そうだけど「熱帯魚」を体現できそうなの、あの人しかいなさそうだし。
冒頭と同じくらい気になったのは、そのゲス男とゲス妻の解体場所である隠れ家(ゲス男の実家?)。ここで解体する時の作業の流れが儀式めいているのは明らかなんだけど、私が注目したのは風呂場の脇にあるマリア像。その横にあるロウソク。これ作業に不要なので(ライトがあるから暗いわけではない)儀式の小道具みたいなもんだろうなって思ってたらゲスが死んだ後もあのロウソクはついたままで、ゲスを殺した主人公の犯罪を片づけるときも消えていない。他のロウソクは消えたり溶けたりしてるのに、あれだけは消えてないし減ってない気がした。ゲスが弁護士を透明にした後に消さずに河に行ってゲスを殺して戻ってきただけかもしれないけど、何かメタファーっぽくはある。あと覚醒主人公がクライマックスで妻子と再会、妻を殺して娘に向かっていく場面ではマリア像が見えなくなっていくアングルで動くのがぞっとする。主人公は信仰とは関係のない人間だろうけど、マリア像そのものはやはり母性や愛の象徴ではあると思うので、あと日本人にとってはどうにも受容しきれない、異質なものでもある。事実、ああいうところでああいう事件が起きるとマスコミは大喜びだろうし(元になっている事件がどうだったかは、これを書いた後で調べる)。カルトや宗教性とは無関係に、私たちが自然に持っているにも関わらずおおっぴらにするのは憚られる(べきとされる)感情、つまり「愛」。あの隠れ家はゲスの父親がおかしくなってああいう装飾になったらしいけど、あの環境でどうやら虐待されながら育ったらゲスがゲスになるのも仕方ない気はする。それを言うと、もう登場人物全員が育てられたように育ったとしか思えなくなってくるし、バカ娘がバカ娘のまま生き残るのも、親のエゴなのか愛なのかわからなくなる。あの娘が父親の死体を前にして口にするセリフを酷いと思うか相応とするか、これも育てられた通りの反応になってしまうのだろう。最近、父子関係にやや敏感になっている私は、「この娘、これからどうやって生きていくんだろう」以外の感想も感情も持てない。この娘を殺さずにおいた主人公は、最期に「生きることは痛いことだ」と娘に伝えている。それで殺さないってことは「痛い思いをしろ」ということになるわけで、父から娘に贈ることのできる唯一の遺産だったのか、復讐なのか、お仕置きなのか、ご褒美なのか、特に何も考えていないのか、辞世の句みたいなものなのか、全然わからない。わからないというか、どれもありそうでなさそうで混乱する。主人公が生きて贖罪するにしても直前の行為が親として逸脱しすぎていて、しかもそれは実母が亡くなって以来の父親像と現実には地続きでしかなくて、なにもかもが「今さら」すぎて、娘は父を理解しないだろうし、でも生きてしまったら父はそれを娘に求めてしまうだろうし、だけどもう未来に希望なんて持てないから主人公は死を選べたのだろうし、そういう父親の死を悲しめないのは、娘にとってはどうしようもないことなんだよな。まあ、生きたいかって聞かれて、あそこで死にたいですって答えても生かされただろうから、あの娘の生存は強制的というか、父親からリアルに受けた最後の暴力だったとも思える。となるとやっぱり最終的な感想は「あの娘さん、どうやって生きていくんだろう」しか出てこない。
冷凍食品だけの食卓って分かりやすいなというのが冒頭ではあったけれど、それでもかろうじて温かくはされていたわけで。レンジで解凍するだけなんだけど、凍ったままでは一応なかったわけで。熱帯で生きるはずの魚も与えられた環境の中で何とか生きていられたのにどういうわけか冷凍庫に閉じこめられて生存を余儀なくされました。っていうタイトルなのかな。半死半生でほぼコールドスリープだけど解凍(解答)のチャンスもなくはない、みたいな。
この映画、何がどうっていうのは実はなくて、道徳めいたことは言ってるけどおまえが言うなみたいな無力感に満ちているし、いっそめちゃくちゃなセリフのほうが意外とまともだったりして余計に打ちのめされるものの、何度でも言うけどどれも本当に「今さら」だし。かといってその後なにも残らないというのとも違うし。考えさせられるのは過ぎるとまずい予感しかない。考えてもいいけど理解なんかできなくていいから何か虚しい。すごく脱力するし、疲弊する。名作とはあまり言いたくないけど感情をすごく揺さぶられたり、良くも悪くも踊らされたり、そういう作品でした。
役者さんの演技が計算されつくしたかのように「いかにも」だったのも、すごかったと思う。あれくらいぶっ飛んだ話だと演技がかっていても違和感ないというか。全員お芝居してるの?っていうくらいわざとらしい場面ばかりなのでちょうどいいというか。主人公が「こう言え」と命じられたセリフを練習するシーンなんかちょっとした劇中劇だったよね。あそこで泣いたし。
普段、映画を観ていて声なんか出ないのに二回ぐらいぽろっと出た。上述した通り、娘がグーパンチされるところで一回、あと、県警が来て「ゲスのまわりで三十人ぐらい消えてる」とか言い出したとき「んん?」だか「うお」だか出た。県警さん、無能にも程があるでしょ。設定では何故か静岡県が舞台になってるけど(富士山を映すため?)、実際は埼玉県なのよね?我が県警、結構やらかしてるから静岡県警に何だか申し訳ないです……こういう話じゃなかったら「お茶でも飲んでたんですね」って言えるのにそんな余裕もない。そしてせっかく舞台設定を静岡にしてくれたっていうのに「次はこれがオススメ」とかって「翔んで埼玉」を表示してくれたネトフリさんは少し自重してください。
ちなみにわたくし、わりとこの映画にやられちゃってそのまま寝るのは何か嫌だったので、確実にダメージを微塵も受けなさそうな「スマホを落としただけなのに」をネトフリで観てからベッドに入りました。途中から眠気を我慢していたせいか即寝落ちして十二時間ぐらいぐっすり眠れた。「スマホを~」は原作を読んでいてそっちもわりとアレだったから安パイとして大活躍。
とりあえず「冷たい熱帯魚」の感想をこうやって書けてちょっとはスッキリできた気がしなくもないけど、今夜、もう一本なんかどうでもよさそうなのを観てまた上質な睡眠に陥りたいと願っています。というか邦画を一日に二本も観るなんてこれまでそんなになかったんだけど、良い邦画は本当に良いね。もちろん「冷たい熱帯魚」です。「スマホを~」続編がネトフリかhuluにあるなら今夜はそれかな。

以上、ただ思ったことを書いただけの「冷たい熱帯魚」の感想でした。
これで他の人の感想を読める。楽しみでしょうがない。



あっ、あともう一つ。どことなく服装や描写がバブリーだったのは何かあるのかな?熱帯魚一匹一千万とかバブル期ならまあアリなイメージ。二〇〇九年だっけ?時代設定がそのへんだとさすがに無茶。静岡でも無茶。









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