行政広報はあるが、被災広報は新ジャンルだったりする

パブリックリレーションズの教科書には、パブリックアフェアーズ、いわゆる行政広報という分野がある。というか、パブリックリレーションズの始祖は戦争プロパガンダと行政広報なので、パブリックリレーションズの元祖はこっちなのである。今回の台風19号の被災で、私はこの被災地に勝手に情報発信(というか、まとめる)で入っていくことを決断したのだが。。。やってみて新しいジャンルがあるのに気づいた。

被災広報

定義したモン勝ちなら、わたしが定義するが、被災地が個別から地区、地区から地域一体で情報流通機構を整え、受信だけから活用、そして発信し、自分たちに必要な支援を的確なタイミングで確実に得る戦略全般のこと。みたいな?

SNS、ここではFBが情報流通のハブになっていて、被災者のニーズと支援者のニーズマッチングのきっかけを提供する現象がみられている。

ただし、課題だらけ

結局のところ、情報流通に精通した人間がまわしているわけではないので、どのチャンネルに何を載せればいいのかがわからない。ユーザーとしての登録者はそれでいいけれど、モデレーションで相当の努力が必要、というのがわかってきた。

外部の人間たちでもまとめられる情報、と、避難所など現地を報じる情報、当事者の情報と、情報も3種類にわかれてきた。それぞれのタスクに応じた担当配分などが、将来のタスクフォースで必要、というのがわかってきた。

現状は、企業内の記事クリッピング行動と同じ状態

毎朝の情報検索&クリッピング。これを丸森町に対してやっているような感じ。さまざまな情報をまとめなおし、コミュニティに提供。提供先が企業の部署だったのが、コミュニティになっただけ。これに触発されて避難所の情報など現地にいないとわからない情報が出てくるようにならないと、その次のコミュニケーションが生まれないが、現在は刺激をしつづける状況。このままだと、新手の報道機関です。

被災広報は、すべてのステークホルダーをコミュニケーションに参加させることなのかもしれない

「こういったことがありますよ」と報じることで選択肢を生む。それを見てふつうは個々が考えて行動を起こすが、コミュニティがある以上、考える途中のプロセスで、「◎◎ということはどういうことか?」「ほかにも▲▲というものがあるよ」といったやりとりが生まれてこないと、コミュニティを作っている意味がない。

丸森のケースでとくにそれを感じるのは、道路が寸断されているなどの条件で泥のかきだしがまったく始まっていない地区と、すでにそれも終えて復興に乗り出した地区との格差。支援がまだのところは、声を上げなければならないのだが、遠慮してしまっている。コミュニティにこういうことをあげると、ネガティブにとられてしまう、と思っているのだろうか。

「うちにはまだ支援がきていない」

このトピックでさぐるべきは、どういう経緯でそうなっているのか、ということになる。世論は「ボランティアの圧倒的不足」を解として報道されつつあるが(やっとここで超広域災害であることの危機感が出てきた=支援は分散化し、県外からの支援はほとんどないかもしれない、という想定)、安全確保について、堤防修復と同じくらい、集落に至るまでの最低限の安全確保策がとられているのか、ということに。これを解明すべくあらゆる角度から情報を提供することが重要になる。ある人は道路の状況を写真付きで報じ、ある人はどろのかきだしの苦労を連日発信する、というようなことが必要。決してお涙頂戴ストーリーにはならない。

被災広報のアップデートは、地域一体の情報発信。その成果として地域別の支援が先鋭化することかも

こういったやりとりや提供の連鎖で、大変な状況は大枠で理論的になるのではないか。選択肢を与えることで何が重要なのかがわかるのではないか。私は現地入りしていない(というか、さまざまな理由でできない)ので、周辺から情報をまとめていくことでそれを促しつづけ、支援がローカル独自のものになっていく予感を感じる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?