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自分に試練を与えるという筋トレ

北海道滝川市を中心に中空知エリアで放送を行っているラジオ局FMGskyで放送されているラジオ番組 Like a rolling stone のまとめ記事です。
こんな番組です→Like a rolling stoneとは? 

本日も読んでいただきありがとうございます。

日々の生活の中で大変なことや自分自身で辛いなーと思う時や場面は人それぞれあると思います。その辛いと思う時間や空間て自分で選択したものでしょうか。題名の通り、自分で選択して定期的にチャレンジをされている方がいたら、それはもうとても尊敬します。適度な負荷を自分自身に与えることによって、「できないことができるようになった」とか「目標に一歩近づいた」とか「乗り越えることができた」など何らかの自分自身が確認できる成長というものを得ることができます。その積み重ねや掛け合わせによって自分自身の価値というものが構築されていきますよね。

●僕が先日体験した試練

これは8月末の僕の実体験です。
僕自身は、現在お墓屋さんに勤めていまして、仕事で墓所を穴を掘ることになりました。
お墓の移転に伴い、そのお墓にあるであろう昔の土葬を掘り返してお骨を取り出すためです。
穴を掘るという活動は、全くゼロの経験ではないものの遺跡発掘するほどの大規模なことはしたことありませんでした。
重機を使えばよかったのですが、遠方まで行ったということもあり、1人で手掘りをしました。もちろん同僚と2人でいき、他の作業もやりつつ、穴掘りをしている時は監視もしてもらっていました。

大変さ、辛さというものは2種類あります。それは、肉体的なものと精神的なものです。
肉体的には、暑さ(当日の最高気温は33度)、日差し、そして土を掘るという動作の体力が辛かったですね。足の下にスコップを運ぶという動作はかなり体をかがめますし、自分の足場分も掘らないといけないので掘削範囲がかなり広くなります。そして深くなればなるほど体の動かせる範囲が狭くなるので体が変に捻れたような体制で行うこともありますし、側面などが崩れないようにケアをする必要もありました。常に体を動かしている状態だったので、体が火照り大量の汗をかき、熱中症寸前までやっては休憩するという繰り返しです。自分の体の状態と向き合って冷静に観察しながら作業を進めていかなければなりませんでした。
精神的には、目標物が見つかるのか?という不確定なゴールが一番辛かったですね。苦労の割に結果がついてこない可能性がありました。なにせ100年近く前のことを言い伝えしか情報はないわけです。自分の短い経験からも、お墓に関しての記憶は結構曖昧で間違っていることも多々あるというのがありました。そして掘ってお骨を取り出す分の料金をもらっているので、「掘ったけどありませんでした」では済まないよなと思いながらの作業でした。お客さんの立ち合いで掘削をしていたのでお客さんが満足いくまで掘るという、果てしないけど分かり易い諦めポイントはありました。作業進めていく中で、「この作業はトレーニング」という風に自分の中で位置付け、「この辛さまでなら作業ができる」という自分自身の身体的理解と精神的自信を充足するための試練だと考えながら取り組むと、絶望的な感じがだいぶなくなり楽しくなりました。

3時間ほど掛けて2メートルほど掘った結果、何とお骨は出てきました。これがまた綺麗に形が残っていたのです。周りに何もない山中でこんなのが出てきたら事件だなと思いながらも、何とか目標は達成されました。
穴掘りがこんなにも大変なものだとは思いませんでした。


●成長するには適切な負荷が必要だ!とポジティブに解釈すると辛いことも捉え方次第では楽しくなる

穴掘りが大変だという話しは割りとどうでもいいのですが、今回の経験を通して感じたことは、時々自分が辛いと感じることに取り組むのは大切なんだなと改めて思いました。

スポーツの練習などが特にそうだと思いますが、自分の肉体的・精神的成長を進めていくためにはそれぞれの能力限界よりも少し上のことをトレーニングとして取り組むことも時には必要になってくるのではないでしょうか。筋トレなんかはわかりやすくそうですよね。人それぞれにあった適切な負荷を与えて筋細胞に超回復を促します。これが適切な負荷でない場合、例えば負荷が軽すぎると超回復はおきませんし、負荷が重すぎると場合によっては怪我をしてしまいます。

自分が成長するために「肉体的または精神的にあえて負荷(ストレス)のかかる事」というのは、仕事で出くわす場面が多いと思います。もちろんプラベートの時も人によっては多い場合もあるかもしれません。
負荷が適切かどうかは、「できそうな気がする」と思えるかどうかだと思います。今回みたいに思った以上に大変だったパターンもあるでしょうが、「できそうな気がする」は取り組む過程とゴールが何となくイメージできるという事だと思います。イメージして、取り組んで、必要があれば修正したり、過去の経験を利用して自分の能力を総動員しての、トライとエラーを繰り返す事で達成できるという経験は、自分を成長させていく上ではとても大切になります。

もちろん、人を教育する立場であれば成長の機会を与えるために「適切な」ストレスを人に与えるということは必要です。
ただその際に、うまくいかなかった時や失敗してしまったときのフォローやリカバリーをしてあげることは必須となります。さらに負荷を受ける側にも選択肢があって、「トライしてみる」いう風に選べれば良いですよね。
適切ではない肉体的精神的ストレスは、怪我やトラウマの元となります。人に与える場合でも自分に与える場合でも、人のこと・自分のことをよく知り対話を持ってトライしてみるのが良いと思います。

何よりもストレスと感じていたことを、自分が成長するための筋トレなんだと理解をすれば様々なストレスが激減するのではないでしょうか。
ストレス(不快)を乗り越えると、成長した仏のような自分(快)に一歩近づくと思えば、寝苦しい不快な暑さも身体が適応するために訓練中だと解釈できますよね。

どうせ同じ時間を過ごすなら、物事の捉え方をちょっと変えてポジティブに過ごした方がお得ですよね。

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