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大學時代を振り返って


大學一年の夏休みに京都・奈良を旅し、前期試験を終えて、自分は精神分裂病を発症した。

一年遅れで、専攻科に進み、1番人気のあった行動科学に進もうとしたら、最早、定員は満杯で、社会科学コースから人文科学コースへ転じ、当初からの目的だった哲学科の門を叩いた。

素より、人間とは何かを行動科学で知り、哲学を樹立することが意図だった。

一年遅れるのは嫌だったので、そのまま4年で卒業出来るものと想い込んでいたが、結局丸半年休学したので、早くとも4年半は学部に留まらなければならないらしかった。

同級には風張とお龍さんがいた。

一年先輩に後藤さん、研究生として藤田さんがいらした。

あと、隣の倫理学専攻の6年生だった男性の先輩の半期の学費は自分達の丁度1/10の9千円だった。

その先輩も何故か、自分が三木清を研究するために哲学科に進んだのをご存知であった。

下級生の自分達にも丁寧な言葉で接してくださった。

藤田さんはその後、郷里の長野に帰り、中学か高校の社会の先生となられ、大學時代の恋人ではない新たな女性と結婚なさったと伺っている。

後藤さんには世界史の高校の分厚い参考書をお借りしたままである。

一年後輩に工藤と益子、岩舘とあとニーチェを研究したいと言っていた男の後輩がいたが、彼はゼミでも同席したことがなく、その後、どうなったかはわからない。

工藤とは風張の車で、お龍さんと4人で遊びに行ったりしたので、1番親しい後輩だったが、彼女が出来ると煙草もパチンコも辞めたみたいだ。

益子はインドへも一人で旅し、様様危ないことも体験したみたいだが、ボランティアに熱心で、彼に誘われて、男性の車椅子を押して八幡平を歩いたりした。

此処で懺悔をしたい。

神智学や人智学を研究してた岩舘をおらあは言葉で辛辣に責めたりした。

本当に先輩という価値もない、意地の悪い上級生だった。

自分の不満を下級生にぶつけたくだらない男だ。

それを謝り、告白することで勝手に赦されたい、身勝手な物言いだ。

本当に申し訳ありませんでした。

先輩らしいこともしてないのに呼び捨てにすることもお赦しください。



月日は巡り、いつか、先輩・同輩・後輩に再び、見えることがあったら──

笑顔で挨拶し、旧古のお世話を心から謝し御礼を言い、何か力になれることがあれば、報える自身でありたい。

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