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愚痴あるいは大量消費音楽の話

レコード会社の役割はもう終わったと僕は思う。それは多くのレコード会社が認めなくてはいけない事実だと思うし、アーティストもそれを認めないといけないと思う。いやいや、お前何様だよと思うレコード会社の人もいるかもしれないけど、大体そういうこと言うやつは中途半端な仕事しかしてない人だから僕は気にしない。
インターネット、SNSの発達によって音楽が消費される文化になってしまったことは仕方のないことだし、「何をいまさら」と思われる人も多いかもしれない。ただ、それによってレコード会社や、余計な人間を間に入れないで作りたい曲、伝えたいメッセージを社会に発信することは昔に比べて格段にハードルが下がった。もちろんリスクだってあるけど。

レコード会社が今果たしている役割は、まあ言ってしまうとアーティストが曲作りとかライブに集中できるようにその他の雑多な仕事をすべて引き受けるということだ。よく言えば。(僕個人としてはアーティストはそういう雑多な仕事をやったうえで楽曲を世に送り届けるべきだと思う)
タイアップやらなんやらもそうだけど、もっともっとここに書ききれない雑務と、細かい仕事、それから想像するのが難しいぐらいとんでもない数の人間が関わることによってアーティストが世の中に楽曲を届けられている。時々、ライブのMCとかでスタッフに感謝しますというアーティストがいる。たぶんそこでその人が感じている感謝は紛れもなく事実だけど、ともすればその人すら知らない、会ったことも名前さえも聞いたことのない会社の人たちが関わることでそのアーティストは活動ができている。
これはどんな無名のアーティストでも、有名なアーティストでもそうだ。
裏方の人たちは苦悩しながら、明日仕事に行きたくないなとか、打ち合わせ面倒だなとか普通の会社に勤める人たちとなんら変わりない人たちがそういう華やかなもの作りにかかわっている。余談だが、レコード会社は鬱になる人が本当に多い。

僕は今、それなりに名前の知れたレコード会社で働いている。内情を覗き込むとエンタメの内側というのはほとんど属人化され、ノウハウの蓄積がほとんどないガラパゴス的な独自進化をした業界だと強烈に実感する。
はっきり言って全く面白いと思えないし、今後の世界に残す価値のある業界だとは全く思えない。
属人化の反対は均一化、あるいはシステム化といったところだろうか。
当然、音楽業界も高齢化が進んでいる。アーティストも同じかもしれないが中にいる人間たちも今第一線で活躍しているA&Rやディレクター、プロデューサーは40代、50代がほとんどで、30代以下はまだまだ新人という扱いを受ける(自分もそうだが)。時には定年を経て独立した元社員の人を頼ることも少なくない。新しいやり方は迎合されない。
たまたまその人が担当してうまくいったことが形骸化され、結果としてその人しか知らないことが増え、その人のやり方が正義になる。
まあ、要するに多くの業界と似たようなことが行われている。

僕は自慢じゃないが転職経験が多い。ところがレコード会社ひいては音楽業界というのは業界内人事というのが横行しているため、一般企業を長く務めた経験のある人材が全くといっていいほどいない。近親婚を繰り返して血が濃くなってしまったみたいに。若返りを図ろうという気持ちは大いに感じるが、正直言って難しいと思う。今までやってきたやり方以外を勇気をもって受け入れられるのならまだ望みはあるが、50代のみなさんがそういった新しいやり方を受け入れることに首を縦に振れるのならとっくに高齢化なんて解消されているはずだからだ。
これから若い人材はより制限され、優秀な人はたぶんエンタメ業界には入らないと思う。僕はそう願う。

一方で、属人化された仕事によって多くの名曲やアーティストが世に送り出されていることも事実だ。
事実だから良しとするかはまた別の話だし、正直な話本当に世の中から必要にされるアーティスト、およびその楽曲はどんなに道を塞いでも日の当たる場所へ姿を現す。まあ、スムーズさとか速度とかそういうのは違ってくるけど、そもそも売れたいとかいう気持ちを少しでも持ったアーティストはアーティストじゃないと思う。

アーティストの責任について話そうと思う。
僕は多くのアーティストが、社会性もなく自分たちの作りたい音楽を作る姿勢に吐き気を覚えるタイプの人間だ。
また、そんなアーティストの悪事に加担するディレクターにもっと反吐が出るタイプでもある。
じゃあ責任を果たすとはなんだ、そんなアーティストがいるかと問われると、うーんと首をかしげてしまう。そんな奴いたっけ。
別にマイケルジャクソンみたいにアフリカの子供たちのために何かしたりとかそういうことを言ってるんじゃない。
例えば、CDを出すにあたって自分たちのこだわりを出すのは構わないが、発売日ギリギリで仕様を変えようとしたり、自分の友達をCDのデザイナーとして参加させるとかそういうことを言っている(完全に私怨に近い)
だってそんなの許されるのマジでエンタメ業界だけなんだよ。
許されている訳ではない。テレビやラジオや雑誌で良いこと言っているアーティストや、山ほどの名曲を作っているアーティストも身内(一緒に働く人たち)には僕らが想像もつかないほど甘かったり、逆に冷酷だったりする。
僕は腐るほどそういう現場を見てきた。
えーあのミュージシャンそんなことしちゃうんだ…みたいな。

再三にわたるがそういうものでしょって言われたら、まあそうだとしか返事ができない。それをわかって入社したんじゃないの?って言われたら、いやそんなとこまで想像できるわけないだろ!と言い返したい。
僕は外から来たからそんな業界内のスタンダードについては疎かった。
というわけでもしこんなnoteの片隅のほこりかゴミだかも分からない記事を見ている音楽業界志望の人がいたら僕は全力で他の業界へ行くことをお勧めしたい。特に本当に音楽が好きなら、絶対に、絶対にやめておいたほうがいい。
僕は今の会社に入る前は、暇さえあれば聞いたことのないアーティストを掘っていたし、ギターも終電で帰宅しても15分は絶対に触るぐらい聴くのも演奏するのも好きだったが、今では0だ。仕事以外で音楽に触れたいなんて1ミリたりとも思えない。
今僕の願いは早めに転職か何かをして元の音楽との距離感を取り戻すことだ。人間は見たくなければ瞼を閉じれば、見たくないものは見なくてすむ。
耳はそうはいかない。鼓膜は自分の意思で閉じることはできない。
何言ってるんだ、両手があるだろうって思った人よ、僕は音すべてを拒絶したいわけじゃない。わがままだろうが何だろうが、耳に入ってきた音楽に対してこれは好きだ、これは嫌いだ、これは興味はないと言う権利がある。

音楽の消費される速度は加速し続けている。もはやこれは誰に止められない。
少なくない時間をかけた楽曲が、まるで安いガムみたいに噛まれ、すぐに味がしなくなったと捨てられまた新しいガムを要求される。この罪は一体どこにあるのだろうか。
僕はもうこれについては仕方のないことというか、自然の摂理に近いと思う。どこかで限界が来て、アーティストがこんな奴らのために音楽作っても仕方ないってあきらめる前になんとかしないといけない。
ネットやSNSがなくても音楽はできる。でもほとんど多くのアーティストはネットやSNSがある音楽活動を望んでいると思う。だってそうしないとお金にならないもん。
お金になるかならないかは、当然だけどものすごく重要なことで、まあ産業っていうのは結局お金を生み出すものを中心に発展する。それは音楽に限った話ではない。

そんなこんなで最近はもっぱら読書にはまっているし、自分で小説を書いたりしている次第だ。
結局レコード会社や音楽業界をどれだけ否定しても現在の自分を構成している要素の多くがそういったエンタメ由来のものであるという矛盾がどうにも我慢できなくなり、吐き出してしまった。
きっとこれからもこの矛盾と向き合うことを辞められないことを僕は知っている。
駄文失礼。





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