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【小説】女たち

 昭和〇年、夏――。
 両親が共働きだった子どもの頃のわたしは、家にいるあいだずっと祖母と遊んでいた。当時は三世代同居が普通で、農業を営んでいる祖父母と、勤め人の父母は同じ家に暮らしていた。きょうだいは姉がひとり。六人家族である。
 祖母は年中、祖父と共に畑に出て、草抜きと野菜の収穫に精を出していた。わたしは、畑の畦に寝転んだり、隙を見てはイチゴを頬張ったりしながら、爪のあいだに土が挟まった祖母の手元をよく見ていた。

「おばあちゃんの手って汚いんやな」
「……なんて、情けないことを言う子やろ」

 その泥まみれだった祖母の手が好きだったのだけれど、わたしはそれをうまく言葉にすることができず、よく彼女を失望させていた。こういうところは、子どもの頃から要領が悪かったといえる。

 この年の秋、祖父が亡くなった。幼かったわたしには死の意味がよくわからなかったけれど、叔父や叔母、大勢のいとこたちが遊びに来てくれたことはうれしかった。四十九日の法要を済ませると、親族総出で村はずれの山に向かった。お墓に祖父の遺骨を納めるためである。
 村を見下ろすことのできる小さな山の中腹に村の共同墓地はあった。日当たりのいい斜面を登っていくとところどころ墓石が建っていた。「ここだ、ここだ」わたしたちが足を留めたのは、その一番端のひと区画だった。まだ墓石はなく、そこにはひと抱えほどもある自然石が墓石の代わりに据えられていた。

「お墓を建てるちゅう話になったとたん死んでしまうやなんて、気が早いというか、あわて者というか。なににしろあの人らしいわ」

 数珠をにぎり、息を切らして山を登る祖母は、わたしの手を引きながらそんなことを言った。粗末な墓石に向かってつぎつぎと手を合わせる親族を真似て、わたしも小さな手を合わせた。その脇で、いくつもの彼岸花が燃えあがるような花弁を風に揺らしていた。

 翌年の夏――。
 流れる汗を拭きながら、緑の濃い雑木林を抜けて、村の共同墓地へ登る。祖父の初盆には自然石の墓石は取り除かれ、そこには「姫洲家累代之墓」と刻まれた真新しい墓石が建っていた。葬儀の時と同じく大勢集まった親族に混じって、山を登ってきた祖母は新しいお墓の前でだれよりも長く手を合わせていた。

「おばあちゃん、長いね」
「おじいちゃんとお話してるんでしょ」

 話していたのは、みっつ年上の姉と母だった。
 待ちくたびれた父と親族は、少し離れたことろで談笑しながらタバコをふかしている。

「お墓には、死んだ人がやってきてくれる?」
「……そんなことあるわけないわよ」
「そうよね」
「まったく、暑いわね」

 母の着た礼服の脇の下はじっとり黒く濡れていた。やぶ蚊が一匹、雑木林からかげろうの立つ墓場へ迷い出てきたかと思うと、ふらふらと誘われるように母の首筋にとまった。母と祖母の折り合いはよくない。死んだ祖父のこともよく思っていなかったようだ。

 ――ぴしゃり。

 右手で首筋を打った母の手に、鮮やかな血の跡が残った。

 あのあと、祖母は死んだ祖父の分も含めて長生きし、100歳で死んだ。最期の10年間、特養ホームで過ごした祖母の手は、しわが深く刻まれているものの、白くて柔らかい手になってしまっていた。祖母の葬儀は、喪主とは名ばかりの頼りない父に代わって母が取り仕切った。

 時代が移り、代がかわって葬儀に参列した親族はずっと減ってしまった。祖母の遺骨は、お墓の中、祖父の隣に納めることになったが、地域の共同墓地までやってきたのは、父母と姉、そしてわたしだけだった。40年のあいだに、ここは変わった。雑木林は切り払われ、宅地造成が進んで、墓地は新しい住宅地に取り囲まれてしまっている。広い駐車場とコンクリートの敷かれた道路、整然と区画された斜面に、立派な墓石が林立している。むかしはところどころ見られた自然石の素朴な墓石などひとつもない。

「わたしが死んでも」
「うん」
「このお墓には入れないでね」
「わかってる」

 仏花を手向け、線香に火を点して手を合わせる――母と姉が話している。
 すこし寂しいけれど、母がそういうのは分かる気がする。ここはもうやぶ蚊が飛んでくるような、不便で不衛生な場所ではなくなった。その代わり、うまく言葉にできないなにかを失っている。まだこれから何年も生きていく母が眠る場所にはふさわしくないように思えた。もちろん、わたしがここの住人になることも想像しにくい。ふと、爪のあいだに土が挟まった祖母の手が脳裏によみがえってきた。

 ――なんとも情けないことや。

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