Education2030プロジェクトとウェルビーイング⑵一2030年に求められる態度・価値観

 白井俊『OECD Education 2030プロジェクトが描く教育の未来』(ミネルヴァ書房)によれば、多くの国のカリキュラムにおいて、自分自身や他者、国家、多様性、環境等を大切にする気持ち、共感性、誠実さ、レジリエンスといった要素が教育の目標として挙げられている。つまり学校は、各国・地域の文化やアイデンティティを伝え育てる機能を果たしてきたということである。
 社会・経済の在り方に教育がどう対応していくか、という明治以来の「追い付き、追い越せ」型の「受身」の姿勢から、「私たちが実現したい未来」、つまり一人ひとりが夢を描き、その実現に向けて取り組むべき「社会的なウェルビーイング」の実現を目指す教育への転換こそが求められているのである。
 コンセプト・ノートの表現によれば、「人間としての尊厳、敬意、平等、正義、責任感、グローバル意識、文化的多様性、自由、寛容、民主主義」(OECD,2019b)などの価値観である。これらの態度や価値観は、ウェルビーイングを実現していく上で重要な役割を果たすことになる。
 様々な「21世紀型スキル」の提案において、態度や価値観の側面が重視されていたとはいえ、Education2030プロジェクトにおける議論において、当初から「態度及び価値観」が位置付けられることが決まっていたわけではない。むしろ、当初の段階では、OECDが策定しようとしていた学習の枠組み(ラーニング・コンパスと後に呼ばれるもの)の位置づけが定まっていなかったこともあり、一部の国からは、態度や価値観などの要素をコンピテンシーの枠組みに入れることに対する反対論や慎重論も出されていたのである。
 その背景にあったのは、態度や価値観は、学校教育ではなく家庭教育の役割であるという認識であった。これに対して、伝統的に「知・徳・体」の調和を重視してきた日本や韓国などからは、態度や価値観を育てることも学校教育の重要な役割であることが強調された。
 また、フランスにおいてテロが続発していたことなどもあり、仮に幅広い知識や高度なスキルを有しているとしても、社会に対して有害な形で行使されることに対する懸念の高まりもあった。
 また、ラーニング・コンパス自体が、必ずしも学校教育のみを対象とした枠組みではなく、家庭教育や生涯学習をも視野に入れた学習の枠組みであるとの性格が示されたことから、態度及び価値観をコンピテンシーの要素の一つとすることで合意が得られたのである。
 ところで、ラーニング・コンパスにおいては、態度及び価値観を、「個人や社会、環境に関するウェルビーイングの実現に向けて行う、個人の選択や判断、ふるまいや行動に影響を与える主義や信条である」(OECD2019b)と位置付けている。
 コンセプト・ノートにおいて示されている定義によると、「価値観」とは、「公私を問わず、人生のあらゆる場面において、意思決定を行うに際して人々が重要だと考えることを下支えする指導原理」のことであり、「一定の判断を行うに際して、何を優先するかとか、改善のためにどうしたらよいのか、といったことを決定するもの」である。
 また、「態度」とは、「価値観や信条によって下支えされ、その人がどのように振舞うかに影響を与えるもの」(ユネスコ)であり、「特定の物事や人物に対して積極的または消極的に反応する性向を表すものであり、態度は特定のコンテクストや状況によって変わってくるもの」とされている。
 ラーニング・コンパスでは「態度及び価値観」という言葉を採用しているが、そもそものEducation2030プロジェクトの目的が、他の提案を排除して概念や用語の統一を図ることではなく、様々なコンピテンシーの枠組みに対して共通言語と共通理解という大枠を提供するということであるので、他の表現を排除するものではない。
 また、価値観についてはそれが問題となる場面や文脈によって捉え方も変化するが、コンセプト・ノートでは、以下のように4分類している。

 ⑴ 個人としての価値観
 ⑵ 対人関係における価値観
 ⑶ 社会としての価値観
 ⑷ 人間としての価値観

 ところで、AIが発達し、より広く普及していく時代においては、態度及び価値観の重要性がこれまで以上にクローズアップされることになる。即ち、態度や価値観に関する側面は、今のAIでは十分に対応できない人間固有の知性であり、人間が力を発揮していかなければならない領域ということになる。
 AIによって代替される可能性が低い職種の特徴が、他者との関係性が求められるということである。具体的には、説得や交渉など、複雑な関係性を読み解いた上で、柔軟に対応していくことが求められる職種である。こうした仕事をしていくためには、単に知識やスキルがあるだけでなく。態度及び価値観を必要とする。高い技能を要しない製造業や、セールス、サービスなどに関する仕事は、今後オートメーション化される可能性が高い。
 一方、対人的な関係性が必要になる他者への支援、介護などに関する職業については、仕事内容としては比較的シンプルであるにもかかわらず、オートメーション化される可能性は低い。すなわち、今後も必要とされ続けるためには、知識だけでなく、スキルや態度及び価値観を獲得しなければならないし、生涯を通じて新しいコンピテンシーを獲得していくような柔軟性や積極的な態度が必要になってくる。
 AIに代表される近年の技術発展のもう一つの影響として、私たちに様々な倫理的な課題を投げかけてきているということがある。コンセプト・ノートでも挙げられている例として、「完全自動化された自動車は、人間が運転する自動車よりも安全で効率的なのか。事故が起きた場合の責任は誰が負うのか」、「3Dプリンターは従来の製造工程を短縮し、より低廉で素早く商品を届けるようになるか。もし、3Dプリンターが、家庭での銃器製造や、一人ひとりに個別化した薬の製造に使われるようになったら、一体どのようなことになるか」、「ソーシャル・メディアや商店のディスカウント・カードの利用、ネット・ショッピングなどをする際に、私たちがどれだけの量の情報を企業などに渡しているかということについて、どれくらい考えているか」といった問題がある。
 こうした問題は、技術の進歩に伴って新しく生じてきたのだが、その解を見出していくためには、一定の倫理的な判断が必要になってくる。AI技術の発達により、AIは様々な仕事について人間を代替することが可能になってきているが、こうした倫理的な判断をAIには期待することはできない。少なくとも現在のAIには、自らの判断が、倫理や道徳に照らしてどうなのかを判断することはできないし、こうした部分は人間が行わなければならない。
 これからAIがますます発達、普及していくにつれて、倫理、道徳はより重要になってくる。たとえば、AIの使用が適切であるかどうかを判断、評価したり、法的に正しいのかを考えたり、あるいはAIの利用が人間の安全を脅かすとか、倫理上の問題があると考えられるケースについて判断したり、AIがもたらす潜在的な危険性について声を上げていくといったことが求められるであろう。こうした倫理的な判断を行っていくためにも、「態度及び価値観」は今後より一層重要になると思われる。
 

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