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サッカー選手から銀河系スタートアップへの挑戦 | 37歳、0からのポテンシャル解放物語

みなさま、こんにちは。DRAWER事業本部東日本のfield salesの鈴木です。
飯沼さんからバトンを引き継ぎ、【うるう年キャディnote29連チャンリレー】の21日目をお届けします。

キャディの同僚と同行中「たかひろ(私)のキャリア、良い意味でカオスだからnote書いてみたら?」と打診を受けていっちょやってみっか。ということで現在に至ります。
初のnote執筆なのと、今回は入社エントリー要素強いので自分語りも多くなります。というかほぼその話なのでご容赦いただけると幸いです。


自己紹介

改めましてCADDi DRAWERの東日本事業部でField Salesとして1月に入社した鈴木です。みなさんから「たかひろ」と呼んでいただいています。
発音はEXILEのTAKHIROと同じです。気軽にTAKAHIROと呼んでください。

キャディには2024年1月1日に入社したまだまだ新入社員です。これまでこの企画では比較的キャディ歴の長いみなさんの記事も多かったですが入社間もない自分の視点からお伝えできるリアルもあるかなと思っております。
『CADDi DRAWER』についてはCPOの白井が詳細に書いているnoteをぜひご覧ください!解像度爆上がりすると思います。

さて、自己紹介ですが、岐阜県生まれで奈良や大阪、名古屋と渡り歩き、色々あって現在は東京でsalesしております。(と言ってもほとんど長野か山梨にいて今も長野のホテルで執筆してます)
自分の人生は26歳までサッカー一色でした。
中学からGK(ゴールキーパー)になり、割とサクッと選抜とかに入ってしまってちょっと調子に乗っていた陽キャでした。
ノリと勢いだけが友達でした。
中学、高校は地元の強豪チームに入団し全国大会とかも行ったり(本田圭佑とか岡崎慎司とか長友佑都と一緒に国立歩きました)、国体出たりとかしたりでそこそこなサッカーキャリアではありました。

高校サッカー選手権での一コマ。このボールめっちゃ滑るからGK泣かせ

ただで大学選びは盛大に失敗。(この時の経験からキャリア選択をかなり厳選するようになったので結果オーライ)
監督と方針が合わず、某プロクラブとの練習も参加させてもらえず、踏んだり蹴ったりな大学生活でした。

大学を卒業した後は、プロへは行けず関西の実業団チームへ入団しプレーを続けました。
サッカーと仕事の二足の草鞋生活は多忙を極め、練習or試合⇆工場で紙を投げる仕事を行ったり来たりしておりました。(紙を投げるって何?と気になる方はぜひDMください)
しかし、身体的にも資金的にもよってメンタル的にもキツくなってきたので、当時プロサッカー選手の平均寿命と言われていた26歳の時にプロチームのセレクションを受けて落ちてしまったのでここでサッカーを諦める決断をしました。

キャリア/ビジネスの世界へ

ここからビジネスの世界で一旗上げてやる!そう息込んでDODAに登録、
年収400万円以上、正社員、営業職とだけ条件をお伝えしました。
いざ書類選考となりましたがこれがもう笑っちゃうくらい通らない。

名刺の渡し方もわからない27歳は思った以上に世の中からの評価は厳しく、面接すら1社もしてもらえず3ヶ月が風と共にさりぬでした。
最後の最後で提示されたのが、①正社員の漬物のルート営業、②有期雇用のインテリジェンス(現パーソル)でした。

そしてここで、求人媒体を売る営業を選び、なんとか入社しました。
入社後は、名古屋で「an」「DODA」という媒体の新規開拓営業チームに配属されました。

インテリジェンスで過ごした時間は一言で言うとめちゃくちゃ楽しかった。
入社直後はテレアポしかすることないんですが、仕事してる感を味わうだけでも嬉しかった自分は朝から晩まで電話かけたり飛び込みしたりすることが全く苦ではなかったですし、一緒に働くメンバーにも恵まれ、充実した時間を過ごしました。達成すると事業部のみなさんから褒められるし、スポーツしてたのでガッツと負けん気は強く一番に対してこだわっていたんだと思います。

また、運良くキャリア新人賞という賞をいただけたことで社内でのプレゼンスも上がり、「あ、これ勝ったわ」と思ってました。
嘘です。ごめんなさい。

仕事のイロハを学んだインテリジェンス時代

キャリア/HRにどっぷり浸かる

その後、更にカオスな状況や成長を追い求めて転職を決意。いろんなご縁もあり2社のHR系の会社でそれぞれ働きました。初めて転職活動したときが嘘だったように素晴らしい会社に素晴らしいポジションで入社することが出来ました。
要するに、結果を出せばキャリア選択の幅は自ずと広がるので今の仕事やり切る。そして、転職はタイミングと縁。ってことやなと思います。
私がHRベンチャーでした主な経験としては以下のような点になります。

  • エリアの支社長として支社の立ち上げ

  • 銀行とのアライアンス提携に奔走

  • 組織風土委員会の委員長としてエンゲージメントを上げる仕組みや施策の運営

  • マネージャーとして上場経験

  • 事業の立ち上げフェーズの責任者としてPMF

  • 執行役員として組織の運営と売上拡大に向けた戦略策定と実行

サッカーを引退してから約10年、ガッツがあればここまでは誰でもいけると思ってます。一方で結構キャリアに悩み始めたのもこのタイミングでここからのキャリアが恐らく、今後の半生を決めると思いこのままいくのかどうかを慎重に考え始めました。

なぜ転職したのか

直近の会社では、執行役員としてまさに上場を目指してるという状況でしたが、今後のキャリアを考えるとなんとなく釈然としてない、心に靄がかかった感がありました。
この事業を自分は人生かけて取り組むのか。魂こもってんのか。と。
漠然とした違和感は日に日に大きくなり、これはもう違うかもしれないと思い転職活動をスタートしました。
この転職で意識したことは以下の3点

  • 「人」を最重要視しない

  • でかいマーケットでインパクト(影響力)を与えられる事業、組織

  • ワクワクを感じられそうか

めちゃめちゃ抽象的ですみません。
「人」を重要視しないって言うのは誤解生まないように言うと、共に働く人が重要なのは言うまでもないんですが、「この人と働きたい!」を重視しすぎて事業や解決したい不の大きさを蔑ろにしたくないというのが強かったです。

キャディのカルチャーブックにある「徹底的にコトにフォーカスする」
非常に近い思想だった

当初、某エージェントからキャディを紹介された時は、正直3番手くらいに考えてました。それはキャディに対しての解像度が低かったからで調べれば調べるほど面白い!と感じ、キャディで働いている自分を意識する時間が増えていきました。
実際、ここまで伸びてるVertical Saas(業界・業種特化のSaasの意)は国内はもちろん、グローバルで見ても稀有で、サプライチェーンの変革を可能にするプロダクトだと思っております。

そして、組織もかなりユニークで、製造出身者(大企業、加工会社の工場長など)や、AIやアルゴリズムに精通したソフトウェアエンジニア、コンサルティングファームや広告代理店、商社(総合、専門)、人材出身など本当に様々なキャリアの人材がモノづくり産業のポテンシャルを解放すべく一丸で走っております。
ムーンショットを狙う組織だからこそ同じ想いで挑戦するメンバーがまだまだ必要です。かなり高い目標を置いておりますのでこの挑戦は簡単ではないと思ってます。つまり、マフィーと言うことです。(まじでタフィーの意)

終わりに

今の自分は研修期間が空けまして、自分でも言うのもなんですがなかなかスピードで立ち上がってると思ってます。そのスピードはさながら全盛期のロナウド(ブラジル)、タフネスはプジョルといったところでしょうか。
そして、今のキャディははちゃめちゃ優秀な人材×matureな人材×フォロワーシップが根付いた組織。まるで、2000年代、銀河系と呼ばれたレアル・マドリードを彷彿とさせます。

サッカーしてない人を完全に置いてきぼりにしてる気持ちがしてきました。
キャディは、目指す目標が高いので、まだまだこれからもっと強くなる、なれるポテンシャルがある会社だと自負してます。
ですのでみなさんもぜひ一緒にポテンシャルを解放しませんか?いや、しましょう!(ちなみに私、今仕事めっちゃ楽しんでますw)

長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます!
ちょっとでも話を聞きたい、気になる、くらいの気持ちでも大歓迎ですのでぜひオフィスでもWEBでもいいのでお話ししましょう!!お待ちしてます!

【うるう年キャディnote29連チャンリレー】、次のバトンを渡すのは、インサイドセールスの武田さんです!乞うご期待!!!

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