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インドネシアで極左活動家たちと出会う

こうして2015年年始からジャカルタで調査を開始した。この滞在での目玉はインドネシアで1990年代に社会民主主義を掲げてスハルト権威主義体制と戦った学生組織SMID (Solidaritas Mahasiswa Indonesia untuk Demokrasi)の創設者ウィルソン(Wilson)とのインタビューだった。SMIDは1996年に人民民主党(PRD: Partai Rakyat Demokratik)を設立するのだが、この政党は翌年に非合法組織として活動が禁止され、その指導者や活動家も投獄されている。かなり共産主義思想に傾倒していたこれらの団体は当時の政権からすれば反国家主義を掲げるテロ組織みたいなもので、弾圧の対象になっていたわけだ。Wilson自身も当時投獄され、獄中で東ティモール人の学生活動家とも生活を共にした経験を持つ。SMIDやPRDは独自のインドネシア・ナショナリズムを掲げており、彼らにとって東ティモール人の独立闘争はより急進的なインドネシア・ナショナリズムの陶冶に欠かせない存在だったことが調査に結果明らかになった。(写真は東ティモール人とインドネシア人によるデモの様子@ジャカルタ。活動家の友人からもらったもの。)

共産主義者や極左活動家がナショナリズムを主張するというのは、日本や欧米ではあまり馴染みがないかもしれないのだが、東南アジアでは歴史的にも共産主義者がナショナリストであることはよくあることである(僕のプロフの写真にしているインドネシア人ナショナリストで共産主義者のタン・マラッカがその典型)。というか右翼も左翼もどっちも理想の国家を追求するという意味においてナショナリストを名乗るのである。こうして僕の研究は、民主化に向けて問い直されるインドネシア・ナショナリズムと独立に向けて形作られてきた東ティモール・ナショナリズムの「運命的な出会い」を1990年代という時代性の中で理論的に説明するという修士論文を書くことになった。また論文の詳しい内容について別途書こうと思うので、かなりマニアックだけどご関心がある方はそちらを見てください(笑)

ということで、半年間の東ティモールとインドネシアでのフィールドワークを終えて、日本に帰国。基本的に時計は見ないという東南アジア時間が抜けないまま、分刻みで進む日本の就活市場に飲み込まれていくのでした. . .(笑) ということで、次は文系大学院生の就活について書きます。

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