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手立ての話に終始せず、自分の内面に深い気づきを。古賀市立小野小学校3年間の「対話中心の研修」の軌跡

教育哲学者の苫野一徳さんは常日頃、公教育の構造転換が必要だと仰っている。そこには3つの構造転換がある。①学びの構造転換、すなわち個別化協働化プロジェクト化の融合への構造転換、②民主主義の土台として自分たちの学校は自分たちで作るということ、③多様性がごちゃまぜのラーニングセンターになることだ。そしてこの3つを推進するため、根本的な部分で「対話の文化と仕組みを作る」ことが必須だと訴える。その実例として、福岡県古賀市小野小学校の実践をあちこちの講演で紹介しているという。

私(このnoteの筆者)も2023年冬に開催された研究発表会にオンラインで参加し、その様子を垣間見ることができた。先生同士が本音を出し合って対話を重ねてきた様子、それによって先生たちが学びを深め続けている様子が感じられた。そこでこの記事では、古賀市立小野小学校の「対話」の実践を進めてこられた研究主任(当時)の今林菜美子さんにお話を聞いた。

まず第一に安心して研修の場に来られるように

――まずは対話中心の研修を始めることになった経緯を教えてください
私が研究主任になった頃に遡りますが、令和2年(2020年)4月、私はまったく違う地区からこちらに異動し、ちょうどその時にパンデミックが始まってしまいました。元々の知り合いはおらず、新しい人間関係も作りづらい、そんな新生活スタートでした。その年の終わりごろ、次年度の希望調査に、職員同士のつながりづくりができる役職に就けたら頑張りますと書いたんです。自分自身が安心して働くためにも。希望の結果、研究主任を任せていただくことになりました。

私自身、前の地区にいたとき研修部も経験していたし、外部の色々な研修に参加して、対話中心の場や創発的な場などにも参加した経験があり、その良さも感じていたので、本校でもそうした雰囲気を作りたいなという気持ちもありました。

今振り返ると、当時の忙しい毎日の中では、「校内研修」「研究授業」というものが、小野小学校の私たち教職員にとって、物理的にも精神的にも、負担感の大きいものに感じられていたように思います。もしかしたら、見られる、評価される怖さもあったのかもしれませんでも学びって本当は、もっと楽しいものだよなぁ…という思いがありました。

ーー対話中心の研修にする上で、大事にしていたポイントを教えてください
まずは、私たち教師自身が学ぶことを楽しむ、ということを大事にしたいと思いました。それは子どもたちに還元できます。子どもたちに学ぶ楽しさを感じてほしい、自ら学びに向かってほしい、そう願っていました。ですから、教員がそれぞれの課題にあった学びをする、分からないことがあればお互いに聞き合える。個別最適で協働的な学びを、私たち自身がまずは経験して楽しむ。それを一番大切にしてスタートさせています。

ーー対話のグラウンドルールも大切な点だと思ったのですが、どのような意図で、どのように決めたのでしょうか?
皆さんが安心して研修の場に来られるように、最初にグラウンドルールを設ける必要があると考えました。私自身が外部の色々な対話の場に参加し、そうした場の心地よさや発言のしやすさを体験していたので、そうした安心感を作りたいと思っていました。

『[Round Study]教師の学びをアクティブにする授業研究』という本も参考にしてルールを決めました。

・年齢、キャリア、立場に関わらず対等に意見を述べる
・全ての参加者に発言の権利がある(逆に、発言を強要されないこと)
・参加者一人一人の発言をまずは受け止めること

ーー場の心地よさや発言のしやすさですね。
研修の場の設計するにあたり、多くの職員の意見をヒアリングしました。すると例えば、分からないことを分からないと正直に言うことに不安がありますとか、とにかくやることに必死になり相談すらできなくなってしまいますとか、そうした声を聞くことができました。私含めてこれまで暗黙のうちにつくってきた空気のせいで、いつの間にか、安心して発言しにくい状態になってしまったことに気づきました。でも、安心して自由に思考できなかったら、学びにならないじゃないですか。だからまずその基礎を作るために、グラウンドルールをきちんと提示することにしました。

校内研究の硬い雰囲気はいつの間にかできてしまったもので、それが変わるまで最初は時間もかかりましたが、ファシリテーターの役割を明確にして、グラウンドルールが馴染むまで繰り返し確認するように徹底しました。

――最初の雰囲気はどうしたか?
校内研修を対話中心に変えた最初は、令和3年(2021年)5月。コロナ禍でもあったため、大人も子どもも会話すること自体にハードルがあり、話すことそれ自体を求めていたと思います。それまでは物理的に職員室に集まることもできず、分散して過ごしていました。最初の対話会は、一人一台の端末を確保し、一人ずつ各教室に分散してオンラインでつなげました。初めて対話の場を持ってみて、それがすごく心地良かったんですよ。人と話ができることの嬉しさ、互いのことを知れる喜び、そうしたものにすごく高揚感があり、話せることの良さを肌で実感しました。それが、最初の大きな体験であり、ここまで継続してきたことの原動力になっているのかなと思います。

分からなくなって立ち返ったこともあった

ーー令和3年度、「目指す子ども像」の対話に約半年も時間をかけていますが、かなりゆっくり時間をかけている印象です。
その時点で、市の委嘱事業で研究発表会をする令和5年の冬までは、約3年ありました。十分に時間もあるし、当時の校長とも話し合い、ゆっくり時間をかけてやっていいよと言っていただきました。私の課題意識としてあったのは、目の前の子どもたちにどんな課題があるのか、どんな風に育ってほしいと考えているのか、私たち教員の中に温度差というか認識の差を感じていました。だから、教員の中の共通言語というか、ピッタリ一致しなくても「ベン図の重なり合いを見つけられたらいいな」という思いで、対話をしていきたいなと思っていました。

――取り組み2年目、令和4年度の動きを教えてください
令和4年度(取り組みの2年目)はちょっと失敗してしまったんです。というのも、1年目「目指す子ども像」の議論を経て、2年目、それに向けた方法として「自己選択・自己決定」に限定してみないかと私から提案してみたのです。ところが、その年の4月や5月はまだ、子どもたち同士の関係づくりや仲間づくりのところで苦労している学級もあったし、課題意識が違うんじゃないかという意見が多数ありました。なので改めて、今何に困っているか、何に関心があるのか、それを出しあうところからやり直しをしました。

この時、先生方から率直に意見をもらったのは良かったですね。やり直しをするのはとても大変ですが、研究部が決めたことを一方的にやってもらうだけだと結局また受け身に戻ってしまうので、意見をもらえたのはありがたかったですね。

――進め方は難しいですね
そのあとも途中で、今何をしているのかわからなくなったという声が上がりました。自他尊重できる子を目指していたはずなのに、「子どもたちが発表するにはどうしたらいいか」とか「子どもたちが課題に対して書くことができるようにするにはどうしたらいいか」という議論になってしまっているという意見がでました。いつのまにか「教師がさせたいことをしている姿」に向かってしまいそうで、目指しているものがわからなくなってきているのではないか、という声を上げてくれた人がいたんです。実践したことを持ち寄って報告するだけで対話が深まっておらず、結局何のためにやっていたのか曖昧になってしまっていたんです。そこで7月くらいにもう一度「目指す子ども像」の対話に立ち返りましたね。

――立ち返るのはとても大切ですね
哲学的思考の一つとして、何か一つの言葉や概念について、その意味や本質を、各自の体験にもとづいて出し、他者との対話を通して共通了解を見出しあっていく「本質観取」という方法がありますが、プチ本質観取を研修の冒頭15分や30分で繰り返し行いました。「尊重とは?」「対話とは?」「学びとは?」など、そのとき私たちがよく使っていた言葉や話題になりやすいキーワードについて、ほんのちょっとずつ対話したんです。そのことで、みんなの考え方の違いもわかりましたし、違う考えのなかにも共通点がぼんやりと言語化されていって、「ああそういうことか。やっぱりこれが大事なんだな。」と気づくことが多々あったんです。本当にじわじわと「私たちはこれを大事にしているんだな」と同じ方向を向いている感覚になったというか、そういうものを私は感じました。

――忙しい中、時間を捻出することも難しかったのではないでしょうか?
時間の捻出についてはずっと課題意識がありました。なので校内研修では目的に沿わないものはどんどん削減しました。まず1年目は指導案を無くしました。2年目は相互に授業を見学するときに困るのでシンプルなメモフォーマットを共通で使うようにしました。これがすごく効果が大きかったですね。

それから、各自が調べる時間や計画立案の時間を、研修時間の中で取る、ということにしました。今までは事前に各自でやってきてください、となっていましたが、それだとやはり負担感が増えてしまいます。振り返りやまとめを書くときも持ち帰らず、研修の時間内で書ききって、その時間内のクオリティで出しましょうと合意しました。あとは、実践の案を出すときには何かすごく特別なものではなく、必ず日常で継続的に実践できることを決めてもらっていました。そうやって実用的・実践的なサイクルが回るようになり、それぞれのグループが自走していったように思います。

手立ての話に終始せず、自分の内面に気づきを得る

ーー23年冬の研究発表会のとき、今林さんが『手立ての話に終始せず、教育観・授業観・子ども観など自分自身の内面について気づきを得ることを目指した』と強調されていたことが印象的でした。
リフレクションを中心にした学びに変えていきたかったんです。というのは、これまでのよくある研究授業の準備の仕方は、失敗しないように事前に繰り返し授業練習したりするんですよ。たくさんたくさん準備して苦労して当日を迎えるわりに、研究授業では、こんな方法もある、あんな方法もある、という方法の話に終始し、最終的に大きな気づきが得られるとは限りませんし、そしてそんなに大変な思いをする授業準備なんて、実際にはできません。現実に生きないんです。

そうではなく、実践してきたことを持ち寄って、そこから気づきを得て、必ず次に生かしていける、この学びのサイクルを回していくということをしたかった。そのためにはリフレクションが欠かせませんので、コルトハーヘンのリフレクションのフレームを取り入れることにしました。

オランダの教育学者でリフレクション研究の第一人者、コルトハーヘンが提唱したフレームでは、深い気づきを得るための「8 つの問い」を「わたしは」または「相手は」を主語にして振り返っていきます。
「何をしたか?(Do)」
「何を思った、考えたか?(Think)」
「何を感じたか?(Feel)」
「何をしたかったか?(Want)」

――なるほど、まさに自分の内面で何があったかを振り返るのですね
方法についての気づきだけですと、その授業その時間だけでしか使わないものになり、継続しないんですよね。そうではなく「考え方」「感じ方」の気づきを得られるようにしたかった。例えば、あの子は発言はできていなかったけど、じっくり考えられていたんだな、その考える時間って貴重だったんだな、など。そうした「考え方」や「感じ方」の気づきがあると、その後の授業検討や日常の子どもとの関わりにも応用できるようになるなと思っていました。これまで出会った、研究を通じて継続・発展していく先生たちもやはり、内面に気づきを得ている方ばかりでしたので、そのことが大切だと確信していました。

ーー内面についての気づきということで印象的なエピソードがあれば教えてください
ある研修日、実践リフレクションの対話の中で、「子どもたちが発言しないのは、やっぱり失敗や間違いが嫌なんだろうね」という話題になったときのこと。ある人は「子どもたちに対して、間違いは恥ずかしくないし、間違ってもいいよと言うけど、そんなことを言いながら、私自身が一番間違えることが怖いんだと思う」といったことを話してくださいました。そこから「なぜ私たちも間違えることを恐れるのだろうか」という話題に発展したように思います。

つまり「どうやって自信を持って発言させようか」(=手立て)ではなく、「自分の中にもあるその恐れの感情はどこからくるのか」(=自分の内面)を振り返り、そして子どもたちの思いに派生していったわけです。そうした思考の過程は、これまで私が経験した授業研究にはなかったもので、とても印象に残っています。私自身も自分の内面と子どもへの対応の矛盾に気づき、深く考えるきっかけになりました。

――23年冬の研究発表会当日は、参加者にも対話の体験をしてもらっていました。その様子は今林さんから見ていていかがでしたか?
当日は、参加してくださった方々にも、書籍『[Round Study]教師の学びをアクティブにする授業研究』で紹介された方法に沿って、リフレクションを体験していただきました。対話によって気づきを得ることや、対話そのものの心地よさや楽しさを実感してもらうことを目的にして、安全・安心な場になるよう十分に心を配りました。初対面で各自の経験や思いを話し合うことが本当に可能なのかと心配だったのも事実です。

でも、思いのほかそれは取り越し苦労で、始まってみると、みなさんグランドルールを守ってくださり、あたたかな対話を行っていただきました。「〇〇とは?」について共通了解が見出せたときには拍手が起きたりもしていました。参加者の多くが対話の心地よさや、人と認め合えることの価値を感じ、楽しさを味わっていただけたのではないかなと思います。

改めて3年間をふりかえって

――改めてふりかえって、3年間、対話を中心とした研修を積み重ねてきて、どのような変化がありましたか?
今、職員室というか職員同士の関係が大変居心地がいいですね、これは間違いないです。日々、仕事が苦しいとか、本音を出せば助けてくれる人が絶対にいるので、その安心感はとても大きいです。それからいろいろな場に対話が生まれています。主題研のときだけでなく一般研修のときや日常の会議の中でも、できるだけいろいろな人と対話して意見を交わすことが非常に多くなっています。年齢や経験から遠慮してしまうとか、否定的な声が出て静まり返ってしまうようなことはなく、それぞれより良いものにしようとして活発に声が上がるようになり、私がここに着任したときとは大きく異なる様子になったと思います。

この3年間、初めからこうしようと思ってずっと続けているのは、「対話」だけであって、そのやり方や実践方法はその時々の状況にあわせ、変更に変更を重ねてきました。この流れがベスト!と思うものが作れたらよかったのかもしれませんが、そこまではできませんでしたし、そもそも先生方も子どもたちも変わっていくのだから、全てを固定的に捉えるのも難しいのかなとも思います。だからこそ、その時々にあった方法で進めていけるといいのかなと思います。ただ、先生同士が対話をする時間についてはどんな場面においても、プラスの要素しかないような気がしていて、文化として学校に残っていってくれると嬉しいなと願っています。


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