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No.32 思ってたんと違う

時系列の振り返り…えっと、どこまで書いたっけ?
そうだ1997年海の日に結婚式を挙げたとこまでだね

たかちゃんの結婚式はもう23年も前になってしまった😅時が経つの早すぎるー
28歳のたかちゃんでした
旦那さんとは遠距離恋愛だったのですが たかちゃんの地元で挙式も披露宴も行いました✨新婚旅行は定番ハワイ🏝
それが、たかちゃんの初めての海外旅行です
(旅は仕事にしたいくらい好きなのにズーーッと過食貧乏ゆえ海外旅行行けてなかった😭)

ハワイ🏝すごく楽しかった、空港を降りたその瞬間から”ここは天国かな?”と思うようなお花の良い香りとそよそよと優しい風…
もう一回行きたいです!あれ以来行けてないよー😢
新生活は旦那さんの東京の実家でスタートでした。結婚は旦那さんの義母さんとの同居が前提です。
この話をすると大概の人がえー〜!(°_°)とびっくりしましたね。
うんうん、たしかに…おまけに小姑(義姉)さんまでさいしょは同居でしたからね💧
またこの義姉が病みメンタルでしたしね、いろいろと始まりからして多難な様相😨

いちおう古い家屋(築30年)を一部改築してもらいキッチンとバストイレを分けてもらって2世帯風にしてもらいました。
当時のわたしの場合、過食嘔吐がまだあったのでバストイレ別はもう必須!!!
いちおうこの条件はクリアしてくれたわけですよ
以前の別スレッドで書いたとおり旦那さんは私の摂食障害の経歴をけっこう赤裸々に知っていたので配慮はしてくれてた⁈
その頃、どれくらいの頻度で過食してたかなぁ?
とにかく暇が敵!  暇ができると食べちゃう‼︎
しかし新しい土地で仕事もしてなくて…旦那さん帰ってくるまで暇だったからなぁ😓
友達はおろか知り合いすらいないし
孤独だったし家にずっといてお姑さんたちと過ごすのも素の自分でいられなくて苦しかったし…
というわけでパートで働くことを考えて
たまたま銀行のATMのとこにロビースタッフ募集のチラシが置いてあったので
旦那さんに相談した上でだけど応募しました

当時の「第一勧銀」今はみずほ銀行
しかも本店勤務
になりました💦

9時〜15時までの勤務、お昼休憩1時間なので正味5時間で週に4日
朝は東京の通勤ラッシュを体験しながら通ってました帰りはたまーに”銀ぶら”ね

先輩ロビースタッフのSさんやTさん…今の私が当時の彼女たちと同じくらいの歳になりました(およそ20年前の話だから)今はどうされているかしら?え?彼女たち70歳ってこと⁈
え?マジ⁈

同年代のお友達もできました、Nちゃん、Tちゃん、二人とももう高校生のお母さんだね、年賀状とSNSで細々つながるご縁です

とにかく一年と少し勤めたの、妊娠して…そして最初の妊娠は仕事しながらだったんだけど、それが悪いわけじゃないんだけど、流産してしまった😭
ショックでショックで、わんわん泣いた、ほんとうに辛かったー😭😭😭
自分の中で命が消えてしまうなんて、ものすごいショックだし喪失感と自分を責める気持ち

しょうがなかったんだと、後で思った

拒食に過食、過食嘔吐に、服毒自殺も図って、下剤も乱用してて、アルコールもすごく呑む生活を長らくしてきたし不健康極まりないそれまでの人生を考えると…妊娠したことだけでも奇跡のようなものだもん
流れていった子がなんか私の中の悪いもん全て一緒に持っていって流してくれたんだ、と思うようになった(なんていい子なの、ありがとう😭とあとになって思ったよ)

そして、それから半年後に再び妊娠
そして今度こそ慎重に育まなければ!と銀行のパートの仕事はやめました

仕事はやめたのに
やめられなかった過食、そして下剤も

いかに病んでるか!ほんと今考えても悔いるけど、この病気はほんとうに怖い
仕事辞めて家にいてやることない、宙ぶらりんな時間こそが苦手だったのに…

一度流産しててもう二度とあんな思いはしたくないと思っているのに…
そしてお腹の赤ちゃんのために栄養は大事だとわかっているのに
なのに「自分は太りたくない」
そこにどうしても囚われてしまう😢
おまけに流産したときまで、わたしはタバコも吸ってたよ

新しい命より自分の痩せていたい願望の方が大事⁉️
それじゃあ母親として失格なんじゃ。。。

そう思っては自信喪失、産むことが出来ても不幸にさせるのでは。。。
私という人間が及ぼす「害」「悪影響」「罪」を思っては ただ恐怖だった😰
産むことが罪なんじゃないかと常に怯えていた😖
それでも自分の中で育っていく生命…
嬉しくもあり、神秘の体験でもあり、恐怖であり、期待であり、そして自分の罪を一番感じるそれだけ大事な存在だったよ

守れるのか?この子を
育てられるのか?ちゃんと⁈

もう常にそのことを考えてた
でも、一人目を流産したからかな?
自分でも今度こそは絶対に絶対にちゃんと生み育ててやりたいという”負けるもんか❗️”という気持ちと
きょくりょく過食嘔吐しないように。全力で努力してたつもりだけどでもたまにチクショーやってしまったオーマイガーな時もあったな、それも臨月に近い時まで

それでも早産にもならず、いま二十歳の長男は産まれてきたんだからよっぽど生命力強いかココに生まれてこようと思ってくれたのか

とにかく出産までこぎつけた
2500グラムに少し足りないくらいだったけど
とても安産で産まれてきた
1999年も終わりごろのことでした


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