小中不登校、ヤンキー高校から一年間の独学で阪大に受かった話 [Origin] 第13話 In a nap
…ッピ…
ッピ…ッピ…ッピ…
周期的に電子音が聞こえる。
ん…
何だろうか。
すごく体が重い。
外から光がさしている。
今は、昼…?
いや夕方…?
ここがどこだか、思い出せない。思い出せたとして、ここにいる理由がわからない。
ただ、モーレツに喉が痛い。頭もひび割れそうなくらい痛い。
…すごく体がだるい。何だろうかこの感覚。小さい時にインフルエンザにかかった時のような感覚。天井がぐるぐる回っていて、意識がまとまらないことだけ、まとまっていない意識でもわかる。
眼球だけゆっくりと動かせる。
あたりを見渡す。
ここは……?
「は!!!」
聞き慣れた人の声がする。
「起きました!起きました、ナースさん!」
…?
… おかあさん…?
…何だこれは…
どこだここは…
鼻のあたりに目をやる。僕は、シュウシュウと音のなる酸素マスクをつけているみたいだ。ダースベイダーみたいだ。
加湿器みたい水滴が充満している。おかげで、こんなにも喉が乾いているのに、喉は痛くない。
腕に目を飛ばしてみる。左腕には点滴。指先には機械。右腕にも別の機械が刺さっている。これがどこまで深く刺さっているのかは、ガーゼが邪魔で見えない。胸や腹部からは電極みたいなもんが伸びている。これも、まじまじとみる気にならない。
そうか…
ああ…
…思い出してきた。
ーーーーーーーーーーー
すべては、センター試験の次の日まで遡る
「センター試験、合計点数729点!
81%! 」
…
あれ。
僕はかなり落ち込んだ。
目標は得点率90%超えだった。
時間が厳しい国語と数学で失点してもいいように、他は満点のつもりで挑んだ。
そして化学と生物は満点のはずだった。
しかし結果は、文系教科の方が点数が高く、最低点は何と生物73点だ。
「嘘やろ!?」と叫びながら自己採点した。
慢心が産んだ結果だった。
結局僕は、”しっかりと対策していたというその事実”に慢心していたのだ。
だから見直しの意識が甘くなって、些細なミスをいくつも犯した。
81%…
決して大阪大学に出願できないほどの得点率ではない。
しかし学部選び次第では、これは博打になる。
英語・数学・生物・化学で受験するとなると、大阪大学では、理学部しか受けられない。
大阪大学については全く知らなかったので、理学部の受験情報を調べてみる。
化学科、物理科、数学科、生物科・生物コース、生物科・生命コース…
何やこれ。物理科は物理必須やし、実質、4つしか選択肢ないやん。
一番偏差値低いとこでいっかぁ……
いや、待て。
4年間やぞ?
受かったら4年間通うんやぞ…。
そんな適当に決めていいんか…。
4年間それで楽しいんか…。
つか、妥協するくらいならなんで志望校上げてん。
しばらく考えた。
…ここまでやってきて、最後の最後に妥協したら今までの自分が報われへん
どうせやるんやったら、一番難しいとこにしよう
こうして僕はセンターの得点率から、
打算的に考えるのはやめて、
最終的には気持ち良さを優先して、大博打に出た。
大阪大学理学部で最高偏差値の、
生物科学科・生物科学コースに出願した。
生物科学科のセンター試験の得点率の合格ボーダーラインは82%
僕は1%足りない。
…1%ってクソデカいなオイ
センター試験の数%は対してデカくない。
記憶だけでゴリ押しても、ある程度までは点数が伸びる。
それこそ、「bamboo 」の発音が「バンブゥ↑!」ではなく「バンブゥ↓」と知るだけで1点は上がる。
しかし二次試験は話が違ってくる。
大体は問題それぞれが連続した意味を持っていて、”いきなり途中だけ正解!”みたいなミラクル起こらない。
よほど運が良くない限りは。
だから僕はどうすれば勝てるか考えた。
ネットで最低点を検索しまくって、なるべく古い年度までの最低点を調べた。
そこから自分のセンター試験の点数を差し引いて、平均し、取るべき点数を割り出した。
不確かでもいい。
確かな未来なんてないし。
とにかく予想と対策が必要だ。
フィードバックによる修正はその後すれば良い。
この感覚は言うまでもなく、僕がこの一年、自分で予定を立てていく中で手に入れたものだ。
そうして弾き出した数字が、
56
二次試験全体で 56% 以上 取れれば僕にも勝機がある。
こうして僕はルーティンを練り直し、すべての勉強メニューを一掃して、やるべきことを考えた。
…そしてその日に、
病院に呼び出された。
「…うん。」
主治医は低い声で頷いた。
「…まだ肺の穴は塞がってないね」
「…僕は手術した方がいいと思うけどな」
隣に座っていたお母さんも賛成する。
あくまで僕に選択を委ねつつだけれど。
そして僕は悩んだ。
二次試験もシュコシュコするのか…
センター試験みたいに、もし途中で息苦しくなって、試験どころじゃなくなったらどうしよう…
…それに何より、早くこの痛みから解放されたい
…「分かりました、お願いします。」
かくして、僕は検査入院も含めて、またこの病院に入院することになった。
おなじみの車椅子に乗り、病棟に運ばれる。
よお!みんなぁ!2週間ぶりいいい!
戻ってきたぜ!HAHAHAHA
💢
また体にメスを入れて脇腹から管をねじ込む。
体はもう穴だらけだ。
ちっさい頃スポンジ・ボブが大好きで、将来の夢はスポンジ・ボブになる事だったのだけれど、まさかこの年にして叶うことになるとは大変有り難い話だ。
例の可愛いナースさんが止血する。
うへへ。
「すごい受験やねえ。受験終わったら誰かに話してあげて」
「…はい…絶対受かって、
誰かに話そうと思います」
…絶対に受かる。
僕はいっそう決意を固くした。
バッドニュースは、すぐに手術できる先生がいなくて、手術の目処が立たないことだ。
それから2、3日が経った。
毎日、機械をゴロゴロ引きずりながら談話スペースに勉強しにいく。
もう談話スペースに集まる患者さんたちとは、お友だちだ。
歳は、僕のおばあちゃんくらいの人がほとんどだったので、たくさん可愛がってもらった。
応援の助けもあり、痛みの中、頭を抱えながらも、難しい二次試験の勉強を続けられた。
特に苦手だった数学と化学を、起きてから寝るまでずっとやっていた。
「ぐえええ!積分計算が重すぎる!」
「何やねんこの有機化学の問題!知らんわ!」
「こんな解法思いつくわけないやろ!」
「計算がハードすぎるわ有効数字3桁ってどういうことやねん僕は計算機じゃねーぞ!」
と文句を吐きながらも、重要なことはすぐにボイスレコーダーに吹き込んで繰り返し聴いた。
聴くだけじゃなくてそれよりも手を動かしてイメージトレーニングして…
過去問は、たった5年分しか持っていなかったけれど、それを幾度となくやり込んだ。
過去問の角が取れて丸くなった。
表紙の塗料が剥がれ落ちて、汚れた白になった。
そんなある日、グッドニュースが届いた。
阪大の卒業生である院長が、僕の噂を聞きつけて、学生時代の友人に直接連絡してくれた。
病院を移りさえすれば、すぐに手術出来るとのことだ。
僕は感謝してもしきれない。本当にどれだけの人に助けられればいいんだろうか。
「ありがとうございます!お願いします!」
そうして、翌日の朝に病院の移動が決まった。
手術前夜も談話スペースで勉強していた。
夜は更けて、周りには誰もいなくなった。
寒くて、
静かで、
孤独で、
二次試験も手術も本当はすっっごく怖くて…
その夜は無性に手が冷えた。
こわい
と小声で呟く。
二次試験の問題を解いているけれど、まるで正解できない。
二重苦
…クソ…
今に始まったことじゃないのに、急に自分が哀れに思えてきた。
…コツン。
机に何かが当たる音。
目を開いてみるとそこにはオロナミンC が置いてあった。
主治医の先生が、業務の合間を縫って声をかけにきてくれた。
「結局、こんな形で終わることになってごめんね。」
「本当は最後まで治してあげたかったんやけど。」
「…頑張れよ」
病衣で涙を拭う
「ありがとうございます。
言われなくても頑張りますよ」
と強がる。
「ははは
…
そうやな、君なら出来る」
決して、多くは語らなかった。
けれど、このオロナミンCと先生の一言に僕は救われた。
そして次の日、病院に移り、昼過ぎに手術が行われた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
…
そうだった。
そうだった、それで僕はこうして病院にいるんだ。
朦朧とする意識の中、少しずつ状況を理解する。
「おかあさん……」
「きょうは、なんがつの、なんにち…?」
喉がすっごい痛くて、
枯れ草が風に揺られたときの音のような声しか出せない。
…
「…今日はね、」
次回予告
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