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照さん ② ~十日戎~

「ねぇ、これ一緒に行こう」

照代が突然訪ねてきたのは、仕事始めから一週間ほど経った粉雪の舞う深夜だった。
十日恵比寿神社のえびす銭を、寒い中わざわざ届けてくれた。
宗教や信仰の話を振っても反応の薄い彼女だが、十日恵比寿神社の正月大祭だけは毎年欠かさない、どこかミーハーな信心深さにも僕は好感を抱いていた。

緋色のニット帽とモスグリーンのピーコートの彼女の頬は、雪だるまをこしらえた後の少女のように淡く高陽していた。
  肩の雪を軽く払ってあげると一目散に、黙々と湯気を上げるヤカンを乗せたアラジンストーブの前に駆け寄り、ポケットから四つ折りにしたチラシを取り出し興奮ぎみに言った。

  その年、九州北部地方は観測史上まれに見る寒波に襲われた。加えて物価も軒並み値上がりして、僕の懐にも猛吹雪が荒れていた。
  休日出勤、薄給の上にサービス残業、うだつの上がらない中間管理職、はしご酒の度に口をついて出るのは人生に対する恨み言ばかり。
そんなこんなが頭をぎっている間、照代は活き活きとした表情で悩みなどひとつも無いように見える。

「鳥獣戯画展が福岡で見られるなんてまたと無い機会」だの、「日本における漫画文化の原点」だの、「仙厓和尚の作品も同時に見られるのだから行かなきゃ損」だのと、テレビショッピング顔負けの勢いでプレゼンが始まる。
「へ~」だの「ほお」だのと、ジェムソンのソーダ割りを作りながら僕は曖昧な相槌を打った。

どちらかというと消極的に「行ってみようか」とは言ったものの、ますます彼女の世界について知りたくなっている自分に、僕は確かに気付いていた。


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