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好きな本を問われた時に、多分しばらく答えるであろう回答

「好きな本は」と聞かれると相手が誰であっても少し身構える(ポジティブな感情とネガティブな感情が7:3くらい)。それはどんな本が好きかを開示することで、どんな人に見られるか(どんな人と捉えられるか)判断されると思い込んでいるから(かなり自意識を拗らせている自覚はある)。

「いちばん好きな本は」なんて聞かれたときには、サブカルっぽい回答、真面目っぽい回答、可愛らしい回答、自嘲気味な回答、スタンダードな回答、聞いてきた相手の懐に入れそうな回答……家の本棚(もしくはバッグの中に散らばっている本たち)から最適解を探す旅が始まってしまう。

採用面接で注意しなければならない質問

この頃びっくりしたニュースのひとつに、ハフポストさんによる、面接時の不適切な質問例【一覧】の記事がある。

注意しなければならない質問として、「両親の職業」や「本籍」「家族の収入」などが挙げられていて、それらに対しては「まあ、当たり前だよね…というかまだ聞いてる人いるんか…?」という気持ちになったのだけど、「政治や政党に関心がありますか」「尊敬する人物を言ってください」「あなたは、自分の生き方についてどう考えていますか」「あなたは、今の社会をどう思いますか」「将来、どんな人になりたいと思いますか」「あなたは、どんな本を愛読していますか」に対しては、少しびっくりというか、「あ、これは私の意識がまだまだ鈍感というか時代遅れなのかも」と感じてしまった。

【思想・信条、宗教、尊敬する人物、支持政党に関するもの】
 
あなたの信条としている言葉は何ですか
学生運動をどう思いますか
家の宗教は何ですか。何宗ですか
あなたの家族は、何を信仰していますか
あなたは、神や仏を信じる方ですか
あなたの家庭は、何党を支持していますか
労働組合をどう思いますか
政治や政党に関心がありますか
尊敬する人物を言ってください
あなたは、自分の生き方についてどう考えていますか
あなたは、今の社会をどう思いますか
将来、どんな人になりたいと思いますか
あなたは、どんな本を愛読していますか

学校外での加入団体を言ってください
あなたの家では、何新聞を読んでいますか

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6192088ee4b0ab5f284baecc

もちろん、「注意しなければならない」わけであって「断固聞いてはいけない」わけではないと思うけど、(例えば出版社の選考であれば好きな本を聞くことが、所属部署などの配慮にもつながりそう)とにかく、自分も含めて、採用市場(就活市場)のアップデートに対して意識が追いつかない人はまだまだたくさんいそうだな〜と思った次第である。

就活生も面接官も双方が充実した面接を実現するためにできる工夫って、例えばどんなものがあるんだろうか。就活生の方から事前に「話したいことまとめ」みたいなシートを提出して、面接官はそれに沿って質問していくみたいなことができたら面白そう。面接官も安心(あ、この子はこれについて話したいんだな、とわかる)だし、就活生は自分の好きなテーマについて話せるからストレスが軽減される、みたいな。

今の(特に新卒)採用市場において、企業と学生が対等にコミュニケーションを取れているとは言い難いし、個人的には「就活生が用意してきていないトリッキーな質問をして対応力を見る」や「とりあえず学生時代に頑張ってきたことを定型で聞くだけ」よりも、学生が(面接官≒大人と)話したいテーマについて話す/聞く/時には議論を交わすタイプの選考の方が絶対面白いと思ってしまう……。

就活を経験してきた友人・知人と話をしていると、もちろん定型な面接を経験してきた人は多いけれど、「あ、この人は仕事できる人だな/思慮深い人だな」と感じる人は、大体面接で「コミュニケーション」してきている(ような気がする)。「コミュニケーション」してきているというのは、一問一答のような面接ではなく、意見を交わし合うようなもの。もちろんどこまで行っても面接官と就活生の立場を覆すことはできないのだけれど、せめてその場だけでも「充実感の得られる会話をしたい」「相手の考えを知りたい」と思いながらその場を過ごしているような。

これは就活生に対しても面接官にも言いたいことだけど、ひとりの人間として興味を抱けたら、その面接はずっと楽しくなると思う。結果的にその会社に入社しなかったとしても、楽しかった面接や充実感の得られたコミュニケーションは、きっとその後の糧になるはずだから。

星新一はヒーローだった。

冒頭の話に翻って、「いちばん好きな本は」と聞かれたときに、絶対答える鉄板作家が「一人だけいた」。最近それが二人になったので過去形にしておく(後述)。私にとってたった一人の揺るぎない作家とは、星新一のこと。以前子どもの頃に読んでいた本をまとめたことがあったけど、親が本を買ってくれる本当の幼少期(「ぐりとぐら」とか「はじめてのおつかい」とか読んでた頃)を超えてからは、「得体の知れないもの」が紹介されていたり、今からは考えつかない過去の歴史について触れられていたりする本への興味が高まっていた。

そういうわけで、図書室にあった星新一のショートショートを手に取ってから、高校時代、今に至るまでそれはそれは読み込んだ(そして買い漁った)。そして星新一を予言者の如く崇めては、「この話のこれは、今にアレに通じる・・(デュフ)」みたいな薄ら暗いことをするなど。

短いもので半ページの話もあるので、授業の合間やお昼休憩などでも読みやすく、学生時代にはいろんな意味で助けられた覚えがある。

白夜を旅する人々

いろいろな小説を読むものの、星新一のショートショートを超えて「心動かされたわ!」という本には出会えず、(もちろん好きな本はたくさんあるけれど)星新一を繰り返し読む日々が続いたある日、『白夜を旅する人々』(新潮社)(以下、白夜)に出会った。

2chの家庭版のまとめ記事を読んでいたら、本のタイトルだけがぽろっと貼られていて、なぜか興味がそそられて、そのままAmazonで購入。我ながら謎な経緯だけど(今となってはそのまとめ記事がどんな内容だったかも忘れてしまった)、読んでみたらかなり引き込まれてしまった。

昭和の初めの東北、青森――。呉服屋〈山勢〉の長女と三女は、ある重い運命を負って生まれついた。自らの身体を流れる血の宿命に脅えたか、心労の果てに新たな再生を求めたか、やがて、次女は津軽海峡に身を投げ、長男は家を出て姿を消した。そして長女もまた……。必死に生きようとして叶わず、滅んでいった著者自身の兄姉たちの足跡を鎮魂の思いでたどる長編小説。大佛次郞賞受賞作。

https://www.shinchosha.co.jp/book/113508/

ネタバレになるが、ある重い運命とは「先天性色素欠乏症(アルビノ)」のこと。著者自身のほぼ実話で、物語は著者(6人兄弟の末っ子)が生まれてから、少し成長するまでの期間が描かれている。あらすじから分かるとおり、かなり苛烈なストーリーであることは間違い無いのだけれど、語り口は「激動の物語!」というよりもむしろ、静かな空気感が漂っている(と私は感じた)。

見た目差別の捉え方ー見た目だけの問題ではない

細かいストーリーはぜひ本編を読んでもらいたいので省くけど、白夜を読んで考えたくなったテーマは大きくふたつ。ひとつめは「見た目差別の捉え方」について。

あらすじにも「重い運命」とあるように、昭和初期では、「アルビノであること」「アルビノの家族がいること」が、いま以上に特別視(忌避)されていて、本人は言わずもがな、周囲に大きな影響を及ぼしていたことがわかる。

現代においても、見た目問題やアルビノについて論じた記事や、当事者による発信を目にして、わたしには到底想像もつかないような辛い経験などを乗り越えて前に進んでいる方がたくさんいることを知ったけれど、他方で #アルビノメイク などのハッシュタグをつけて「アルビノ(の見た目)への憧れ」を発信する投稿が多数見られる。

(恐らく、アルビノのモデルさんの風貌やメイクに憧れを抱いたことから起因するもので、)悪意があるわけではないと思うのだけれど、日に当たれなかったり、弱視であったり、気をつけなければならないことがたくさんある点には触れずに、「わたしもアルビノになりたい〜」って言うの、どうしてもモヤモヤしてしまう。みなさんはどう思いますか?

アルビノのモデルさんに対して美しいと思うこと、これは何も問題ないし、むしろ美の価値観が多様化している証拠だと思うのだけれど、「わたしもなりたい」と発信することは、何か違う。でもなぜそう思うのか、まだうまく言語化できていない。

家族は他人であるということ

白夜を読んで考えたくなったテーマのふたつめは「家族観」。物語の中では当たり前のように長男が呉服屋を継ぐことになっているし、「長男は強くあれ」「長男はふざけたことなどしてはいけない」価値観が当然横たわっている。それと同じくらい「結婚できない女は終わってる」「女は勉強しても意味がない」と言われる世界が広がっている。

そう、「男って辛いよね」「女って辛いよね」等諸悪の根源は、すべて凝り固まった家族像からくるものではないのか……? と思ってしまったのである。もちろん、社会に出てからの影響も大きいものであることに間違いはないけれど、「父はいろいろな料理を作ってくれた、だから僕もそうありたい」「母は家族の言うことはなんでも聞く人だったけど、わたしはそうはなりたくない」のように、家族の行動や価値観が子どもの将来の行動や価値観の形成に大きく関係していることは明らか。

「家族が仲良く、お互い尊重しあってより良い関係を築ける&なんでも言い合って有意義な議論を交わし、みんなが納得する結果に導き出せる」ことに越したことはないけれど、それが無理だった時に「意見合わないね、しょうがないね、なぜか根本的に合わないんだわ、私たち。はい、解散!」と言えないの、とても辛い。法律婚したら・血がつながっていたら心も通じ合うなんて夢物語は残念ながらない。そんなことみんなわかっているはずなのに、「結婚」「家族」「親子」「兄弟(姉妹)」は手放しで素晴らしいことなのだ! と思い込んでしまうのは、なぜなのか。

(ジェンダーについては勉強中なので見当違いのことを語っていたらすみませんが、白夜を読んで率直に感じたこと、記しておきます。)

家族であろうと「他人は他人であること」を常に意識したい、とわたしは思う。「家族だから大切にしたい」はすてきな心持ちだけど、「家族だから大切にしなければならない」わけではない。距離感がバグると家族だろうと、恋人であろうと、友人であろうとたいてい揉める(これまでの経験より)。

大切な存在だからこそ、「家族」というとあるコミュニティの加入者としてではなく、単独の・独自の思想の・何かにしがらみを感じる必要のない他人として扱うべき存在でもあることを肝に銘じたい。

好きな本はなんですか?

長々書いてきたけれど、白夜は「好きな本」を問われたときに「相手にどう思われるか」よりも「どう思うのか知りたい」「意見を聞きたい」が上回る本なのである。

星新一は相変わらず大好きだし、最近はKindleでホラー小説を読んだり、漫画アプリをいくつも入れたりしているけれど、白夜を読んだ時の言語化できないモヤモヤが解決されるまでは、答え続けることになりそうだ、好きな本として。


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