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時には無意識に思考の枝葉を伸ばしてみるのも楽しいもんで

今日の仕事の終わりは海で締める。
そんなことができるなんて。

沖縄の北部の離島「伊江島」を仕事で訪れて、従来ならば会社がある那覇に帰社して業務終了のはずが、リモートワークが推進され、そのまま北部にて仕事をしていました。
とはいえ、あてにしていたコワーキングスペースは緊急事態宣言下ということもありクローズしていたので、僕が選んだ仕事場は、


、、、海!

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見るからに良さげなシチュエーションじゃないですか?
「いいでしょ、いいでしょ?!」というようなノリでツイートもしました!
けれどね、思ったのですが、作業効率が良いかはまた別の話し笑

僕は夕日が好きなので、1秒でも長く夕日を見つめていたくて。
波の音に聞き耳をたてていたくて。
素敵なシチュエーションであることは間違いないのですが、使い分けには注意しようと思いました笑


ということで、残った仕事は翌週に回し、頭を空っぽにして海と対峙することにしました。
”頭を空っぽ”と言いましたが、”何も考えない”という意味ではありません。
思考の進む道を意識的に作っていくのではなく、感情の赴くままに無意識のまま自由に伸ばしていくイメージです。
漫画バキでは、最高の初速を出すために、”筋肉を液体にする”くらいのイメージで弛緩する場面が描かれていました。
よく分からない例えですみませんが、なんか脳みその中がそんなかんじの究極のリラックス状態になっているような気がします笑
自然と対峙したり、知らない町を訪れたりすると、よくこの状態になります。
もっといえば、子どもの時は誰もがそんな状態で世界と対峙していたのだと思います。
だから子どもの発想はすごい!
意識的じゃなく無意識的、本能に近いから。


子どもの時とは比べ物になりませんが、それに近いモードに入って、何にも囚われず巡らされた僕の思考はだいたいこんなかんじでした。

-あ、足跡がある。誰のだろう(どんな人の足跡か根拠もなく人物像を想像する)。足跡が波に近い方からキレイに消えていく。あの人(妄想で描いた人)の存在が無いものになった。儚い。

-岩肌にまっすぐな線がある。自然界にあんなにもキレイにまっすぐな線がある不思議。月の引力であんなところまで海の水を引っ張っていくんだな。すげぇ。

-水平線近くに見える陸。その向こうに夕日が沈んでいく。こことはまた違う世界が見えるんだろうな。向こうは夕日がキレイそうだ。

-海辺に集まる人。みんな違う人生を歩んでいる人。僕とは交わるはずのない人たちだけど、夕日と海が僕らを引き寄せた。僕らをこうも近づけた。

-浜辺に打ち上げられた流木。そういえば星野道夫さんの「旅をする木」という本も、1本の流木のストーリーに想いを馳せたエッセイだったな。この流木もどこから来たのだろう。あ、波にさらわれた。ゆっくり、ゆっくり、また沖に向かっている。流れに逆らわず、されるがまま。流れに身を任せる、それが幸せなような気もするし、そうじゃない気もするし。

-潮が満ちてきて、波打ち際がだんだんと足元に近づいてくる。じゃれに来ているみたいでなんか可愛い

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今日は文字に起こしてみようと思い、リアルタイムで記録をしたので、これだけ書くことができました。
記録するという野暮な作業をしながらだったので、思考の枝葉の伸びは今一つだったかなと思います。
けれど作為的な思考を入れることはあまりなかったと思うので、だいたいいつもこんなかんじで物思いに耽ります。

夕日を見る、自然と対峙する、散歩する、旅にでる、そして脳みその中をフラットにして物事を見つめる。
僕にとってそれは定期的に必要な時間なのです。


あ、その状態に持って行くためのもう一つお手軽な行動がありました。
以前noteで書いたカフェに行くこともそれに近いんだ!

よろしければ、カフェでその続きをどうぞ。


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