小中不登校、ヤンキー高校から一年間の独学で阪大に受かった話 [Origin] 第4話 決断
セミは外国にはいるのだろうか。
いたとして、それは日本のセミたちと同じなのだろうか。
姿かたち、鳴き声、習性、どこまで同じなのだろうか。
もしセミが一年中鳴いている国の人には、ただの害虫だろうか。
「Oh!コレハ、オジャマなムシね!」
もしセミが一年中いない国の人には、不思議な生き物だろうか。
「Oh!コレハ、おジャパンのムシね!」
…。
幸いにも、日本には四季があり、彼らは夏に鳴く。
幸いにも、僕は日本人なので、彼らの声を聞くと夏を想起する。
セミの声が夏の訪れを知らせる。
現役の時はそれを聞いて、
「ヤベェ!夏だ!」
と焦る自分に、満足感を覚えていた。焦ることができるのは、「頑張っている人」の特権だと思っていたからだ。
けれど今、セミの声を聞いてもなんとも思わない。いやむしろ、
「まだ浪人を始めて3ヶ月くらいしか経ってないのか…勘弁してくれ…」
とさえも思えてくる。
……
地獄のような春を超えた僕は、ある程度の能力が身についていた。
…。
とても遅いのだけれど、神戸大学の英語長文は読める。単語にはまだ自信がないけれど、早稲田や東大の英語長文も読めないことはない…。きっとね。
…。
数学だって、難問と言われる類にはまだ手が出せないけれど、標準的な問題ならば答えは導けるし、その再現性だってある…。多分。
…。
そしてその事実に驚いている反面、まあ妥当な結果だとも納得している。
なぜなら僕はクソ退屈な時間を、クソ地道に経てきたからだ。
逃げようとする自分を何十、何百、何千回と押し殺して、勉強してきたからだ。
ぺらぺらと”ご立派な”目標を語らずに、
ただ口を閉じて、ただひたすらに、
考えて失敗して、実行して失敗しまくったからだ。
曲がりなりにも進んできたからだ。
これが自信というものだと少しだけ実感する。
……。
…とは言ったものの課題は山積みだ。
3月から6月中旬まで、英語と数学しか触れてきていない。
さすがにそろそろ二次試験で使う科目でもある、生物と化学を始める必要がある。
6月が終わるまでに、生物を始めた。
ゼロから、教科書から取り組み、説明できないところを昼夜かけてずっと説明した。
ぶつぶつ、ぶつぶつと呟きながら教科書に齧り付く。
市民センターの利用者からは完全に不審者扱いだ。
清掃員のおっちゃんからは「いつもここにおるな」と言われた。
館内は薄暗いので、夕方には教科書の文字が見えにくい。
そんなときは、スマホのライトで照らしながら勉強する。
生物の勉強は、少し早めの2週間か3週間かそこらで切り上げた。
化学の方がもっと出来てないと思ったからだ。
夏が始まろうとしている6月中旬、僕はふと思った。
「なぜ5時で帰っているんだ?」
…
そうだ、
「夕焼け小焼け!5時になったら勉強おーわり!帰ってご飯食べながらアニメていいよー!♪( ´▽`)」
…なんて、誰も言ってない。誰も許可していない。
…。
いや、きっと知らず知らずに許可していたんだ。
僕の中の、去年のままの僕が、許可していたんだ。
「ダメだ」
こんなんじゃダメだ。
暗くなったから帰る?腹減ったから帰る?疲れたから帰る?
本当にそんなんで、僕は遠くまでいけるのか
……。
こうして僕は、5時を過ぎて腹の虫が唸り声をあげ始めても、市民センターの薄暗い廊下に残ることにした。
…。
一週間は続けられた。
いや、これは僕の非じゃない!手元が見えにくくて、人っ子ひとりいない廊下で、閉館の9時まで黙々と勉強できるか!
誰に弁明しているのか分からないが、そういうことで自分を納得させる。
ついにシビレを切らして、Google マップでふと検索すると、少し自転車では遠いのだけれど、近くに自習室があることに気づいた。
その自習室は、市民体育館と併設されていて、無料で、環境も良くて、なにより勉強するために設けられたスペースだ。
受験生らしきひともチラホラいる。
この時は思わず感動した。涙が溢れてきそうになった。
この数ヶ月、薄暗い廊下とご老人が僕の日常の全てだったので、自分と志を同じくする人たちと空間をシェア出来ることに感動した。
僕はセミの声が夏を知らせる6月終わりから、ここに通うことにした。
開館時間の朝の9時から、閉館時間の夜の9時までだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて化学の勉強はどうしようか。
春の煉獄で知った僕の欠点は、星の数ほどあるのだけれど、まずは単語の記憶だろう。
試験では、まず単語が分からないことがパニックを引き起こすと思う。
だからまず、化学の単語を、瞬発的に説明出来るようにしよう。
昔買った参考書から付録をちぎりとる。
そこには高校3年分の化学の知識が書いてある。
これを、徹底的に説明出来るようにしよう。
こうして、3冊の冊子のうちまず、一冊から始めた。
眠くならないように、市民体育館のランニングコースで歩きながら読んだ。
その合計時間
たった一冊にして
およそ4時間
夏のムッとした空気のなか、市民体育館のランニングコースを何十週と歩きながら、
時に立ち止まりながら、
その冊子を記憶した。
いや、これは夏のとある1日の出来事なんかではない。
もう毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日
同じようなコースを
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐーぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
と歩き続けた。
チープな充足感のためにやっていたわけじゃないので、
タイマーを片手に、
毎日そのタイムが縮まるように縮まるように努めた。
その体育館のランニングコースが、バレーボールの大会などで一般利用ができない時もあった。
そんな時は、人通りが少ない館内のトイレの個室に入って、トイレのフタの上に荷物を下ろし、そこで音読した。
それで午前の時間は過ぎ去って、午後は館内の自習室で座学。
これが僕の毎日。
最初はめちゃくちゃ遅かった化学の冊子の音読も、次第に早くなった。
最初は3時間、
次は2時間45分、
2時間10分、
1時間59分…
冊子のページに刻まれていく日々のタイムが、明らかに早くなっていることが何よりの自信に繋がる。
とは言っても、冊子は残り2冊もある。
化学だけじゃない。
古文単語だって覚えないといけないから、またランニングコースに入って、ひたすらにぐるぐると同じ景色を見ながら音読する。
毎日の終わりには疲労で、足はガクガクと震えている。
9時の閉館のチャイムが鳴り、警備委員のおじいさんが「閉めますよお〜」と自習室にやってくるまで勉強したら、自転車を飛ばして家に帰る。
走っている最中に考えていることは夜ご飯のことだけだ。実に12時間以上ぶりのメシである。どんなものでも、想像するだけでヨダレが溢れてくる。
この街、芦屋市は小さな街で、山から海にかけて緩やかな傾斜の上に出来ている。自習室のほうが海側にあるので本来ならば、自習室に向かう時間のほうが短いはずだ。だけれども、恐るべきかな空腹パワー、帰りのほうが早く家に着く。
玄関を開けての第一声は、
「ハラヘターーーーー!」
そのあと「ただいま。」だ。
そして家族が作ってくれたご飯に、もう一度火を通し温める。この時間がもどかしい。ああ早く温まれ!
ぬるいくらいまで温まったら、鍋ごと部屋に持っていき、大きな声で「いただきます」
ナイフやフォークなんて悠長に使い分けていられない。もう全部、箸だ!
溢れる唾液で溺れそうな口に放り込む。
…。
ごくん。
…
「んめえええええええええええええええええええええ!」
体に電流が走る。
「12時間ぶりの有機物うめええええええええええええええええええええ」
と叫ぶ。
「また言うてるw」
と母
これがいつもの流れ。
けれどこれは紛れもなく本心だ。ほんっとうにうまくて、疲れ切った体に染みて、涙が頬を伝う。なんで泣けてくるのかは分からないけれど、ホッカホカの白ご飯を、口に放り込むだけで涙が止まらない。
噛んでいる時間がもどかしい。早く飲み込みたい。口は満たされても、胃はまだ空っぽのままだ。もっと早く噛めと言わんばかりに腹が鳴る。
グゥウ!
早く次の一口が食べたい!
そんなもどかしさを繰り返すうちに腹は満たされていく。
「ごちそうさま」
もう夜の10時を過ぎている。
シャワーを浴びて、
死んだように倒れて眠り込み、
日が昇ると、自分をぶっ倒す衝動に駆られて飛び起きる。
また新しい1日が始まる。
そんな毎日。
大変なのだけれど、ここまでしないとダサい僕は死んでくれないと思うから、僕は駆ける。
そして、そのダサい自分がぶっ殺されていく感覚もどこか心地よい。
…
そんなある日、
…。
ーそれはある夏のとてもあつい日のこと
「もう家賃払えないし、ここを出て行くことになったし。夏の終わりまでに荷物まとめといて」
ここでも、姉が告げてきた。
優しい母の代弁として、いつも現実を突きつけてくる。
……
僕はうつむいて歯を食いしばる。
クソクソクソ…
一体これ以上、何を捨てれば僕は周りに迷惑をかけずにいられるんだ……
僕が使っているお金は、もはや夜ご飯のお金くらいだぞ…
なのにどうして……
なぜか被害者気分で拳を握りしめる。
数日後、お母さんと家選びをしに、街を歩いた。
もう随分と、お母さんとまともに話していない気がする。
僕は朝から晩まで帰ってこないし、お母さんと姉はバイトで早寝早起きだし…
うだるような暑さのなか、僕は口数少なく、ただお母さんの背中を見ていた。
…
お母さんごめん。姉貴もごめん。
けれど今は何も出来ない。
僕は今、無力だから。
けれど、
絶対に
僕が捨てられるもん全部捨てて、
全部ぶっ倒して、
たとえ僕がどうなろうとも、
必ず強くなってみせる。
報いてみせる。
だから今はただ、
僕を信じていてくれ。
ーそう心の中で呟く。
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