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01. 僕らはきっと旅に出る

前書き(のようなもの)については こちら を。

旅と旅行の違いにやたらととらわれていた時期があった。

自分のまわりにバックパッカーが多いことも影響しているのだと思う。ゲストハウスやホステルを企画運営する会社に身を置いているので、スタッフやお客さんなどで、かつて何十ヶ国も渡り歩いた人や現在も世界各地を放浪している人たちによく会う。

「彼らのしているものこそが旅だ」という意識が強いがゆえに、そういった人たちに会えば会うほど、話せば話すほど、僕と旅との距離は遠く離れていった。彼らのためにも、自分がしたことのある旅行を旅と呼ぶわけにはいかなかった。

それに僕は実のところ、彼らがするような旅をしてみたいとは思わなかった。

僕が20代を過ごした2000年代後半から10年代前半、「旅」はいまよりも少し強い意味を持っていたように思う。好奇心、冒険心、野心あふれた人がまだ見ぬ世界に目を輝かせ、日常を抜け出し、勢い勇んで飛び出していく特別な行為。そういう空気があった。

その点、僕には冒険心も野心も憧れる世界もなかったし、それなりに毎日楽しく、旅に心奪われる理由が特になかった。そもそも性に合っていないように思う。決まって語られる「価値観変わるよ」みたいな文句にも、失礼にならない程度に首を傾げていた(自分がひねくれていたわけではないと信じたい)。


そんな折、初めて海外に行くことになった。いまから7年前、当時僕は27歳で、いまのところそれが唯一の海外旅行である。

行くと決めたのはもちろん自分の意思ではあるのだけれど、会社で「社員は1年に1回、2週間まとめて休みを取れるようにしよう」と決まったのがきっかけだった。そんなにまとまった休みは久しぶりだったし、じゃあ試しに海外でも行ってみるか、という気分でパスポートを申請しに行ったのである。

悩んで決めた行き先はオーストリア、ハンガリー、クロアチアの中欧・東欧エリア。ありきたりなところじゃ面白くないかという気持ちもあったし、余計な先入観なく過ごせる、知らない土地に行きたかった。

勢いで決めた行き先だったけれど、決めてみると、治安は思ったよりもいいらしいし、ヨーロッパの素朴な街並みを見て回れると思うと、出発は俄然楽しみになった。


物置きの隅に追いやられていた滅多に使わないバックパックを引っ張り出して着替えを詰め、地球の歩き方と小説を5冊ぐらい、両替しておいたユーロと出金可能なキャッシュカード、クレジットカード、それから「それは偽物の方だよ」と友人たちに笑われた5年用のパスポートを持って、一人飛行機へと乗り込む。その頃はまだ海外で使える安価なモバイルWi-Fiもそんなに出回ってなかったしPCも持っていかなかった。身軽な量である。

仕事が終わらず、徹夜の状態での出国でばたばたしていたこともあり、初海外の実感はちょっとした不安とともに、シートに座ってからやってきた。ぜんぜんなにも知らないので、フライト中お酒が提供されることにかなりびっくりしつつ、ビールを飲んだ。機内ではたぶん半分ぐらい寝て過ごしていたと思う。


ウィーン国際空港で初めて異国の地を踏んでからはあっという間で、旅行は総じて楽しかった。

ため息をつきたくなるようなトラブルにも何度か見舞われたし、一人は正直寂しくもあったけれど、拙い英語でも、なんなら言語が通じなくても、現地の人となんとかコミュニケーションが取れると知れることは単純に嬉しかった。

1週間が過ぎ、オーストリア、ハンガリーと経由してクロアチアに入る頃、自分の中に新しい感覚が生まれていることに気づく。有名な観光スポットも巡らず、ただ町を歩いているだけで、妙にリラックスした、楽しい気持ちになっているのだ。

「この町に住む人たちは自分のことを誰も知らない。町の人も自分も、ただ勝手に1日を過ごす。お互い関係のない他人同士だけど、関わりを持つことはできる。その町の中を、自分は、自分の意思でどこへでもゆける」

そのときはこんなふうに言語化できていたわけではないけど、例えるならそんな感覚の火種が、ぱちぱちと心の中できらめているような状態。すごく心地がいい。


1週間という期間は絶妙で、数日間の観光のように、非日常の刺激だけを摂取しているわけにはいかなくなる。そういったものばかり追い求めていても疲れてしまうので、自分が本来している暮らし、日常生活の部分がどうしても入り込んでくる。

とはいえ、普段と違って仕事や遊びの予定があるわけではないし、そばに友人や恋人もいない。だからそのぶん自分自身が浮き彫りになる。自分で好きな日常を選び取っていくことになる。

自分はどんなことに興味があり、なにを選び、いつ気が変わり、どこに行くのか。それが僕にとっては歩くことだったり、 マーケットを覗いたり、喫茶店に入ったり本を読んだりすることと結びついていた。そして、それがすごく楽しい。非日常的な体験よりも、他国で日常的生活を送る方がむしろ、人生は自覚的な選択に満ちていると教えてくれるようだった。


この感覚を知れたことで、旅行はより楽しくなった。ただ町を歩いて生活しているだけで楽しいのだから最高だ。

一人で歩いていると、町のいろんな景色が見えてくる。耳に入ってくる言語や、視界に入る見慣れない建物の形が、少しだけ感性を研ぎ澄ませてくれる。

クロアチアの首都ザグレブでは、広場でアルトサックスを吹くおじいさんが目に入る。演奏を終えると、一人の女性がおじいさんに飛びつき、長い間抱きしめていた。

アドリア海の真珠と呼ばれる海沿いの町、ドブロブニクでは、旧市街の狭い路地で、少年たちが器用にサッカーをしている。上を見上げると建物と建物の間に一本のロープが渡され、白い洗濯物が何枚もはためいている。

そんなふうに、歩けば歩くほど、町と、そこで暮らす人の姿が見えてくる。


印象深い思い出はほかにもたくさんある。

ホステルで同室になった韓国人がワインを奢ってくれたこと、半地下のレストランで格闘家みたいに屈強な男たちがやたら気さくにサーブしてくれたこと、道ゆく人にバスの乗り方を聞いたらいつの間にか10人ぐらいが集まって大会議になってしまったこと、海にせり出たデッキのような町で水より安いビールを日がな一日飲んでいたこと……それもこれもすべて、不思議と町場の風景ばかりだ。

旅行後半の1週間は、ほとんどたいした体験もしない代わりに、とても気持ちの安らいだものになった。そして、この旅行をきっかけに、僕はもっといろんな土地に足を運んでみたくなった。


中欧・東欧旅行の翌年から僕は、日本のさまざまな地方を訪れるようになった。海外の町に出掛けるよりも先に、日本の知らない町を見てみたいと思ったからである。

人がいて、町があって、心持ち一つでなんでもできる自分がいて、その感覚が楽しいのであれば、出掛ける距離は関係ないのではないかという気持ちもある。なんなら、隣町だって旅はできる。

いま現在の僕には、旅と旅行を分けて語る気持ちはない。単語のイメージがあるから、文脈によって便宜的、感覚的に使い分けることはあるけど、意味の差分に関しては、あの7年前の旅行を契機にぐるぐると溶け合ってなくなってしまった。表現の仕方以上に大事な感覚を見つけた気持ちである。


いまでも会社には2週間の休みの制度がある。

旅で価値観が変わるよとは僕の口からは言えないけど、そういうことだってあるだろうし、いまいる環境の不自由さに気持ちが疲れたとき、一人の旅行が自分を取り戻してくれることはあるかもしれないね、とは思う。

その場所を楽しむためにどこか知らない土地へ行くことを、僕は旅行と呼び、旅と呼び、たまになんとも呼ばず出掛けていく。


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