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死生観について。【ラジオ編集後記】

2021. 02. 03(水)

今回は、「死生観」についてである。

人間誰しも生きて、死んでいく。人間はなぜ死ぬと分かっているのに生きるのだろうか。この根源的な問いに明確な回答をえられることはまずないだろう。人間の生死について各々が思考を巡らせることが最重要なのだと思う。今回は、死生観を考える上での、ひとつのきっかけにして頂きたい内容である。


〇ラジオの紹介

僕は、「ラジオワンダーストレージFMドラマシティ 77.3」という新さっぽろのFMラジオ局でラジオ番組をもっている。#19で、「おくりびとのお葬式」の波多野景士さんにゲストとして2回目の出演をしていただいた。1回目の放送もYoutubeに残しているので、ぜひ見ていただきたい(この記事の一番下にリンクを貼ったのでぜひ)。

今回は、波多野さんのご職業である納棺師のお仕事、そして死生観について伺った。50分ほどの放送を短くまとめた記事だと思って欲しい。重要なことをたくさんお話頂いた。

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〇「おくりびとのお葬式」とは。

「おくりびとのお葬式」は、札幌では豊平、北郷、大谷地の3店舗があり、2/6(土)に手稲に新しくopenする予定である。ここで軽く「おくりびとのお葬式」について紹介させていただく。「おくりびとのお葬式」というのは東京に本社を構えるディパーチャーズ・ジャパン株式会社によって運営されている。2015年、木村光希氏(同社代表取締役)が納棺師が葬儀をプロデュースする、という既存の葬儀とは異なるコンセプトとして設立された。同氏は、映画「おくりびと」の技術指導もおこなった。詳しくは同社HPをご覧いただきたい。

それでは本編に入る。「おくりびとのお葬式」の北郷支店兼営業部長である波多野さんに、納棺師としてのやりがいを伺った。

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〇納棺師としてのやりがい。

まず大前提として、納棺師は多くのお葬式に立ち会うため、その回数分たくさんの悲しみを目の当たりにする。お葬式は、死を迎えた者にとっての通過儀礼であり、この「通過儀礼」という点においては、結婚式と重なる部分がある。しかし、決定的に違う点が、お葬式はもう二度と行えない、という点にある。そのため、「おくりびとのお葬式」は、他の葬儀屋がやらないような納棺を行う。例えば、ご遺族の方と納棺師の方がお話をする際、亡くなられた方が生涯で一番好きだったものや大切にしていたものをご遺族にバレないように伺う。もしお花が好きな方であったら、納棺の儀の際には棺桶の周りをお花でいっぱいにしたりする。このように、一回一回を特別な葬儀にするのが、「おくりびとのお葬式」なのである。結婚を迎える者にとっての晴れ舞台は結婚式であるが、亡くなられた方にとっての晴れ舞台は一回きりのお葬式なのである。そのため、おくりびとのお葬式の納棺師はみな、一回一回のお葬式でご遺体、ご遺族の方々1人1人に寄り添う。亡くなられた方がどんな人生を送ってきたのかを把握し、目の前の方の痛みを共に分かち合い、その方々の人生に寄り添う。その中でのご遺族からの一瞬のありがとうや笑顔を見ることが、納棺師としてのやりがいなのである。木村氏は以下のような言葉も残している、と波多野さんは仰っていた。

「死」を学ぶことによって、「生」を大切にする気持ちを育んでいきたいのです。

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〇共感性。

しかし、時にはお葬式に感情移入しすぎてしまい、ご遺族と同じくらい泣いてしまうこともあるようだ。そんな時はあえて境界線を作り感情移入しすぎないようにしている。自分たち(一個人)の気持ち:納棺師としての気持ち=2:8、が望ましいですと仰っていた。納棺師は職業であり、亡くなられた方があの世までの道のりをサポートする仕事である。そのような葛藤が日々あるようだ。そして、女性の方が男性よりも共感性の境界線を引くのがうまいんです、とも仰っていた。

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〇死生観とは。(むすび)

波多野さんの死生観は、おそらく納棺師としての目の前の死との向き合い方、そして日常の生活や生き方に内包されているように思う。後者の生き方は実際に会って話してみなければ分からないが、前者については上述した。波多野さんは納棺師の前にブライダルのご職業をされていた。ブライダルは言わば「生」の地であり、お葬式は「死」の地である。この相対する職場にいたからこそ、死生観が培われたのではないだろうか。

最後に、西部邁氏の著書「死生論」の中の、死の意識という節からの引用で締めたい。

死が怖い、ということの一つの大きな理由は、死の間際における「後悔」にあるのではないか、怖いのは取り返しようのない人生についての後悔なのではないかと思いはじめた。子供にあれをしてやればよかった、友人にああしてはいけなかったのだ……という、もうじき死ぬ人間の抱く後悔の念、それが死の恐怖の中心なのではないかということである。(44頁)

同氏はこの本の中で、「私は死が間近になったとき、たぶん、自殺すると思う(49頁)」と記している。実際に同氏は2018年、自殺している。これも彼の死生観に由るものなのであろう。死生観をもち、日々の時間を大切に過ごしていきたいと思う。

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波多野さんの第1回目の出演回である。ぜひ、聴いていただきたい。波多野さんの音楽愛が止まらない回となっている。


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