小中不登校、ヤンキー高校から一年間の独学で阪大に受かった話 [Origin] 第3話 螺旋
桜はもう散り始めている。けれど、まだまだ春の風だ。
僕は気持ちの良い風に吹かれて手放し運転をする。
「じゆうだああああ」
と声を出しながら走る。変人だ。
家から自転車で15分ほど走ったところにそれはある。家からほぼ道なりに進み、坂を傾斜のまま下り、長い線路沿いの道を進むと、見えてくる 。
市民センターだ。
地元っ子には市民センターというよりも、ルナホールと呼んだほうが耳馴染みが深いだろう。ルナホールというのは、市民センターの施設の一部で、そこでは毎年合唱コンクールの優勝チームが記念コンサートをしたり、市内の吹奏楽部交流会やクリスマスコンサートが行われる。この芦屋市で中学校まで過ごしたのなら、まず知らない人はいない。それほどルナホールの印象が強いから、市民センターとルナホールはほとんどイコールで結ばれている。
かくいう僕も、ルナホールが市民センターとはイコールではないと知ったのは最近のことだ。
…ようやく着いた。
自転車をガードレールにくくりつける。無料の駐輪場があるのだけれど、そこまでは緩やかな坂をZ字型にクネクネと自転車を押さなければならない。それは面倒だろう。
市民センターは三階建の立派な建物で、遠くから見ると美術館か何かのようだ。この感想はあながち間違いではない。市民センターでは定期的に美術展が行われ、どうやら地元の学校の芸術に関する部活動の優秀な副産物は、ここに飾られるらしい。
館内は青い廊下がひたすら続いている。ガラスが効果的に使われているので、館内はほぼ日光だけで十分すぎるほど明るい。やはり、有名なデザイナーによるものなのかと思わざるを得ない建物だ。一階フロアから二階までは吹き抜けで、三階だけは階段を使っていくしかない。二階に渡り廊下があって、そこから図書館棟に行ける。
渡り廊下は、防音加工がしてあるのだろうか、驚くほど音が響かない。日本人は遺伝的に本に対して、敬意の念から、緊張すると言われているが本当なのだろうか。僕はこの渡り廊下に足を踏み入れるだけで、次の一歩が踏み出しづらくなるから、どうやら本当のようだ。
図書館と行っても、学校の図書室程度の大きさしかない。一階建で、教室二つ分くらいの大きさだろうか。
古臭い本と、閲覧席が並んでいる。もう寒くはないのに、暖房がよく効いている。
椅子をひき、腰掛ける。さあ、勉強のスタートだ。
…
…
…
一週間で行かなくなった。
いや、これは僕が目的を忘れたからではない。
単純に、図書館には楽しい人がたくさん居たからだ。
爆音でいびきをかいて寝る老人
小説を読んで、楽しそうに実況する老人
クロスワードパズルを声に出しなが解く老人
人体から出てくる音かと疑いたくなるような音を、ずっと出す老人
ゴシップ雑誌を読みながら、世の中に物申す老人
…
楽しい人のオンパレードだったので、静かに勉強したいだけの若者なんかが居ては、図書館に申し訳なくなった。
だから、市民センターの長い廊下に置かれたソファとテーブルで勉強することにした。
机に貼ってある「自習利用禁止」という注意書きのうえに筆箱を置いて、勉強を始める。
日々は
朝起きて、単語帳の音声を再生し、単語の意味をなるべく早く言う。
間違えて、間違えて、間違えて…仕分けして、覚えなおして、また間違えて間違えて間違えて、
仕分けして仕分けして仕分けして
覚えなおして
間違えて間違えて間違えて、
…
朝の3時間ほどずっと950単語ほどを回す。
ようやく一つ目のルーティンが終わったら、次は英語の音読。
聞いて、読んで、覚えて、聞いて、読んで、覚えて、聞いて読んで覚えて…
30分ほどやったら自転車に乗って、音声教材を聞きながらシャドーイングして、市民センターに向かう
…
この繰り返しの毎日だ。
もう、何が辛いとか、あれがしたいこれがしたい、とかは殆ど感じない。
僕が少しでも怠けそうなときには、
「去年と同じ一年を繰り返すつもりか」
と誰かが僕を叩き起こす。
…
いや、
“あの空虚な言葉や日々”が、僕を叩き起こす。
ーーーーーーー
高校三年生
センター試験以降は、高校に行かなくなって結局、卒業式にも出なかった。
最後に友達に送ったLINEは
「卒業式なんてお涙ちょーだいの馴れ合いやろ?w
僕は勉強するわw」
だった。
「卒業式そっちのけで勉強している自分かっこいいw」
という感じだ。
…
そのくせに、
二次試験の残り10分は、諦めてボーッと教室を見渡していた。
「おー、横のやつは賢そうだなあ。こいつは受かりそうだなあ」
というふうに、他の受験生の合否占いをしていた。
神戸大学受験の翌日は、高校に卒業証書をとりに行った。
僕を信頼してくれていた担任の先生は優しく怒りながら、試験の手応えを尋ねてきた。
「藤森、試験はどうたった?」
僕は目を逸らして答える。
「…覚えて、ないです。」
沈黙が続く。
「…そっかぁ。
それほど集中してたんだなあ」
僕は何も答えずに、目を逸らす。
先生と思い出の校舎を練り歩き、話に花を咲かせる。
ひとしきり喋って、笑って、校門に向かう。
…
「藤森ぃ、…」
「…はい?」
「結果は教えてくれよ、待ってるからな。
あと、同窓会くらいは顔出せよ、
みんなが寂しがってたぞ。」
沈黙
「わかってますよ、
先生は相変わらず、心配症ですね」
僕は校門を後にする。
その後、先生を振り返ることはなかった。
…
そして、あの二次試験の合否発表の日が過ぎた。
結果は知っての通りだ。
僕は何も言うことができなかった。
最後に先生に送った言葉は、
LINEで、
「どこまでも恩師不幸な生徒ですみませんでした」
ーーーーーーーーーーーー
…
目を瞑れば、まぶたに焼き付いた嘘つきの日々が鮮明に思い出される。
それが何度も僕を叩き起こす。
やめそうになっては、ペンを握り直す。
「えーっと、まず第五文型っていうのがあって、
えーっと、すべての英語はそれに大別できて…」
「えーっと、…そもそも名詞の定義ってのは…
えーっと、主語になる、
あー…目的語になる、それと、
補語になる、前置詞の目的語になる、
あとは…なんだっけ」
「つーかそもそも主語と述語ってなんだ…」
Googleで、「英語 主語」と調べる。
調べては理解しようとして、理解したと思ったやつは、すぐに使えるかどうか試した。
するとまたどんどんハテナが生じる。
補語って?
目的語って?
前置詞って?
形容詞って?
数学も同じだ。
え、円周角の定理って?
え、相似って?
ん?
合同って?
錯角ってなんや…?
自分がどうしようもなくバカだと、毎日自覚させられる。
それを認めて、自分の出来ることをクソ地道に、着実に増やしていく。
なるほど、わかった!理解した!と思っても、次やる時には忘れてて、
理解が混乱して、
またやり直すと、別のところで分からなくなって
一つの定義や定理、公理の証明を何回、いや何十、何百回と繰り返す。
そんな日々でも、たとえ、ご老人しか通り過ぎないような薄暗い廊下に、何百時間いようとも、目的だけはいつも見失わない。
ここで学んでるのは、自分をぶっ倒すためにやっている。
自分に最大の試練を課して、逃げ腰の他力本願なクソ野郎をぶっ殺す為にやっている。
……
確かに同じような毎日だ。
けれどそれは、ループじゃない。
自分で考えて、
つまづいて、
転んで、
迷って、
転げ落ちて、
でもまた立ち上がって、
ひたすら上へ上へと自分のペースで階段を登っていく。
そんななか、見知らぬご老人や、市民センターの人が温かい言葉をかけてくれる事もある。
「おぉ勉強してんのかぁ!
どこ目指してんの!
…神大かぁ!?
賢いなぁ!いけるいける、頑張ってなぁ!
…ちなみにじいさんはな、京大やねん!」
「あのォ…有料利用のお客様がもういないので、この廊下の電気切ってもいいですか?」
「キミ、ここは自習するとこじゃないんやけど。」
たくさんの温かい言葉が僕を助けてくれる。
その度に、進もう《自分をぶっ殺そう》と思える。
ーきっとこの螺旋の向こうに新たな光があることを信じて。
次回予告
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