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春の読書部

 春が来ると決まって現れるモノ。
 それは「露出狂」である。
 しかし、世には秋にだけ姿を見せる露出狂もいるらしい。
 気温だけを見て行動してしまう変態というわけである。
 よって、秋≒春。則ち、読書の秋≒読書の春。Q.E.D. 証明終了

 というわけで、DMMブックスセールも始まるので、は劣化版セールに変わった疑惑?がありますが、そんなことに構わず、オススメの小説を紹介します。
 貴方が書店で運命の1冊に指を掛ける、あるいは、携帯端末でバイブルとなる1冊のリンクに飛ぶ助けになれば幸いです。

今回のBGM



1.四畳半神話大系/森見登美彦(角川文庫)

 大学三回生の春までの二年間、実益のあることなど何一つしていないことを断言しておこう。異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有為の人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの打たんでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえであるか。
 責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。

『四畳半神話大系』1頁より

『夜は短し歩けよ乙女』や『ペンギン・ハイウェイ』などで知られる森見登美彦氏の代表作の1つ。

 京都を舞台に、冴えない大学生である「私」が「あの時、別のサークルに入っていれば!」と嘆き、薔薇色のキャンパスライフを取り戻すために4つのパラレルワールドを行く青春ファンタジーである。

 この小説の魅力は何と言っても最初から最後まで果てしなく広がる森見登美彦ワールド。彼の豊富な語彙と重厚な文体で綴られる「くっそくだらない話」。これが森見登美彦の真骨頂だと言わんばかりの腐った話が続く。
 そのキャラクター達は誰もがとんでもなく駄目なやつで、とんでもなく愛らしく、そのやり取りは至るところでコメディを生み出す。
 勿論、森見氏のすごさはそれだけに留まらない。
 そんな話の至る所に張り巡らされた伏線の回収によるカタルシスや、雑然としていて、どこか妖しく美しい魅力的な「京都」という街の不思議な雰囲気の情景描写。ほろ苦くもめっぽう面白い青春。その全てが1冊に詰まった「完璧」といってもいいような小説である。
 癖は強いので、合う合わないは激しいと思うが、一度入ったら抜け出せなくなる森見ワールドの扉に手を掛けてみては如何か。

 ちなみに、ノイタミナで放送されていたTVアニメ版も四畳半の世界観を見事に表現・拡張しており、軒並み評価が高い。(dアニメほか)
 また、2020年に15年越しに書かれた続編『四畳半タイムマシンブルース』も小説・アニメ共にオススメ。



2.キッチン/吉本ばなな(幻冬舎)

 私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
 どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事を作る場所であれば 私はつらくない。(中略)
 本当に疲れ果てた時、私はよくうっとりと思う。いつか死ぬ時がきたら、 台所で息絶えたい。ひとり寒いところでも、誰かがいてあたたかいところで も、私はおびえずにちゃんと見つめたい。台所なら、いいなと思う。

『キッチン』1頁より

 私が紹介するまでもない、初版から30年以上が経った今もなお愛され続ける作品。

 主人公のみかげは、唯一の肉親であった祖母を亡くし、祖母と仲の良かった雄一とその母(実は父親)の家で暮らすことになる。日々の暮らしの中で、二人のふとした優しさに触れ、彼女の孤独な心は少しずつ癒されていく。しかし……

 喪失に、しっかりと向き合うこと。あるいは、少しずつ心の中で事実を受け入れ、溶かしていくこと。世界には不思議な調和が流れ、今日も自分でいられること。そんな生きることの本質を、優しくて少し乙女チックに描いた一冊。読み終わると、きっと貴方はかつ丼を食べたくなる。
 私は文庫本を読んでいて、好きな表現や台詞があるとページに折り目をつけるのだが、『キッチン』は読むたびに心に残る言葉があるので、なんかもう滅茶苦茶汚いことになっている。


3.さよならクリストファー・ロビン/高橋源一郎(新潮社)

 ずっとむかし、ぼくたちはみんな、誰かが書いたお話の中に住んでいて、ほんとうは存在しないのだ、といううわさが流れた。

『さよなら クリストファー・ロビン』1頁より

「あれは『虚無』というものさ」と僕に教えてくれたのは、そして、「世界は『虚無』にどんどん浸食されている。どうしようもない」ともいってくれたのは、誰だったろう。
 それが誰だったにせよ。その誰かも、もういないのだ。
 ねえ、クリストファー・ロビン。
 それでも、ぼくたちは、頑張ったよね。

『さよなら クリストファー・ロビン』20頁より

 ――もしも、この世界が誰かの書いた物語だとしたら。

 浦島太郎、鉄腕アトム、そしてクマのプーさん
 寓話やお伽噺の主人公たちは、この世界が誰かの書いたものであると気づき始めた瞬間から、「虚無」に侵されていく。それでも、彼らは絶望せずに戦う方法を見つけ出す。
 
 人生を満たしているのは「虚無」である。だからこそ、私たちは明日のために夢を見る。物語を紡ぐ。
 今回紹介する小説の中では、一際難解で、哲学的である一書。しかし、文体は柔らかいので取っつきにくいわけでもない。かといって、簡単に飲み込めるわけでもない。児童文学の近縁や寓話のようでもあり、高度な哲学書のようでもあり、短いファンタジー・SFのようでもある。
 兎にも角にも特別な一冊。
 私がこの作品の全てを理解しているとはとても言えないし、読後に漠然とした違和感や不安が心に居座るかもしれない。それでもきっと、貴方も読んでよかったと思えるはず。

 なんでこれ文庫版ないんだよ! ただでさえ難しい内容なのに、ハードカバーの単行本だと1冊高くて勧めにくいからさっさと出せ! 新潮社!



4.ジョゼと虎と魚たち/田辺聖子(角川文庫)

 ジョゼは幸福を考える時、それは死と同義語に思える。完全無欠な幸福は、死そのものだった。
(アタイたちはお魚や。「死んだモン」になった――)
 と思うとき、ジョゼは(我々は幸福だ)といってるつもりだった。

『ジョゼと虎と魚たち』204頁より

 数年前にアニメ映画化もされたことで話題の作品。

 足の不自由なジョゼは、車椅子がなければ動くことができず、世間から隠れるように暮らす。大学を卒業したばかりの恒夫は、管理人としてジョゼと同棲することになる。表題作「ジョゼと虎と魚たち」では、この二人の不思議でエロティックな関係が描かれている。さらに、愛と別れをテーマにした短編集として、様々な物語が読者を待っている。

 とにかく美しく、儚い話たち。上記の引用文のように官能的な愛や完全な幸福は、死にも似ている。だからこそ、刹那的でドラマチックなんだと思わせる作品。ジョゼの障害というのも、アニメ映画では一つの「テーマ」としてお涙頂戴っぽく扱っていたが、原作でジョゼの車椅子はあくまで一つの「事実」に過ぎない。本質は男と女の関係であって、その中に介在する複雑な感情脆さ生々しさを秀逸な文で描いている。
 純愛とご都合ハッピーエンドを望んで楽しみたいならアニメ、恒夫とジョゼの美しく、エロティックで言葉にし難い関係を知りたいなら原作・実写映画をオススメする。

 こいつ死とか喪失とかそんな話ばっか読んどる……



5.夜間飛行/サン=テグジュペリ(新潮社)

 愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。
 ところが僕は決して同情はしない。
 いや、しないわけではないが、外面に現さない。

『夜間飛行』より

 世界的超大々ベストセラー『星の王子さま』の作者であるフランスの作家サン=テグジュペリの1作。

 1940年代、郵便飛行業がまだ危険視されていた草創期に、事業の死活を賭けた夜間飛行に従事する人々の、人間の尊厳を確証する高邁な勇気に満ちた行動を描く。

 私のバイブルの一つでもある『星の王子さま』は児童文学として扱われることが多い。(勿論、大人が読んでも面白いし、大人が読まないと分からないことも多い)
 一方で、『夜間飛行』は第二次大戦末期に、パイロットとして活躍し、最期はナチス戦闘機に撃墜され、地中海上空に散ったサン=テグジュペリのパイロットとしての経験・記録的価値と、彼の高度な文学性が融合した作品になっている。
 夜間飛行を行うパイロットの描写は勿論、彼らの命を預かる社長のリヴィエールの葛藤も魅力であり、教訓やメッセージをストーリーの中に溶け込ませるのが本当に上手だと思わされる。

 また、海外文学は、翻訳者によって文体や表現の色が大きく異なるので、サイトや店頭で試し読みをして、自分に合う合わないを見極めてから購入することを強く勧める。ちなみに、僕は『夜間飛行』は堀口大學訳が、『星の王子さま』は池澤夏樹訳が好みです。


番外編.BLUE GIANT(漫画)

ジャズに心打たれた高校3年生の宮本大は、川原でサックスを独り吹き続けている。雨の日も猛暑の日も毎日毎晩、何年も。「世界一のジャズプレーヤーになる…!!」努力、才能、信念、環境、運…何が必要なのか。無謀とも言える目標に、真摯に正面から向かい合う物語は仙台、広瀬川から始まる。

『BLUE GIANT』あらすじ(小学館より)

 とにかく熱くて、とにかく青い。
 この漫画を簡潔に説明するならば、「ジャズ!青春!情熱!」の3本の矢になる。特に優れているのが、ライブシーンの「音の描写」で、「音が聞こえてくる漫画」という売り文句は言いすぎな気がするが、言葉なしで読者の心を揺さぶってくる漫画になっている。
 また、大(サックス)・雪祈(ピアノ)・玉田(ドラム)の3人の人間性・関係性のバランスがキャラクター創作的にも絶妙で、熱い。父性が芽生える。
 私自身もジャズについては門外漢も門外漢だったが、この作品をきっかけにジャズの扉のドアノブに手を掛けた。
 要は、ジャズ?と聞いてもピンとこない方も十分楽しめるどころか、そのまま沼にハマって人生曲げてしまう可能性すらあるのでオススメです。

 そして、現在上映中の映画では、この内臓から湧いてくる音が、振動が、情熱が、巨匠・上原ひろみの手によってそのまま具現化されている。

 映画が上映開始から2カ月を経ち、そろそろ終わり掛けている。
 まずい。由々しき事態である。急げ。

 また、続編の『BLUE GIANT SUPREME』、『BLUE GIANT EXPLORER』のほか、スピンオフ(というか雪祈視点での話)である小説『ピアノマン』も情報補完としては勿論、単体で音楽小説として面白いので、是非。


いかがでしたか?

 活字を読むことは、一見、ハードルが高い。
 映像とは違い、自ら進んで読む努力が求められる上、話の背景の全てを理解する必要があると勝手に感じてしまう。
 しかし、お高く止まっている純文学にせよ岩波新書にせよラノベにせよ官能小説にせよ、せいぜい「娯楽の一つ」として消費されれば、それで十分だと思う。

 情報が溢れる現代において、小説や漫画、アニメ、会話、SNSなど、さまざまな媒体を通じて、多様な人々の考えが展開されている。人はそれらを拾い上げ、試しに口にして、味わいながら、時には拒絶する。そうした中で、「人間はこういう存在だ」「世界はこのように動いている」といった人生の根幹となる価値観を、疑いつつ刺激を受けながら、生涯に渡って更新し続けることが求められると思う。

 その「消えもの」の一つとして小説を見ると、作者の思想や考えが、物語という皮を被りながらも、直接的に反映される特徴がある。同時に、情景描写や行間を通して、読者の想像力に託される部分も多く存在する。
 則ち、「書き手と読み手が共に歩み寄ることで成立する」という独特の魅力があるのだと考えられる。

 心も体も剝き出しにして、その身一つのになって活字の世界に飛び込んでみる。
 せっかくの春、少し難しいことを考える時間があってもいいと思います。
 今年は、僕も読み書き共に小説を頑張りたいです。

 取り留めのない拙文、失礼しました。

 匆匆頓首 高津すぐり


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