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「note」癒える日本


「あなたは神を信じますか ?」の真意


岡田斗司夫さんによると、キリスト教徒である欧米人は神を根本的に信じられないので、いつも信仰が揺らいでいる人がほとんどらしい。

対して、さして、神を信仰している訳でもない自身に関して言えば
「万物のアルケー(根源)は言葉である」
という、根言論者とでも表現するのが適切な思考を基にして生きているので
「言葉にあるものは凡そ存在している」
という信念をベースにして生きている。

故に「神の不在」を心配したことなどない。

親しくしている友人は
「神は唯一にして、偶像崇拝はいけない」
ということが、先天的にわかっているらしい。

だが、自分にはそれが、先天的にも後天的にも理解できない。

「神々」という言葉もあるので、神が唯一でも沢山あろうとも構わないのでは、と漠然と感じている。

人はイメージを具象化したもの所謂イコンとかアイコンとか云われる、絵とか像に祈った方が念を込め易いので、別に偶像崇拝をしてもいいじゃん、と考えている。

世界にはいろんな「神話」があって、自分はそれらには一定の事実というか真実も含まれているだろうと想っている。

ある動画で識者が「神」とは「申し示すもの」であるとおっしゃられていたので、それにとても得心がいったので、それに素直に賛意を示し、「神とは言葉である」と感じている。

吾吾、人間は言葉により、認識し生きることが可能となっている、そんな存在だ。

吾吾はものを食べている時もそれと同時にそれに付加されている言葉によるイメージも摂取している。

人間を人間たらしめているものは言葉であり、言葉は力であり、命である。

何を信じていようと構わない。

例え、それが悪魔崇拝といわれているものでも、他者を貪ったり蹂躙などすることなく、他者と共に幸せに生きていこうとしている人であるなら。

「神を信ずる」と言って、他国を侵略して来た人々もいる。

それらの人々にとっては、「異教徒は悪魔崇拝者」であったのだろう。

しかし、神を崇拝する者が他者を支配し略奪したり、収奪しているのは、「悪魔の所業」では ?

大切なのは何を信仰しているかではなく、如何に他者に接しているか、である。

現在、世界を一つにしようとする動きがあるが、その内実こそが、問われるのだ。

人々の自由を奪い、より強力な支配による収奪の強化を意味するなら、そんな無理矢理な一体化より、それには組み込まれない棲み分けの方が望ましく感じられる。

「神の名を騙る悪魔」には断固たる「No ! 」を。

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