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マダニを恐れた4歳の息子を私は笑えない

我が家には4歳の息子がいるが、ルーティーンとして寝る前の絵本の読み聞かせがある。

基本的に3冊で、息子が自分で自由に選ぶ。

その時々でブームが入れ替わるが、最近のブームは小学館の図鑑「危険生物」であった。

これを夜な夜な読まされるのであるが、多数出現する蜂や蛇等の写真について、「日本にいるのか」だの、「噛まれないためにはどうしたらよいか」だの終始質問攻めにされる。

その中で登場したのがマダニである。

いわく、身近に存在し、人の血を吸うらしい。
血を吸うのは蚊に似ているが見た目もなかなかグロテスクだ。

幼心ながら衝撃を受けたのだろう。

翌日、妻から聞いたところによると、暑いのに自ら進んで長ズボンを履き、半袖の上にパーカーを羽織り、フードを頭まで被って保育園に登園したらしい。

保育園でマダニに噛まれないようにそうしたらしいが、笑ってしまった。

息子は真剣な顔つきだったので、何故笑われるのかが理解できないようであった。

■なんとなく、の発想

保育園にマダニはもしかするといるのかもしれないが、私は経験から大丈夫だと知っていて、息子は経験がなく全く知らないという違いがある。

シンプルに考えてみれば、それだけの違いだ。

しかし思い直してみれば、自分も未知のものに対して同じような制御行動を取ってしまっていることはないだろうかとふと思ってしまった。

パーカーという物理的な手段でなくとも、日々アップデートされる情報の海の中で、頭の中で不必要ーーと思われるーー情報を無意識にシャットダウンしてはいないだろうか。

「起業は、なんとなく、大変そう。」

「投資は、なんとなく、怖い。」

新しいことをすれば良いという単純な話ではなく、自分の今現時点までの経験のみでなんとなくこうだと決めつけていないだろうか、ということである。

これを「なんとなく、の発想」と名付けることにする。

■とりあえず、の発想

現実には、やってみないとわからないことが多々ある。

やってみて初めて、そのなんとなくが見えてくる。

結婚したことがない人が結婚についてひたすら考えたところで答えが出ないように、実際にやってみないとわからないことは存在する。

とはいえ、自分だけに関わらず、年を重ねるとそれなりに積み上げられてきたものがあるだろう。
そしてそれはまるでジェンガのように、積み上げてきたものがあればある程、人はそれが崩れるのを徐々に恐れるようになるし、徐々に一手が重くなる。


結果、新しいことへのチャレンジが減り、わざわざやらなくても、という思考に至りがちになる。

それが悪いとは思わない。守るべきものが増えることが人に与えるプラスの影響は間違いなくあるだろうし、積み上げてきたものはその人の歴史でもある。

ただ、それが足かせになっているのであれば、それは勿体ない。

だからこそ、とりあえずの発想で、まずは小さくやってみる、というのはどうだろうか。

投資であれば、とりあえず少額でやってみる。

起業であれば、とりあえず副業からやってみる。

結婚であれば、とりあえずお付き合いからやってみる。

そこで実際にやってみたことを振り返り、良かったらそれを大きく進めていく。
それくらいのスタンスが、精神的にも楽だと思う。

諦めたらそこで試合終了だとは良く言われた言葉だが、やらなかったら試合開始にもならない、ということである。

マダニに噛まれたところで死にやしない。

それが私の思う、とりあえず、の発想である。

■読み終えて

「危険生物」の図鑑を読み終えた息子に、「本当に怖いのは人間なんだよ…」と冗談めかして妻は呟いた。

確かに、蜂や蛇も怖いには怖いが、実際に対峙してみると、こちらが危害を加えない限りはそれ程危険でもないことがわかる。

逆に、危ないからと行って経験から遠ざける方が、いざという時に危険なのかもしれない。

私が親としてすべきことは、彼の目深に被ったパーカーを取ることではなく、取ってみたら変わるかもしれない世界を想像させることなのだと思う。

人間の怖さについては、私からはなんとも言い難いが、それは必然的に彼が彼の人生で経験していくと思うので、引き続き温かく見守っていきたいと思う。

我が家のちょっと変わった読書感想文でした。




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