シュエトンのこと
昨日までのつづきです。
語り シュエトンの場合
「戦時中はそれは凄まじかったさ。
私たちは洞窟に逃げ込み、戦火を逃れたんだ。
戦争が終わって、村に戻ると愕然としたよ。
住んでた場所は焼け野原になっていて、周りは爆弾だらけ。
それでも村人たちで村を建て直したんだ。
今では子の父親であるシュエトンが当時を振り返って語ってくれた。
「あれは1984年、私が14歳の時だった。
母親と一緒に火をおこしていたんだ。
草や枝や、燃えるものを火に放り込んでいた。
私は集めた草の中にボンビーがあることに気がつかなかった。
火に投げ込んだ瞬間さ。
ボーン!と音をたてて爆発したんだ。
音を聞いて駆けつけた母親の悲鳴を覚えている。
母親は私を抱え、家へと走って行った。
当時この辺りは病院はなかったからね。
私は幸いにも足の付け根をやられただけだった。
足も切断しなくてすんだ」
シュエトンの現在
シュエトンは今、たくさんの子どもに囲まれて暮らしている。
戦時中、ラオスに落とされた爆弾はおよそ200万トン。
当時のラオスの人口約200万人。
一人当たり1万トンの爆弾が投下されたことになる。
投下された爆弾は彼らの生活に溶け込み、爆弾から鉄くずを得て、それを売り、現金収入としている。
戦後、村に帰ってきた彼らも鉄くずとなった爆弾を集めてそれを売った。
しかし、周辺の爆弾も尽きてしまった。
後はボンビーなどの不発弾や地雷など危険なモノばかりだ。
この村の人たちのほとんどは集めた爆弾は売り切ったらしい。
けれど、シュエトンは違った。
「私はたくさんの大人から子どもまでの命を奪った不発弾のことを忘れてはいけないと思う。
私自身を傷づけた爆弾をね。
私は覚えておかなきゃいけないし、伝えなきゃいけないと思っている。
だから私は集めた爆弾を売りに出していないんだ。
こうやって今でも爆弾を立てかけて置いているんだよ」
語るシュエトンは何を想う
淡々と話しをするシュエトン。
話しの最後にこう繰り返した。
この村ではたくさん人が死んだ。
大人も子どももね。
視線の先は僕ではない。
このあまりにも悲惨な過去を語る時、彼は誰に、何に向かって話しているのだろう。
自分の無力さを噛みしめているような気がしたのは、何もできない僕自身がやるせなさを感じていたからなのだろう。
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