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小中不登校、ヤンキー高校から一年間の独学で阪大に受かった話 [Origin] 第10話 W-A-R-C-R-Y

キュコキュコ










ペダルを踏むたびに、そんな音が鳴る。
ギヤを六段目にセットすると、周期的にチェーンが車体のどこかに当たる危なっかしい音がする。怖気付いてギヤを5段目に戻す。

この自転車には、この一年で無茶をさせすぎたと思う。

この前、自転車屋さんに油をさしてもらった時にこう言われた。

「どんな使い方したら一年でここまで壊せるの」

チェーンはボロボロ。
ブレーキだって擦り切れている。

いつ走行中に何かのはずみでパーツが弾けても仕方がないと。

「修理パーツはこれこれの値段だけれどいるかい?」と尋ねられたけれど、そこは断固として買わなかった。そんなお金はない。


けどまあ、大学に受かったらバイトして、まともなパーツを買って修理して磨いてもらおう。これからもこの自転車を使うかどうかは別として、それくらいはモノに対する恩義というものだろう。

そう決めて、さらに自転車を飛ばす。







今日は、1月8日。

ルーティンの勉強やら雑多なことをしていたせいで、陽が落ち始める頃にようやく家を出発した。

急いで自習室に向かっている。

冬の街はあっという間に夜の帳に包まれる。



街の灯がつき始める。



店主がディナーコースの看板を店頭に出している。





はあはあ…





白い吐息が尾を引く。


自転車をこいでているときに、まばたきすると眼球が冷たいことがわかる。





手は寒さで悴んでいる。





はあはあはあはあ


急げ。


もっと早く

センター試験まで残り10日ほどだ。だけれども、やるべきことはまだまだある。


たとえそれが途中で終わることになっても、後悔だけはしたくない。







はあはあはあはあはあはあはあ

センターまで残り時間は少ない。急げ。



もっと早くペダルを踏め。

気持ちばかりがはやって、立ち漕ぎする。






ハァ………






ッピィイ














ー聞き覚えのあるリコーダのような音が体から響く。





動揺して、急ブレーキをかける。



キイイイッッ!


車道で立ち止まる。


後ろに走っていた自動車が、慌ててクラクションを鳴らす。




けれどそんな音は耳全くに入ってこない。







心臓の鼓動がどんどん早くなって、鼓膜に打ち付ける。







まさか…な…



まさかな…




まさ…




“お亡くなり”







主治医の言葉が過ぎって、パニックを起こしそうになる。


一気に鼓動が爆発し、脂ぎった汗が額から吹き出す。


鼓動が激しく鼓膜を打ち付けて、何も聞こえなくなる。



ドッド、ドッド、ドッド、ドッド、ドッド、ドッド






…落ち着け。気のせいかもしれない。



車道に立っているのも迷惑なので、こわばる体を押し進めていつもの市民体育館に着く。








…ふぅ…



おちつけ。





ちょっともう一回確かめてみようか。





息を深く吐いて、


フウウウウウウウウウ…



思いっきり吸う!












ピイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!!!!!!!!!!!
















釘が心臓に刺さるような激しい痛み…



……


…ああ。




どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう破れた破れた破れた破れた破れた破れた。どうしよう
家族に連絡するか?
いや、それだと確実に手術を受けさせられる。
時間も金もない。


前回の入院だってお金も、時間に関しても大打撃だった。
迷惑をかけたくない。
じゃあどうする?


家族以外に助けを求めるか?

いいやダメだ。結局家族の助けを借りることになる。
どうしよう。

とりあえず誰かに言わなきゃ。

とりあえず家に帰るか?

いや、もう家に帰るまでの自転車で呼吸困難になってもおかしくはない。 
ダメだ。

ドクターがあの時、僕を車椅子に乗せたのは、体を動かして肺に負担をかけることを避けるためだ。

家に帰るとしても、タクシーか?


いいや、バカか。

そんなお金持ってない。

20円くらいしかカバンに入ってない。


とりあえず館内の受付の人に事情を説明してみようか。


いや、でも救急車を手配されたらどうしよう。


事が大きくなったら家に迷惑がかかる。 

どうしようどうしよう。
つか、受付まで僕は辿り着けるんか?


次の一歩で、右の肺も破れるんちゃうんか?

辿り着けたとして、声を出せるんか?


説明している最中に肺が破れたら、どうする?


受付の人が事情を知らずに、呼吸困難な人を助けられるわけがない。

肺が両方破れたらフツーに考えて、数秒と持たへんやろ。


僕はめっちゃ苦しみながら死ぬに違いない










もう怖くて、体の力が抜けて、階段に座り込む。






声も出せない。



体を動かすことすら怖い。


この次の一歩で、右肺も破れるかもしれない。 




この次の一呼吸で、死ぬかもしれない。



助けを求めれば迷惑になる。







薄暗い階段に座り込む






誰か助けて……




……





…映画やドラマで、銃で一発撃たれたくらいで倒れるなよと思っていた。

…けれど、本当なんだな、あれ。


ほんっとうに体に力が入らない。


傷が大きいかなんてのは問題じゃない。


「今この瞬間に、命がこぼれ落ちていく」と分かった瞬間に、体の力が全て抜けて、膝から崩れ落ちる。





拳を握ったり、歯を食いしばる力すら湧いてこない。


今ここにあるのは、冷ややかな死の感覚


体にまるで熱がない。


自分は死体なんじゃないかと思うくらい冷たい。






クソ…


……クソ


…死にたくねえ…








ただ黙って、涙を流す。








涙が、鼻筋を伝ってポタポタと流れ落ちる。









階段を、何人もの人が通り過ぎていく。




彼らに助けを求めるのすら怖い。






一人だけ、別世界を生きているような感覚。


みんなは、次の瞬間にも生きている事が保証されているように歩いている。




けれど僕は、次の一歩で、あるいは一呼吸で絶命するかもしれない。








怖くて怖くて、ただ涙だけがこぼれ落ちる。





人目も憚らず、声を殺してただ泣く。







「死にたくない…」




……





震えながら、姉にLINEする。



右手が震えすぎて、まともに文字が打てない。


左手で震えを押さえつけながら、やっとの思いで送信する。



「やぶえたかもしれない」








すぐさま母に連絡がいき、お母さんは本気で僕を叱りつけた。






このアホンダラ!と言わんばかりに叱りつけられた。





「病院に絶対に連れていく」と、こんなに強引な母は今まで見たことがなかった。



腕力はもう僕の方が強いのに、それを気にも止めず、腕を掴んで僕を病院に連れて行った。






診察すると案の定、また破れていた。



さすがに、医者からは手術を勧められた。



けれど僕は拒んだ。そして、尋ねた。




「なにか別の方法はないのですか?


お願いします。


せめてセンターが終わるまでで良いんです」





悩んだ末に主治医は、”手動で肺から空気を吸い出すポンプ”を提案した



「ただ、これは吸引力が弱いので肺に近い位置に刺さなければならない。

鎖骨の下あたりに刺さないといけない。


かなり痛むかもしれないし、

ここまで損傷した肺の呼吸機能を回復させるほどの機能はないかもしれない。


それでもいいのかい」




答えは決まっている。





お願いします





しかし


それは想像を絶する痛みだった。



寝転んで、主治医が鎖骨や肋骨の位置を確認する。



そして部分麻酔をして、





ストローのような太さの針を鎖骨の下にねじ込む







ヴッッっっっっ!!!!




ベッドのシーツを掴む。



ゆっくりと体の中に異物が入ってくるのが分かる。


ゆっくりと何かがニョロニョロと入っていき、心臓あたりまで何かが届く。




肩甲骨、肺、心臓をまとめて串刺しにされたような鈍い痛みを感じる。








僕は力一杯に噛み締めてただ耐える。




ゔ…




力の限り、目をぎゅっと閉じて、ただ耐える。








そして7分ほど地獄の痛みに耐えて、処置は終わった。 





その管を通って、肺に溜まっていた血液の混じった真っ赤な液体がドバドバと出てくる。




処置台から起き上がろうとした、




筋肉をピクリと動かしたその時、
燃え上がような痛みが全身を走る。




心臓と肺には、常に撫でられいるような異物感と鈍い痛み





……ッッああああぅっ



あまりの痛さと、そのグロテスクな傷口に失神して倒れる。
















しばらく処置室の天井を眺める。















……ハハ



神様は僕のことがかなり嫌いらしい





そんな自嘲じみた笑顔を浮かべる。






ーそしてその日のうちに退院。



すぐに勉強に戻る。



と言っても、単語帳のページめくるごとに走る激しい痛みで、もう気が気ではない。




それでも無理やり体を動かして勉強を続ける。


一ページめくる。



…ッッッッッッッ!!!!!!


また、一ページ。



…ン”ッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!



また一ページ、ーページ





手を止めることなく、何十、何百ページと繰り返す。


その度に激痛で意識が遠のく。








……もうなんの感情も残っていない。






ただあるのはこの胸を焦がす意地だけだ。














そして、ついにその日がやってきた。

日の出の前に目が覚めた。ゆっくりと、起き上がる。

昨日はよく眠れたみたいだ。体が軽い。前日に済ませた荷物を確認。よし、ちゃんとあるな。

受験票、財布、ブドウ糖、防寒具、参考書、あとは…

そうだ、水筒。水筒にヤカンで沸かした熱湯を注ぎ込む。これじゃ、あつすぎて飲みたい時に飲めないじゃないかと思い、お水を足す。しまった。今度は入れすぎて温くなった。もう一度お湯を足す。何をやっているんだ僕は。

そうこうゴタついているとお母さんが起きてきた。

「ご飯はいらんの?」

「いらん。食ったら眠くなるから」

昨日もこのやりとりをしたのに、また同じやりとりだ。それに、今から「やっぱりいる」なんて言って作り始めてもらっても、間に合わない。

「行ってきます」

玄関に立つパジャマ姿のお母さんを一度振り返ったら、僕は踵を返すことなく前に踏み出す。

まだ街は仄暗い。けれど、どこか張り詰めた空気を感じる。この街の受験生たちのものだろうか。それとも、僕自身のものだろうか。

長い線路沿いの道を足早に抜けて、阪急芦屋川に着く。やはり、最大規模のテストだけあって、センター試験当日の今日はこんな田舎町のホームにも受験生がチラホラといる。

阪急電車に乗り込む。下車は六甲駅。

右に左に揺られる。絡まるイヤホンをほどき、英語リスニングの音声を聴く。芦屋川から六甲まではそれほど遠くない。10分ほどだから、リスニングの問題も途中までしか聴けないだろう。まあいい。正直、半分はリラックスのためにする行為だ。

電車を降りるとびっくり仰天。人の海ではないか。受験生だけじゃない。塾の関係者、家族、そして受験にかこつけて何かを宣伝している企業。

整理するために、阪急バスの運営がメガホンを取り出して、バス停毎に「〜キャンパス行きのバスは、こちらでええええええす!間も無く発車しまあああああす!」と叫んでいる。慌てふためく受験生はその人海を押しのけ、バスに自らを押し込む。

魔境かここは。

まだ会場の入室開始まで1時間もある。それに、会場はキャンパスなのである程度固まって点在している。その気になれば、歩いて行ける距離だ。そこまで焦る必要はない。

僕はあえて何本かバスをスルーし、空いてそうなバスに乗り込む。


そんなバスも次第に人で埋まる。もうすでに何往復かしているのだろうか、運転手は早くも疲れた声で「はい発車しまぁす」と一言。

浮き輪に空気を入れるかのような音でドアが閉まり、バスが動き出す。

僕はバスに揺られながら外を眺める。受験生が山ほど詰め込めこまれたこのバスは当然だが、一直線に試験会場に向かって走っている。重々しい雰囲気はさながら、三途の川を渡る舟のそれだ。必死に参考書に齧り付く受験生や、ピクニック気分で駄弁に花を咲かせる受験生までより取り見取り。
僕はつり革を持って、ただ外を眺めている。余裕をぶっこいているわけじゃなくて、ただ激痛が嫌なので体を動かしたくないのだ。

不思議と心は落ち着いている。


つか、痛みで不安なんて感情は吹き飛んでいる。





浮き輪から空気を抜くような音ともにバスが停車し、ドアを開ける。


「神大国際文化学研究科前ぇ」


ぞろぞろと降りていく。

僕もまた、この地に一歩目を踏みしめる。





一年ぶりだな、


僕は格好つけてこう言う。



地獄なら見てきたぜ、センター試験


次回予告



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