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#512 国別対抗戦の意味

連日メダルラッシュのTOKYO2020だが、その影で「絶対王者」や「優勝候補筆頭」と呼ばれるような方々が敗れるという波乱も起きている。やはり「オリンピックには魔物が棲んでいる」のだろうか。

今まで様々な世界大会を経験していて、勝利を掴み世界ランキング1位を獲得しているはずだから、普段通りの実力を発揮さえすれば、表彰台の真ん中に立つことはそれほど難しいことではないように思える。

それでも、前評判通りの実力が発揮できないのは、相当見えないプレッシャーがかかっているということなのだろう。それとも他にやることがいっぱいあって準備を怠ったのだろうか。聖火ランナーの最終走者だとか、スポンサーとのしがらみだとか、不倫問題への執拗な攻撃への対応だとか。

逆に、大会前にあまり注目されていなかった選手が表彰台の真ん中に立っているということも多い。彼ら彼女らは、プレッシャーもあまりなく、のびのびと実力を発揮できたということなのかもしれない。事前の準備も万端で。

自分の場合で言うと、仕事で万全の準備をして望んだものとそうでないものでは結果にかなり差が出るということは経験としてわかっている。段取り八分というやつだ。

「準備を怠るものは失敗する準備をするようなもの」。前職で口を酸っぱくして言われた言葉だ。ベンジャミン・フランクリンさんが言った言葉らしい。確かにその通りで、例えばプレゼンテーションの機会があり、しっかりと準備を行って望むと、適度な緊張感はあるけれど、かなりの確率で上手くいく。逆に、準備がおろそかになってしまうと、無駄な緊張がうまれてしまって、グダグダになってしまう。

まあ、わかっちゃいるけれど、なかなか万全の準備が出来ないということも多々あるわけだけれど。準備が自信につながるというのはあるので、「今回は準備できてないな〜」なんて感じていたら、無駄な自信さえあれば上手くいくのかもしれないな。

まあ、スポーツと仕事を同じ土俵で比べることにどれだけの意味があるかはわからない。ましてや向こうは世界一をギリギリのところで争っているし、こっちは単なる普段の仕事の話だ。プレッシャーのレベルが違う。

スチャダラパーのYouTubeチャンネルを見ていると、もうメジャースポーツの戦術がどんどん標準化されまくっていて、国別対抗をやる意味があまり無いって話をされていた。これは興味深い。五輪開幕一週間前までサッカーのヨーロッパ選手権が行われていたんだけれど、建て付けは国別対抗だけど、もうみんな顔なじみというか、トップリーグに世界中から選手が集まっているから、国ごとの特色が現れにくいんだそう。

また、スケートボードやサーフィンなんかの個人競技が顕著だと思うけれど、道具一つ持って、スポンサーを勝ち取って、世界を渡り歩いている選手達を見ていると、今後は国を背負うとか会社を背負うという事がどんどん希薄な世界になっていくんだろうなと思う。そして個人力が試される時代になったのかもしれないな、国別のメダル数なんて関係なくなっていくんだろうな、なんてことを考えてもいる。

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