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”人のことは分からない”ということを知っているということ

人のことは分からない。
人のことを自分の経験則をもって「きっとそうだ」と決めつけることは危険で、「そうなのかもしれない」程度で余白を持って捉えることが良いのだと思う。
最近そんなことを考えたことがあった。


振返ると、旅をすると「絶対的なことはないんだ」と思い知らされることが多くあった。
常識なんてものは場所によって変わるから”在って無いようなもの”だし。
日本にいるときより分かりやすくバックグランドが違う人たちばかりだから、同じ出来事を見ても僕と受け取り方が違う人がたくさんいた。
絶対的な善と悪があれば、判断は楽なんだろうけど、物事は立場や考え方次第でどっちにもなる。


僕がメキシコのティファナに立ち寄った時、まだ小さな姉弟がミサンガを売りに来るという場面があった。
海外ではこのようにモノを売る子ども達や、路上で物乞いをしている浮浪者を目にすることもあるが、皆さんだったらどんな対応しますか?

その時の僕は、結果…


買いました。


可愛いこの子たちだからと、買ってしまう大人がいて、売れてお金を持って来れるもんだから、また大人が売りに行かせて。
こんな循環が透けて見えたような気がしたが、買った。
なぜなら、当時、僕はこの姉妹のことを忘れたくなかったから。
もしかしたら単なる親のお手伝い程度だったかもしれないけれど、もし子ども達が理不尽に労働を押し付けられているのならば、そんな現状が世界には在るということを忘れないために買った。


この町で路上に並ぶ売春婦やスリに手を染めた男とを見たものだから、この姉弟の将来を思うととてもやるせなかった。
彼らのことを”可哀そうだ”とも思った。


けれど、本当に彼らは可哀そうなのか、すぐ考えを改める。
もしかしたら、物に困らない裕福だと言われている国からやって来た人間が彼らを見て、”可哀そうだ”と思ったその瞬間に彼らは可哀そうな子ども達になるのだと思ったから。
少なくとも当時目の前に映る姉弟は楽しそうに笑っていた。


そうやって旅の中、”かもしれない”を繰り返し考えてきたおかげで、人のことを分かった気にならないようになったのだと思う。
人は僕の想像以上に複雑で、奥深い。
だからこそ僕は人に魅かれ、旅をするのだと思う。

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最後まで読んでくれてありがとうございます。
この姉弟に出会ったときの日記です。
良ければ読んでみてくれたら嬉しいです。

旅の記録はkindleで出版しようと思います。
出版したら有料化することも考えていますので、今の内に覗きに来てほしいなと思います。

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