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正観主義とおらあism


小林正観さんは『無敵の生きかた』で以下の如く、仰られている。

私たちの人生は、生まれた時から死ぬ時まで、すべて決まってるらしい。生まれてくる前に、人生のシナリオを書いて生まれてきたようです。

何千何万という選択をしているように思いますが、まったく回り道などしておらず、それぞれが歩むべき道の最短距離を、一直線に歩んでいます。

「では、何もしなくてもいいのですか」と言う人がいますが、それは違います。
やることは、ただひとつ、「念を入れて生きる」こと。
今、目の前にいる人を大事にし、目の前のことを心をこめて行なっていく。



以上のことは決定論に見える。だが、違うと感ずる。

「念を入れて生きる」ことを如何に解釈し、実際にどれ程、実践出来るか、秘密は此処にある。

正観さんはまた、仰られている。

私たちにできることは、本当の自分を探すことではなく、今、目の前のことを、ひとつひとつ淡々とやっていくこと。


つまり、未来に夢を馳せてばかりいずに、現在を生きよ!

という啓蒙なのだ。


「夢もあります、欲もあります」という歌のフレーズがある。

手にしてないものが多く感じられて、それらを得られたら、如何に幸せだろう。

自分も正直そういう不満でいっぱいになっている。

だが、折に触れ、接している人たちの温情に浴し、頬を伝う有難さの雫が溢れ出で、感謝に震える時、嬉しさで至福の中の自身は「なんて恵まれているんだろう。本当にありがとう」と存在の根抵からの歓びの中に居て、とても切なく充ち足りている。



「愛を學ぶために孤独があるなら」否、孤独にあればこそ、愛は自らの内より發す。


人にもよるのだろうが、絶えず、誰かと一緒にいると息苦しくなるだろう。

ヤマアラシのジレンマ──他者と自身、自分と自身の間にも適切な距離が必要だろう。


昨今の実験結果の時間的現象に因果関係を見出し、決定論的世界観が正しい、という主張が強まっている。 

だが、そんなことは些末に感じられる。

想いをどれだけ込め、如何に行動するかによって、自身の実現したいこと──つまりは運命の輪は速くも遅くも回り、感ずる充実感は算盤と量子コンピュータ程も違って来るだろう。


決定論か自由意志かが問題なのではなく、正観さんの仰られている「シナリオ通りの人生」とは、今を心を込めて生きていない吾吾への方便であって、「只今を幸せに生きよ」という温かいメッセージなのだ。

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